第一話 清掃員、スライムを拭く
ダンジョンの床は、思ったより汚い。
血、泥、薬草の汁。誰かが落とした干し肉。あと、なぜか靴下。
「探索者って、靴下を片方だけ落とす呪いでも受けてるのか?」
俺、久瀬直人は、モップを片手にため息をついた。
夢だった探索者を諦めて三年。今ではダンジョン管理会社の契約社員として、迷宮の清掃をしている。剣を振るう代わりにモップを振り、魔物を倒す代わりに床を磨く。
仕事内容に不満はない。危険区域には入らないし、定時で帰れる。なにより、命を懸けなくていい。
ただし、床に落ちている靴下の持ち主だけは、いつか見つけて文句を言いたい。
そんなことを考えながら、管理用端末を確認した。
「本日の作業予定……っと」
画面には、いつもの清掃区域が表示されているはずだった。
ところが、見慣れない文字が浮かんでいた。
『本日の業務』
『スライム汚れを五か所、きれいに拭き取れ』
『報酬:清掃技術が少し向上する』
「……会社、ついに端末にゲーム機能を入れたのか?」
端末を再起動しても文字は消えない。画面を拭いても、もちろん消えない。
試しに「完了」のボタンを押してみる。
『未達成の業務があります』
仕事には厳しいな、この端末。
俺は諦めて、通路の奥へ進んだ。担当区域の一階は、探索者が入る前の準備エリアだ。出現する魔物も弱いスライムくらいで、清掃員でも安全に作業できる。
そのスライムが、通路の真ん中にいた。
青くて、ぷるぷるしていて、床にべったりと広がっている。
「お前、そこにいると清掃の邪魔なんだけど」
スライムは返事をしない。まあ、返事をされても困る。
俺は会社支給の長柄ブラシで、端からそっと押した。すると、スライムは予想以上の勢いで跳ねた。
「うわっ」
避けた拍子に、ブラシの柄がスライムの中心に当たる。
ぼよん、と妙に大きな音がして、スライムが壁まで飛んでいった。
壁にぶつかったスライムは、床に落ちて動かなくなる。
通路に、静けさが戻った。
「……清掃員の仕事って、これで合ってるのか?」
そのとき、端末が短く鳴った。
『業務達成:スライム汚れを一か所清掃』
『清掃技術が向上しました』
続けて、俺の手元にあったブラシが淡く光った。
『スキル《汚れ落とし》を習得しました』
「そんなスキルあるのかよ」
試しに、ブラシで床をなでてみる。
黒くこびりついていた泥が、ひと撫でで消えた。
「おお。これは便利だな」
これなら清掃時間を短縮できる。つまり定時退勤に近づく。すばらしい。
俺はやる気を出して、残りのスライム汚れを探した。
その後、作業は順調に進んだ。
壁の汚れを落とし、床の汚れを落とし、最後の一か所を磨き終える。
『本日の業務達成』
『報酬:体力が少し向上しました』
「体力か。掃除で疲れにくくなるなら、これもありがたい」
端末をしまおうとしたとき、画面がもう一度光った。
『追加業務が発生しました』
「定時前に追加業務?」
嫌な予感しかしない。
『地下二階の非常扉を確認してください』
『報酬:未設定』
地下二階は、清掃員の担当区域ではない。立ち入り禁止の札が貼られた階段の先だ。
しかも、端末の地図を見ると、非常扉は今いる場所からかなり遠い。
「未設定って、報酬なしってことじゃないだろうな」
断ろうとした瞬間、地下へ続く階段の奥から、かすかな音が聞こえた。
――たすけて。
俺は、ブラシを握り直した。
仕事だから行くんじゃない。
定時まで、まだ少し時間があるからだ。
「……確認だけだ。確認したら帰る」
そう自分に言い聞かせて、俺は立ち入り禁止の階段を下りた。




