水晶玉の中の話・上
『醜くも綺麗な一瞬』ep,270の待機期間中の、一つの水晶玉の中の話です。
下は三、四日後に更新する予定です。
「産んでくれなんて頼んでねぇよっ!!」
こう言われてしまった時、一体どうすればいいのだろう?
ただ、あなたの誕生日を祝っただけなのに。
◇◇◇
私は覆水県後祭町で生まれ、今日まで生きてきた。
子供の頃は、勉強も運動も全てが平均だった。
友達と遊び、時には喧嘩をし、淡い恋だってした。
嫌なこともあったし、良いこともあった。
ごくごく『普通』。
いや、いじめられることはなかったし、両親が喧嘩をしたり、義理の親とうまくいかない、なんて言うのもなかったから、普通よりもいいだろう。
お見合いで優しい夫と出会い、ほんの少し遅い結婚。
夫のお義母さんは、かなりおっとりとした人で、『嫁姑っ!』と緊張していた私は、かなり肩透かしを食らったものだ。
子供……孫が生まれた時も、『あれしろこれしろ』なんてことは言われず、『二人は欲しいわね』や『嫁とは、母親とは――』なんて言われることもなかった。
…………生まれてきた子供は、本当に可愛かった。
それまでは『本当に私が母になるの?』『なれるの?』何て不安もあったが、そんなものは子供の顔を見た瞬間に吹き飛んだ。
『ありがとう』
出てきた言葉は、それが全てだった――。
「そんなの、ただの母性本能ってヤツだろ?『本能』でしかないんじゃん。くっだらね。お前のエゴで生まれたコッチの身にもなれ!」
あの子がそう言い出したのは、高校二年生の時。
ああ、どうして、こんな事になってしまったんだろう。
小さい頃から運動神経が他の子よりも良くて、高校でも運動部に入った。
しかし、あまり成績はふるわなかった。
ただ、その時に『他の子に負けてどうするの?』『お金かけているんだから』なんて、私も夫も言った覚えはない。
今までもそうだったし、これからも。
そもそも、そんな発想すらなかったのだから。
それなのに、あの子はスマホを見ながら、私たちを糾弾してくる。
「あのさぁ、あんたらの少しの快楽の所為で、どうしてこっちが、こんな苦しい思いをしないといけないの?ちゃんと対策しとけっての」
「ああ、分かるよ?あんたの時代は、結婚していないなんて負け組みたいなもんだし、世間体だってあったことは。だからって、生を押し付けんなよ!」
「どうせ、将来の介護要員に使うつもりなんだろ?『愛してる』なんて言って、逃げないように洗脳しているんだろっ!」
「そんな『労働』する為に、自分は生まれたわけ!?」
「まっ、認めたら自分の存在を全否定することになるから、出来ないんだろ?はあ、……結局、子供よりも自分の存在のが大事なんじゃん。エゴだエゴ!!」
「楽しいかよ?母親ごっこは?」
正直、これよりも酷い罵詈雑言だった。
聞くに堪えない、何処で知ったのか分からない、下卑た言葉の刃。
そんな言葉で刺されたことが無かった私は、ただ固まっていた。
ああ、息が苦しい。
あの子が見ていた、ロベリアチューブ。
ロべチューバーの、『表六』とかいう人。
この人を見つけてしまった所為で、全てが狂ってしまった。
いや、あちらからすれば、私の方が『現実を見るべき狂った存在』なのだ。
『あーあ、この世界に生まれさえしなけりゃ、こんなつらい目に遭う事もなかったのに……。かっわいそー』
テレビから、事故や事件、何処かの国の戦争の映像が流れるたび、蔑んだ視線と共にそう言われる。
『げほっ、……あー、しんど。誰かさんの所為で』
酷い風邪を引いた時、治るまで何度も何度も何度も言われた……。
『子供を産みさえしなきゃ、こんな風に泣くこともなかったのに……』
ドラマの中で、病気で子供を亡くして嘆く親に向かって呟いた言葉。
……こうなるまでは、楽しく過ごしていたじゃない。
『でも、死んだじゃん』
何とか絞り出した言葉は、バッサリと切られてしまった。
ほら、言い返せない、という顔と共に。
あの子にとっては、『楽しかった』『嬉しかった』『幸せ』というのは全て幻想で、『辛い』『苦しい』だけがこの世の真実になっていた。
もしかして、運動がどうこうではなく、学校で酷いいじめでも受けているのだろうか?それを察さない、私を責めているのだろうか?
