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三話 森の中を旅する二人



 次の日、辺りが明るくなって来た頃にジョゼフは目覚める。

 腕のしびれを感じて、血を巡らそうと動かすが腕に重さを感じる。

 なんだか今朝はとても毛布の中が暖かい。


 ふと横を見ると、腕の上には美しい女性の頭が乗っており、そのキツい眼差しがジッとジョゼフを睨んでいた。


「…おはよう…シーラ。」


 あっと言う間に覚醒したジョゼフは、出来るだけにこやかに朝の挨拶をシーラにするが、彼女はジョゼフを睨んだままだった。

 蛇に睨まれたカエルとはこんな気持ちなんだろうかとジョゼフは思う。


「あの…シーラさん…? 」


「…なんで手を出して来ないのよ…。」


 その普段の彼女とは違う低い声に、思わずジョゼフは震えてしまう。

 ここでの答えを間違うと命の危険がある。そんな動物的な本能がジョゼフに危険を警告していた。


「いや…()()結婚もしていないのに手は出せないだろう? 」


「…あっ…。そうね…そうね…。」


「そうだろ? 」


 急に赤くなって落ち着きが無くなって行くシーラを見ながら、ジョゼフは危険が去った事に安堵の溜息を漏らす。


「そんな、ごめんなさい。逆に我慢させちゃったね。昨日水浴びをして来いなんて言って石鹸を渡されたから、てっきりそう言うことかと思って…。」


「綺麗な子が汚れたままだとイヤだろ? 石鹸を渡したのはそう言う意味さ。」


「…! もう!ジョゼフったら…。」


 シーラは胸をつんつんと指でつついて腕の中にもぐりこんで来ようとする。

 柔らかい素肌がピッタリと貼りついて来て、ジョゼフはシーラが何も着ていない事を思い出す。


 ジョゼフはこの森に来る前に装備を整えた雑品屋のおばあさんの裸を思い浮かべ、何とか耐え切った。


「それじゃあ顔を洗っておいで。片付けたら出発しよう。」


「うん。お湯を沸かしておくね。」


 そのままシーラは毛布を出て行く。真っ白なお尻が目に入ったが、慌てて目を逸らして事なきを得た。


 ジョゼフは自分が落ち着くまでややしばらく待ってから、やっと毛布から這い出すと、野営(キャンプ)の片づけを始めるのだった。



*



 シーラとの旅は順調に進み、明日は街にたどり着けるところまで来ていた。

 途中で何匹か魔物と遭遇したが、シーラと二人ならば全く危なげなく進む事が出来た。


 風呂に入れるのは有難かったが、昨日の夜もテントに入るとシーラは何も纏わずにピッタリとくっついて来て、ジョゼフはあまり眠る事が出来ていなかった。


 ただ、その安心したような寝顔を見て、ジョゼフも少しだけ幸せな気分になった。


ジョゼフは今までパーティを組まずにやって来ていたが、こういうのも悪くないと思い始めていた。



「今日はこの辺りで野営(キャンプ)しようか。」


「水場も近いし、時間もそろそろ日が暮れるから…だっけ? 」


 シーラはジョゼフが教える旅の知識をグングンと吸収して行った。

 家を出て来る時には、東西南北も良く解っていなかったようで、それならば迷ってしまうのも仕方がないなとジョゼフは思う。


「そうそう。暗くなってから野営(キャンプ)を始めようとしても、まったく物が見えない暗闇では何をするにも時間が掛かる。だから必ず明るいうちに野営(キャンプ)の準備が終わるようにしなくちゃならない。山の影なんかだと意外と暗くなるのが速かったりするから、注意しなくちゃならないんだ。」


「そうなんだ…。確かに暗闇だと歩きづらいもんね。」


「シーラは夜目が効くのかい? 」


「嫁って…。」


「いや違う。暗闇でも物が見えるのか? 」


 ジョゼフは慌てて訂正する。こうした単語には気を付けないと、シーラはすぐに反応してしなだれかかって来るのだ。


「…そうね。昼間と同じようには見えないけど、テントを立てるくらいなら出来るよ? 」


 少し残念そうに言うシーラ。ジョゼフは思わず下を見てしまって、意識が集中してしまうのを感じる。


――あぶない、あぶない…。雑品屋のおばあさんには感謝しないと。



*



 それからは順調に準備が進んで行く。背嚢を下すと、上にきちんと丸めてあったタープを広げ、裾に付いて居るハトメにロープを通して行く。そしてそれを大きな三角形になるように広げると、三角の頂点にあるハトメから伸びるロープの先を大きな釘で地面に打ち付ける。


