あるモブの話
現在連載しております、『醜くも綺麗な一瞬』のとある町のとあるモブのお話です。
読まなくても、物語の進行に影響はございません。
こぼれ話の一つとして、お楽しみください。
ドンッ!!!
ものすごい勢いで扉が閉まり、どかどかと五月蠅い足音が聞こえてくる。
わざと私に聞かせているんじゃと思うくらい。
リビングの扉を開け、入ってきたそれは、何とも言えない奇声を発しながら、テレビの前に置かれたソファにダイブする。
いい年をした大人がみっともない。
あと、自分の体重を考えて。壊れるから。
「あ~~~っ!むっかつく!!ムカつくムカつくムカつくっ!!!」
うっせぇ、ババア。
私が言ったら「はしたない」って怒るくせに。
いつもの口調はどうしたのよ。
甲高い声で『はぁーい』とか『でぇーす』とか言うくせに。
このまま無視して部屋に帰りたいが、『冷たい娘』なんて職場の人に言われたりしたら嫌だ、ウザいし。
「ママ、どうしたの?」
「音律さんよ!音律さん!!あのマウント女と話していると気が狂いそうになってくるのよっ!いっつも私を見下して……!!」
『音律さん』……ママの友達(笑)。
エステだかサロンだかで知り合ったって言う。
「今日も、『あら、可愛らしいネックレス。○○さんが買っているリリーちゃん&ピンクちゃん(犬)とお揃いだわ』なんて言うのよっ!?その後に『いつも思っていたんですけど、××さん、服のセンスがお洒落ですね。素敵』何て言われても、全然嬉しくねーんだわ!!ちっくしょう、ちょっと金持ちだからって見下しやがってぇっ!!!」
見下される。
それ被害妄想でしょ、と言えないのが辛いところだ。
だって、本物セレブにもどきが勝てるわけないし。
だから高そうなエステに庶民が無理して行くなって話なのよ。
『一回でいいから、お高いお店に行ってみたい』
今更だけど、どんな手を使ってでも止めるべきだった。
その一回で、厄介なのと、出会ってしまったんだから。
仲の良い『友達』に、ワンランク下の店を紹介するわけにはいかないもんね。
それに、友達は一人じゃない。
ハブられない為には皆とレベルを合わせないと。
「あのネックレス、どれだけ高かったと思ってんだっ!自分の力で金持ちになったわけでもない癖に、ボランティア活動ではニコニコと善人ぶって、陰でなかなか参加できない△△さんの悪口言って、皆でケラケラ笑ってんの知ってんだからねっ!?!普段は友達面している癖に。……ああ、もう!温泉旅行の約束なんかしなきゃよかったっ!!」
でも、行かないと陰で馬鹿にされるから行かないと、そんな言葉を呪詛のように友達(笑)に向けて呟いている。
自分は『ちゃんとした子とお友達になりなさいね』って言っといてなんてザマ。
借金だけはしないでよ、そう願うばかりだ。
口に出したら、機嫌が悪くなるし……。
スマホに着信が入る。
「はぁーい?もしもぉーし」
いつもの口調と声。我が母ながら凄い切り替えの早さだ。
電話の相手のことを思うと、別の憂鬱が湧いてくるけど。
母の姉……私にとっては伯母さんだ。
娘が二人いて、姉はもう何年も引き籠り生活をしている。
原因はイジメ。
主犯格の女子生徒も、その姉も事故で死んだ。
でも、そんなのなんの意味もない。
ずっと影に怯えている。
傷は永遠に消えることはないのだ。
時折、伯母さんが鼻を啜る音が聞こえてくる。
きっと、またお姉さん(私にとってはいとこ)と喧嘩をしたのだろう。
『お父さんもお母さんも、あなたより先に死ぬのよ?』
つい、そんな言葉を吐いてしまったんだろう、とアタリをつける。
でも、それは別にいい。問題はその後。
暫く慰めた後は、愚痴大会が開催される。
そして、郁子先生のことを悪く言うのだ。
あんなに生徒思いの優しい先生、他にいないのにっ……!!