本人に直接聞くことは躊躇われた。
正直、どんな言葉が返されるかが怖かったのだ。
ああ、耳鳴りがする。
息をするのが辛い。
夫は海外で働いており、半年に一度くらいしか会えない。
ストレスを溜めやすい夫に、余計な心配をかけるのは躊躇われた。
ずっと一緒に暮らしていた、私の落ち度だし。
夫の前では、あの子も『普通』だし……。
『……声に元気がない気がするけど、大丈夫かい?』
「そう?いつも通りよ。ありがとう」
電話越しに『あなた、聞いて!』と叫びそうになってしまう。
しかし、それはいけない、と首を振る。
(……きっと、反抗期なだけ、それを過ぎればきっと)
そう信じグッと耐えた。
しかし、あの子の思いは一層強くなったまま、二年の月日が経過した。
◇◇◇
「『人が生まれた時に泣くのは、この世界に放り出されたことが悲しくて』大昔の人が書いた話に出てくるんだけど、それを知ったうえでの発言?」
どうにか話を聞いてもらおうと、産声を聞いた時の嬉しさを語った。
大きくなったお腹を撫でていた時の、不安や愛おしさも――。
「だからぁ、前にも言ったじゃん。それはただの『本能』だって。人間も動物だし、子孫を残さなきゃいけないから、そういうお綺麗な言葉で、誤魔化しているだけ。……てか、久しぶりにそんな綺麗ごと聞いたわ」
「そんな傷ついたみたいな顔すんなよ。事実を言っているだけなんだから」
「この間、友達と『産婦人科に乗り込んで、来ている奴ら全員に現実教えてやろうぜ』って話をしたんだけど、マジでやろうかな」
私は『お願い、止めて頂戴!』と震える声で、我が子に縋った。
ただでさえ、みんな多かれ少なかれ不安を抱えているのに、そんなストレスをかけられて、鬱や…………流産してしまったら、あなた責任とれるの?
「なんで?この辛い世界に放り出される子供が減っていいじゃん。……ああ、自分が逮捕されたら、世間から非難されるのが嫌なんでしょ?自分勝手な奴」
言葉が出ない私をどう思ったのか、あの子はフンッと鼻を鳴らす。
「完全勝利」
歌でも歌うような口調でそう言うと、その『友達』と遊びに行った。
しょう……り?
その言葉に、足元が音を立てて崩れていくような感覚に陥る。
私は、あの子と『話し合い』がしたいと思っていた。
でも、向こうはそうじゃない。
考えていたことは『どうやって相手を言い負かそうか』それだけだったのだ。
私の話を聞く気は、最初からなかった。
別に、『将来、私たちの介護をしろ』『孫の顔を見せろ』なんて言わない。
あなたや、あなたの友達の主義主張を否定する気もない。
表六さんの動画のコメント欄。
『生きるのが辛い。でも、死ぬのが怖いから、生きているだけ』
『親に○○って言われて、それから人生がマジで地獄』
『生まれない方がいい。所詮は労働力に過ぎないから』
『将来子供産んで、こう言われたら怖いから、産まない』
そんな言葉で溢れていた。
コメントの話をすべて信じるわけではない。
ただ、読んでいるだけで胸が締め付けられる話や、納得できる言葉もあった。
だから、あの子のやりたいようにして欲しい。
力になれることなら、本当になんでもする。
…………だから、だから、私の思いも、ほんの少しでいいから――。
◇◇◇
「お子さんのそれさぁ~。『主義』でもなんでもなくない?」
「……え?」
果無寺でのバイト中、一緒に昼休憩を取っていたスタッフの一人がそう言った。
「ただ単に、物事が自分の思い通りにいかなくて、いじけているだけだと思うけどね。……まあ、『多感な時期に、変なロベチューバ―に触れちゃったんだな』って感じはしたけど」
どうしたの?と何度も聞かれ、ついあの子の事を話してしまった。
一緒に昼食を取っていた他の二人も、うんうんと頷く。
「ああ、あれだ!私たちが高校生の時も、『人生は無意味』みたいな小説が流行って、やたらとカブれた人がいたじゃない?それと同じよ」