 そして、入り口側にちょうど良い長さに切った太めの枝を立てれば、簡易的なテントが出来上がる。


「シーラも送ったりしなくてはならないし、ちょっと大きめの幕体を買っておこうか…。」


 皺も無く張れたテントを眺めると、ジョゼフはぽつりとつぶやく。


 人一人が寝るには充分な広さがあったが、さすがに二人となると狭い。それに入り口は開け放したままになってしまうので、虫も入り放題だった。


 今回の旅は三日間で終わるが、もしシーラを送るとなると、その旅は何日掛かるか解らない。

 シーラは一か月ほど森の中を彷徨っていたらしかったが、まっすぐ行ってどれだけ掛かるのかも何とも言えなかった。


――最大一か月と考えると、もっと荷物を準備する必要があるな。


 ジョゼフは準備する荷物の事を考えるが、先の事はまだ解らないと頭を振ると、子供の頭ほどある石を選んで拾い始めた。



「食材洗ってきたよー。」


 ジョゼフが転がっている石を拾い、たき火台を作っていると、シーラの元気な声が泉の方から響いて来る。


「ほい。その辺りに置いておいてくれ。」



 今日野営(キャンプ)の場所に選んだのは、行きしなに通った場所で、小さな泉を三方から崖が囲む静かな森だった。

 この辺りまで戻って来ると、さすがに魔物も弱い物しかおらず、魔除けの護符も使わずに寝る事が出来そうだった。


 準備が整ったころには、紫色に染まっていた空も段々と黒く塗りつぶされて行った。


 たき火がパチパチと爆ぜて、暖かさと明るさを二人に提供してくれていた。



「あたしにもやらせて? 」


「ああ。頼む。こっちに来な。」


 ジョゼフが山菜を刻んでいるのを見ていたシーラが自分にもやらせて欲しいとねだる。

 これからは二人分を毎日準備しなくてはならない事を思うと、そのうちこういった料理も覚えて貰わなくてはならない。ジョゼフは二つ返事で教える事にした。


 ジョゼフから木の板を受け取って膝の上に置くと、シーラは腰に指していた小刀を抜いて恐る恐る切ろうとする。


「ダメだ。こういうものを切る時には、手を丸めないと指を切ってしまうぞ? 」


 シーラの白魚の様な指がまっすぐに伸びていたのを見たジョゼフは、後ろに回ってシーラの手を丸め、握った手で食材を押えるように形を教える。


「あ、あのっ…。」


 シーラが突然ジョゼフの腕の中でたじろいだ。


「あ、スマン! 」


 後ろから抱きかかえて手を重ね合わせる体勢になっていたことに気が付いたジョゼフは、慌てて離れる。


 真っ赤になってうつむくシーラは、焚火の光に照らされて更に美しく見えた。


――普段はあんなに激しいアピールをしてくるのに…ズルいぞ。


 ジョゼフは天を仰ぎながら、誰に言うでもなくそう心の中でつぶやくのだった。



*



「もうおなかいっぱい…。」


 今日のスープも美味しく出来たとジョゼフは思う。

 道中に食べられる薬草やキノコ、山菜をたっぷり取って来て、腰に下げた袋は一杯になっていたが、その全ては無くなっていた。


 ジョゼフも食べたが、シーラはさらに食べた。この細い身体の何処に入っているんだろうとジョゼフは思う。


 今日は締めには東の方で取れる米を入れて、じっくりと煮込んだのだったが、肉や野菜のうまみがしみ込んだその雑穀は、ジョゼフも思わずうなってしまうほどに美味かった。



「さっき冷やしてたのを持ってくるよ。」


 ジョゼフはそう言って立ち上がると、泉に沈めておいたザルを取って戻って来る。


「これ大好きなの。」


「それなら良かった。たくさん食べろ。」


 二人で食後に泉で冷やしていた野イチゴを食べた。

 ふんわりとした甘さに二人は顔を見合わせて微笑み合う。


 その姿は仲の良い夫婦のようにも見えた。



*



「さて…そろそろ寝るか。先にテントに行ってな。」


 泉の傍に出来ていた湯船に交代で入ると、もう夜も更けて来て肌寒い空気が周りを包むようになって来ていた。


「イ・ヤ・。ジョゼフが寝てから入るの。」


 湯上りの貫頭衣のまま、顎に両手を当ててシーラがほほ笑む。

 あちらこちらからはみ出しそうになっている白い肌が、揺れるたき火に照らされて艶めかしい。

 細い身体に出て居る所は出ているなんて、これもズルいわとジョゼフは思う。



 言い出したら聞かないのは解っていたので、ジョゼフは諦めて腰のスキットルに手を伸ばす。それには火酒が入れてあった。


 ジョゼフは普段から酔うほどには飲まないが、眠れない時や寒さに凍える時にちびりちびりとこの酒を飲むのが好きだった。

 さすがにジョゼフも若い男である。一人で居た時間が長く、特に女性とは何年も触れ合っていない身には、この連日の刺激は強すぎた。


――さすがに家出娘に手を出す訳にはいかんしなあ。迷ったという状況でも無ければ、これだけ好意を示してくれる事も無いだろうし…。


