インテリジェントデザイン論
インテリジェントデザイン論、というものがある。ざっくり(本当にざっくり)言うと「生物の形態は環境に適応して取捨選択され進化する」というダーウィンの進化論に対して「いや、どう考えてもそれだけでは説明のつかないデザインがある。生物の形態は、何か人知を超えた存在(=神として説明されることが多い)がデザインしているに違いない」というのがインテリジェントデザイン論である。
例としてよくあげられるのはツノゼミだ。頭の上に垂直に、体長と変わらない大きさの角を生やしている。それもあろうことか、日本の民家の屋根にあるテレビのアンテナのような形をしていて、ぱっと見には邪魔でしかない様に見える。
けどこれって人間の感覚であって、実際にはこれすらも適応の結果ではないかと思っている。たとえば、人間に聞こえる音域の鳴き声は通常のセミと同じ発音機構だが、人間に聞こえない音域の発音機構の役割を担っているかもしれない。
あるいは、天敵の目をくらますことに役立っているか。ツノゼミの天敵はよくわからないが、天敵が人間の感知できない、たとえば生体電流や赤外線、あるいはごく微かな匂いなどによって獲物を認識している場合、あの角がダミーの生体電流なり赤外線なり匂いなどを発して回避しているのかもしれない。人間からすれば妙な形状に思える角の形も、あの形をしていることによって効率よくダミー情報を作れるのかもしれない。だとしたら、人間の感覚からすると意味不明なデザインもやっぱり進化論の結果ということになる。
なんてことは、とっくに誰か研究しているかもしれないけど、小説のネタになるかもということで忘備録を兼ねて書いてみました。