「あったあった!可愛い髪留めをつけている子に『そんな物、生きていくうえで何の意味があるの?』って、ニヒルぶってた奴いたわ~」
向かいの席で、きゃいきゃいと盛り上がり出す。
「……それと同じよ。そもそも主義主張って、お互いに尊重し合って、初めて成立するものじゃない?言っちゃあなんだけど、お子さんのは『主義』って言葉を借りたDVにしか感じないなぁ~」
「DVだなんて、そんな……」
「でも、二年もそうやって言われてたんでしょ?こっちの主張はガン無視で」
威圧的に、攻撃してこないのが分かっているから。
そして、『言い負かされて』苦しむ顔を見て、自分の靄を発散させる。
「ね?」
「…………」
彼女から視線を逸らし、梅お握りを一口齧った。
物価高で、調味料を変えたのだろうか?味がしない。
「それに、もし運動部で上手くやっていけていたら、絶対にそんなこと言い出さなかっただろうしね。それこそ、そっちのエゴよエゴ」
「そーですよ!……こういうのって、元凶が裁かれないのが一番ムカつくんですよね。それで別の動画では『他者を気づ付ける奴は~』なんて言うんだから」
「わかるー。『綺麗ごと』だ『傲慢』だって言葉を使って、『自分はこの世の全てを理解していて、真実を教えてやっているんです』ってね~。こっちが傷つくのだって、本当で真実なんだっつーの!」
「はいはい!それ!……しかも、『個人の意見です』って前置きしちゃってね。今はそうしないと叩かれるから、仕方ないんだろうけど、限度ってもんがあるだろって!あれだけ対立感情を煽っておいてさー」
「しかも嗤えるのが、申し訳程度に『ちゃんと考えてますよ動画』って、真逆の考えの動画を時たま投稿するってとこ。自分は偏ってないですよ~って。『(笑)』よね」
「わかる!わかる!……てか、最近そんなサムネが多すぎて、本当にウザい。一回間違えて押しちゃってからずっと。ロベチューブもちゃんと避けて表示してくれないし。サムネ見るだけでも萎えるのに」
「それよ!しかも……えっと、ナントカロイドってヤツを使って、可愛いキャラに『□□さんは――』って言わせるのもあるでしょ!嫌ってるくせに、こういう時は使うのねって感じ!ちゃんと自分の口で言えよっ!!……って気分」
「……でもさ、本当に親に向かってそんな事を言う子いるのね」
「……わかる。ネットの広告漫画くらいのものかと思ってた」
「……お子さんは、自分が産まれる時、周りにそういう人がいなくて、よかったですよね」
「……ね~、お腹にいる時って、何が影響するか分からないし。……それこそ、そいつの所為で『幸せな世界』が『辛い世界』になったかもしれない」
最後の会話は、声が小さすぎてよく聞き取れなかった。
「いっそさ。言われた分だけ言い返したら?」
「で、でも、それで『○○って言われたことがトラウマ』ってなったら」
あの子のこれからの人生に、暗い影を落としてしまうかも。
そうなっては、取り返しがつかない。
「それ、ただの八方美人てだけよ」
体の何処かから、ピシッと音が聞こえたような気がした。
「え?」と彼女を見ると、小馬鹿にしたような目とかち合った。
「我が子に言い負かされるのが怖いんでしょう?その先の人生だってあるから。いいじゃん、『お前のせいだ!』って言われたら、開き直れば」
絶対に無理だ。
私の表情で察したのか、彼女は「はあ……」と溜息を零す。
「損よねー、女って。産まなかったら『少子化』だの『生物としての役目がどうの』だの言われるのに、そういった人からは、また別の場所から非難されて。『そう言われるのが怖い』なんて言ったら、『自己中』だもん」
「わっかります!そういう思想の人たちだって、少子化に一役買っているってのに、あんまりキツく言ったら駄目なんですかねえ?センシティブなとこのしわ寄せが全部こっちに来ているんですよ!!」
「……………………」