 ジョゼフはそんな事を思う。だから早めに酔ってさっさと寝てしまう事にしたのだ。



*



「ね。あたしにもそれちょうだい? 」


 ジョゼフが飲んでいる姿を興味深げに見ていたシーラは、火酒をよこせとせがむ。

 まあ成人しているし、ちょっとくらいなら良いかとジョゼフは思い、スキットルの蓋に少しだけ火酒を入れるとシーラに渡す。

 彼女が夜に抱きついてくる度に、心臓が跳ね上がりそうになるため、おとなしく寝ていて欲しいと思って酒を渡したのだ。


 その火酒の臭いを嗅いだり、色を確かめたりしているシーラの姿は、非常に愛らしく見えた。彼女のころころと変わる表情や、その明るさ、そしてその愛らしさにジョゼフは一人旅では決して得られなかった充足感を覚えるようになっていた。


――このまま彼女とずっと旅をするのもまた良い事かもな。


 ジョゼフは思う。だから関係が変わってしまう事を恐れて手を出せない気持ちもあった。


「あー。これ美味しいかも。」


「ドワーフ族特製の火酒だからな。一気に飲むと喉がやられるぞ。あと火の粉が入らないように気を付けろよ? 」


「うん。なんだかね。ふわふわするー。」


 ニコニコと笑いながら、ちびりちびりと飲む姿を見て、ジョゼフはさらにこの娘と別れたくないという想いを強くする。


 そして、今日狩って来た魔物の話をしたりしながら、シーラが火酒を飲み終わるまでその泉には笑い声が響いていた。


「さて…。眠くなって来たし、そろそろ寝るか。」


「うん…いっしょにねるー…。」


 もう半分目が閉じかかっているシーラは、歳相応の幼さを見せていた。

 いつもこれだけ素直なら、もっと可愛いのにとジョゼフは思った。


「おやすみ。シーラ。」


「おやすみージョゼフ。」


 そうして、ふっと泉の周りは静かになった。



*



「もう我慢出来ない! 」


 一時間ほど経ったあと、テントの中から声が聞こえた。


「いや…ちょ…まっ…。」


「いいじゃないか! もうこんなにして! 」


「だから…それはそんなんじゃなくって! 」


「いいよね。もう。」


「だ…ダメだって! 」


「なあに直ぐに終わる。テントの皺の数でも数えてればいい。」


「いやぁあああ…」


 絶叫と共にテントが激しく揺れて、そして静かになった。



*



「だから…ごめんってば…。」


 翌朝、泉の傍には二人の男女が居た。片方は顔を両手で覆い、片方はその肩に手を置いている。

 どうやら慰めているようだった。


「まさかあんなに乱暴だとは思わなかった。」


「ちょっと飲みすぎちゃったみたいでさ…。」


「だからって無理やり押え付けてなんて酷いよ。イヤだって言ってるのに。」


「そんなにイヤだった…? 」


「イヤって訳じゃないけど、もうちょっとこう雰囲気とか場所とか…。」


「イヤじゃ無ければいいじゃない! わたしだって初めてだったんだから! 」


「それは解ってるんだけどさ…。」


「…悪かったわ。もうお酒は飲まない事にする…。」



 一線だけは何としても越えまいと決意していたジョゼフだったが、昨晩はシーラに組み伏せられると、あっと言う間にその線を踏み越えてしまっていた。


 まさか、魔力を漲らせるとあれだけ凄い力が出せるとは思わなかった。


 真っ赤に染まる瞳に、ジョゼフは久しぶりの恐怖を覚え、思わずダメだと言おうとしたが、声になったのはあれだけだった。

 喰われる。本気でそう恐怖したのだった。


――実際に食われてしまった訳だが…。


 目の前で落ち込んでいるシーラを見ると、逆に罪悪感が沸いて来る。どうせいずれはこうなっていた。ジョゼフはそう思う。



*



 早いか遅いかの違いでしか無い。そう思うと、この娘と一緒に居たいと思っていたならどうせ我慢が出来なかったのは自分の方だったとも思う。


「わかったよ。シーラ。もう気にしてないから一緒に行こう。」


 膝を腕で抱え込んでしょんぼりとしてしまっているシーラの手を取る。


「いいの? 」


「だって君は僕のお嫁さんなんだろ? 」


 シーラの目に涙が溜まり、ジョゼフが差し出した手を取る。


 そうして立ち上がった二人は、荷物を取ると朝日の昇る方へと歩き出す。

 街はもうすぐそこだ。今晩は久しぶりにベッドで眠る事が出来るだろう。


 部屋はどんなところにしようか。ジョゼフはそんな事を考える。


 この隣で笑っている娘に、今まで経験をしてこなかった事をたくさんさせてやるのだ。


 そう決意しながら、ジョゼフは歩みを速める。



「ちょっと待って。なんだかまだ挟まってる気がするの…。」


「そういう生々しい言い方は止めなさい。」


 ジョゼフは笑顔でため息をつきながら、彼女が追いついて来るのを待つのだった。

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