てか、もう何回その話をしたら気が済むのよ。
とっくに終わった事じゃない。
まるで昨日のことのようにネチネチと……!!
『別にぃ、あなたの望む道に進ませてやりなさいって言ったことを怒っていっているんじゃないのぉ。ただ、あの人の生徒……特に女子生徒を見る目。ママには蔑んでいる様にしか見えないのよぉ。ううん、目だけじゃない、体全体で女を見下しているって言うかぁ、支配欲?みたいなものが滲み出ているって言うかぁ……』
ああっ!思い出すだけでも腹が立つ!!
もっと腹が立つのは、それを先生に遠回しに言ったことだ。
ざっくりと言うと『男の人って、そうやって女を見下す人ばかりですよねぇ。特にぃ、あなたぐらいの年齢の人はぁ』だ。
あんな、ウザったい口調の甲高い声でそんな事を言われたら、どんな温厚な人だって殺意の一つ芽生えるってもんよっ!
どう見たって、イカれたモンペじゃん!
二年程前、今年で十二歳になる妹が(理由は話してくれなかったから知らない)クラスメイトの子に殴られ、大泣きしたことがあった。
私の好きな作家さんと(音だけ)同じ名前の嫌な家族。
お父さんは小説家らしいけど、きっとろくな物語じゃない。
まあ、あの後すぐに私たち一家は父の仕事の都合で引っ越したから、もう会うことはないんだけど。
あれとはまた違う、別のモンペだ。
それなのに『母と娘は別』と割り切って、いつものように接してくれて。
『これだから、女は――』ってなっても、おかしくないのに。
私が謝ったら『××が謝ることじゃないさ。それに、□県出身の人が事件を起こしても、その県に住んでいる全ての人が悪いなんて話はないだろう?それと同じさ!……いつか、お母さんにもわかってもらえたら嬉しい』なんて――。
それなのに、伯母さんに愚痴る酷い奴。
やめてって言っても、本当だものって返される。
もう随分と会ってはいないけど、進路で揉めたことを誰かに知られる、大好きな先生を貶されるだなんて、不愉快極まりない!!
途端に今の状況が馬鹿らしくなった。
こんな母親の傍に、律儀にいてやることはない。
自分の先入観で誰かを下げる、一部のスノドロ民と同じ奴の傍になんか。
リビングを出ようとしたところで母が小声で「お兄ちゃんの勉強の邪魔しちゃ駄目よ?」と言ってきた。
はいはい、わかってますよ。
親の前では優等生の、素晴らしいお兄様の邪魔はしませんとも。
お兄ちゃんが『でさび(どんな字かは知らないし、興味もない)』とか言うヤバい連中とつるんでいるなんて知ったら、どんな顔するのかな~。
好奇心半分、恐怖半分だ。
どうやって知り合ったのかは知らないけど、大方、塾をサボって、ゲーセンにでも行った時に出会ったのだろう。
……一昨日の夜、家に帰りたくなくて自転車であてもなく彷徨っていた時、コンビニ前で兄が『でさび』たちと一緒に、同い年ぐらいの大人しそうな子を蹴り飛ばしているのが見えた。
あの時(……あれ?あの人の口ぶりからして、『でさび』ってお兄ちゃんよりも年下なの?ガタイがいいからわからなかった)と思ったものだ。
我が兄は『年上の頼れる友達』なのか『都合のいい数合わせ』なのか、それとも『いざとなったら、こいつに命令されましたと言う為のコマ』なのか、どれだろう?
あの時撮っていた動画は、今も消されずにあるのだろうか?
逃げるようにその場を離れてしまったから、あの人がどうなったかわからない。
死んではいないと思うけど。
あの人も、お姉さんみたいになってしまうのだろうか?