「『愛』は『本能』に置き換えられて、相手と同じくらいの規模でキレても『更年期』だ『アレ』だで済まされる。主張なんて聞いちゃくれない。『あー、はいはい』で終わり」
忌々し気に、彼女は机を爪でトントンと叩く。
「その点、男は楽でいいわよ。生まれてくるのを待つだけだし、何かあったら文句言えるお立場だし。……最悪、力でねじ伏せられる」
胃が、石でも放り投げられたかのように重くなっていく。
「セクハラなんか、適度に距離を取って置けばそこまで気を遣わなくても平気だろうし、パワハラだって、上司にちょっと媚びへつらえばいいだけでしょ?本当、いいわよねぇ~」
それは違うっ!そう言いかけて、きゅっと口を閉じる。
話を聞いてもらったのだから、私も話を聞かないと。
ただ、やはり嫌だった。
だって夫を見ていたら、とても『楽』とは言えないから。
前に勤めていた会社で、夫は酷いパワハラをうけていた。
いや、あれはアルハラと言った方が正しいだろうか。
夫は酒がめっぽう弱かった。
それでも、あの時代は『飲まなければ話が進まない』時代だった。
入社したての頃、上司から『俺の酒が飲めねぇのか?』『そんな辛気臭い顔で飲むな!』と大勢の人の前で恫喝されたこともあったそうだ。
『今は何でもかんでもハラスメントで困る』
『ああ、こういうのはパワハラだよなぁ』
『まさか、俺と同世代のお前は、○○ハラとか言わないよな?』
そう前置きされ、ハラスメントが行われたことも一度や二度ではない。
一度、気を遣い過ぎて、ストレスで入院したことだってある。
部下や女性社員に『訴えますよ』『それ、○○ハラです』と言われやしないか、と笑顔の裏でずっと冷や汗をかいていた。
それに加え、上層部は(時代が変わったからと言って、ガラリと考え方が変わるなんてないから、しかたないのだろうけど)昔の考えが根強い。
残業に飲み会、取引先に対する、『自然』な接待。
不快にさせず、さりとて媚びている感じも出さない、微妙な距離。
ほんの少しでも、部下や女性社員をよく言おうものなら『……えっ、同い年なのにそっち側?』と笑顔の圧を両方から受ける。
そして、お局様からは『男だったら、女が重い物を持っていたら、黙って持ちなさいよ!』『あーっ、あんた、△△さんのこと、いやらしい目で見ていたでしょう?……違う?いや、女の勘ってヤツで、分かるんだからね!そういうの』と、ないことないことを言われる。
言われるだけならまだいいが、休憩時間に『本当の事』『まるで自分がその場に居たかのように』話をされるのだ。
それも、尾鰭のみならず、胸鰭や背びれも付いて。
話を聞くメンバーは、ゴシップ好きな者たちばかりだ。
他の者も、空気を呼んで黙っているだけ。
それがどれだけのストレスを生むのか、知りもしないで。
だから、会社を辞めて、新しい会社に移ったのだ。
それを、知っているから――。
「男って、基本何にも考えていないでしょ?よく『男の鬱』とか聞くけど、うちの夫見てると、どうにも嘘くさくって~」
この人の、こういった言葉が大嫌いだ。
考えていないなら、夫はあんな事にはならなかったのだから。
ああダメ。そんなことを考えちゃ。これも一つの意見。
そっと休憩室に繋がる扉を見る。
今日は男性スタッフはいない筈、だから聞かれてはいないと思う。
ただ、防音設備のない休憩所だ。
拝観者の方に聞かれていたらと思うと、ヒヤヒヤする。
この間も『会話するのは良いんですけど、もう少し声を抑えて』と注意を受けたばかりなのだから。
◇◇◇
休憩を終え、他の三人よりも十五分早めに持ち場へと戻る。
幸い、拝観者はなく、静かなものだった。
「あっ」
ハンカチを忘れていたことに気づき、休憩所へと戻る。
ずっと昔、母の日にあの子がくれたハンカチだ。
休憩所の扉に手をかけようとした時――。
「さっきの○○さんの話だけど、絶対盛ってるよね~」
嘲るような笑い声混じりの言葉が、私の耳に届いた。