でも、兄に直接、聞くわけにはいかない。
だって、私たち家族はこんなに『平和』なんだから。
それを、壊したくはない。
それに、あの光景を見てもなお、『自分の兄があんなことをするわけない、あれはただの悪い夢だったんだ』そう信じていたい自分がいる。
「はああぁぁぁ……」
のろのろと部屋に入り、パソコンを開く。
ロベリアチューブで、『セキチク』さんの過去の配信を見る。
……ママとそっくりな人だから、見だしたんだっけ?
マスクで隠れている部分以外のパーツも似ていた。
正直、伯母さんよりもこっちの方が姉妹に見える。
ママがマスクをつけて並んだら、知らない人なら双子と勘違いしそうだ。
世の中には、同じ顔の人間が三人いるとは言うけど。
声もそっくりで、『こんな偶然あるんだな』『星の数ほどある動画の中でこの人に出会ったのも運命的な何かを感じる』『可愛い絵なのに、再生数めちゃくちゃ少なくて残念……』そう思っていた。
でも、今の動画は視聴していない。
いつの頃からか、男性下げな発言が目立つようになったから。
今はまだチクチクとだが、これからもっと過激なことを言い出しそうで怖い。
『指導教官』って奴の所為で。
元凶に怒ったところで『影響される方が悪い!』って言われそうだ。
……ほんの少し前までは、イラストとは別の話でも『アリス』さんが原作を務めている漫画や小説の話とかしてくれて、楽しかったんだけどなぁ。
凄く華やかで乙女チックで、それでいてダークな世界観が特徴的で、凄く繊細な心理描写を書く(恐らくは女性)作者さん。
身近に語れる人がいなかったから、余計に嬉しかったのに。
最近の配信の方が再生数は徐々に増え続けているけど、もう私の好きだったセキチクさんはいない。
そして、指導教官も気がついたら消えていた。
いた期間は三ヶ月よりちょっと多いくらいだろうか?
でも、いなくなって解決と言うものではない。
大きな傷跡を残しやがった。
いや、別の『何か』を産み落としていきやがった。
同時に『短期間で、ここまで人を悪い方向に変えられるなんて、ある意味才能ね』なんて思ったりもした。
はあ、郁子先生がこうなっちゃったのなら、まだ理解はできたんだけど……いやいや、こんな人一人の心を壊すような怪物になって欲しくはない。
でも、セキチクさんも、その怪物になりつつある。
いや、もうなっているのかもしれない。
一度だけコメントを描き込んだことがあるが、すぐに埋もれてしまったし、『男の味方をするなんて――』と別の人から叩かれた。
妹が「ママの声うるさい」と私の部屋に入ってきた。
視聴を止め、視線を移す。
見ると、手にはグシャグシャになった火祭りのポスターが握られている。
「最悪、アイツも覆水県にいるんだよ!しかも、こんな賞とってる!!よく見たら名前書いてあるの!ほら、端っこ!!全然、気が付かなかった!!!」
私の妹を泣かせたあのガキ。
なんて偶然なんだ、と自身の手をギュッと握る。
「暗闇に乗じて、一発殴ってこようか?」
「ううん、いい」
「ネットで叩くのは不味いけど、何かしら仕返ししたくないの?」
「もう関わりたくない。違う学校だし。中学も違う」
それで許すのか。なんて優しい子。
家族の中で、お父さんと妹だけが癒しだ。
感謝しろよな、クソガキ。
妹が出て行った後、再度、ロベリアチューブを観る気にもなれなくて、私はパソコンを閉じ、スマホを開く。
猫や鳥の死骸がずらりと並んでいる。
どれも、普通の人なら目を背けたくなるものばかりだ。
でも、私にとってはオアシス。
妹の癒しとはまた違う、別の癒しが押し寄せる。
グロ画像を検索しなくっても、少し歩けば手に入るお宝。
誰だか知らないけれど、感謝している。
自分でやるには、リスクがありすぎるからね。
……?何やら楽しげな音が聞こえてきた。
それが自分の鼻歌であると気づくのは、もう少し後。