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鋼の檻に咲く黒百合 ~魔力最低で騎士になれなかった少女が、秘めた魔眼によって夢を取り戻す~  作者: しぇくしーふっふー
騎士学校 一年編

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第十五話 同じ目線の友

7月2日の訓練場。


ヴァルカ・カルデアは観客席の中段に座ったまま、動けずにいた。


 赤い緩いウェーブのかかったロングヘアが肩から背に流れている。魔族特有の角が頭部に生え、瞳にも種族の色が宿っていた。明るく快活な印象を与える整った顔立ち。元八魔将「業炎の魔女」と称されたエンブラ・カルデアを祖母に持つ、魔族の血筋だ。孤児院「カルデア」で多くの子供たちの「姉」として育ち、今は騎士学校の特別選抜科に在籍している。


目の前で起きている出来事を、頭が上手く処理しきれない。


中央には二人。黒髪の少女と灰色の髪の少女。木刀と木剣が交差するたびに、乾いた音が訓練場へ響き渡る。どちらも一歩も引かない。


(……すごい)


その言葉しか出てこなかった。


魔力D−の編入生だと聞いていた。コネで入ってきたのだろうと、正直甘く見ていた。だが——今目の前にある光景は、そんな先入観を音を立てて打ち砕いていく。一年生で最強クラスの剣技を持つエルゼリスと、互角に渡り合っているのだ。


(あの人……)


束ねられた黒髪が揺れる。


(どんな人なんだろう)


単純な疑問が、頭の中で静かに広がっていく。


そして——引き分けが決まった瞬間、ヴァルカの胸の奥に、別の思いがじわりと浮かび上がった。


(あの人と、友達になれないかな)



それから数日が経った。


「友達になりたい」と思うことと、実際に踏み出すことは、まるで別の問題だった。


ヴァルカはその事実を痛感していた。


昼食の席で声をかけようと立ち上がっては、やめた。廊下ですれ違って何か言おうとしても、言葉が見つからない。授業が終わった後に近づこうとしたら、いつの間にかソフィアが隣にいてタイミングを逃してしまった。


(いつもなら、こういうのは得意なのに)


そうなのだ。普段のヴァルカに、人と話すことへの苦手意識などない。明るく声をかけ、相手の状況を察して手を差し伸べる。それが彼女の自然な振る舞いだった。


なのに——「友達になりたい」と踏み出そうとすると、足がすくむ。何かが違う。その「何か」が分からない。


(いつも通りにやればいいじゃないか)


そう自分に言い聞かせる間にも、廊下ですれ違ったクラスメイトが「ヴァルカ、またお昼一緒にいい?」と声をかけてくる。「もちろん!」と笑って返した。


慕われていることは分かる。頼られていることも。


だが、その頼られ方が「孤児院の姉」としてのそれとほとんど同じであることに、ヴァルカ自身は気づいていなかった。


(なんでだろうなぁ……)


漠然とした、うまく言葉にできない引っかかりが胸の奥にある。


みんな慕ってくれるし、頼ってくれる。


(でも——本当の友達って感じがしない)


理由は分からない。そもそも何が足りないのかすら、うまく掴めなかった。ただ漠然と「何か」が欠けていた。



翌日の昼休み。食堂に入ったヴァルカは、ふとある席に目を止めた。


綾目とソフィア、そしてミア・レインフォードの三人が並んで昼食をとっていた。


ミアが話しかけ、綾目が短く相槌を打つ。ソフィアはほとんど言葉を発しないが、時おり一言だけ挟む。特別賑やかなわけではなく、どちらかといえば静かな食卓だった。


それでも——ヴァルカには、その光景が酷く眩しく見えた。


(……いいな)


対等に話せる関係。同じ目線で向き合える人たち。


なぜそんな言葉が浮かんだのか、自分でも分からなかった。ただ、純粋に「いいな」と思った。


トレーを持ったまま立ち尽くしていたヴァルカは、ふと視線を感じて横を向いた。


少し離れた位置に、エルゼリス・ファルケンブルクが立っていた。


彼女も同じように、三人の席を見つめている。その表情はいつもの孤高なものとは少し違い——言葉にするなら「羨望」だろうか。


二人の目が合った。


エルゼリスはすぐに視線を逸らし、自分のトレーを持って別の席へ向かった。何も言わなかったし、何も起きなかった。


ただ、それだけでヴァルカには伝わってくるものがあった。


(あの人も、同じかもしれない)


それ以上は深く考えなかった。だが、その共感めいた感触だけが、胸の奥に静かに残った。



翌日。


今日こそは、と決意を固めてきた。


ヴァルカはトレーを持ち、三人が座る席へとまっすぐに向かった。歩き出してしまえば、案外難しいことではなかった。


「私も、いいかな?」


声に出してしまえば、緊張の半分は吹き飛んだ。


「どうぞどうぞ!」ミアが明るく応じる。「同じクラスのヴァルカさんですよね。ぜひ!」


綾目は「……どうぞ」と短く返し、ソフィアも小さく頷いた。それだけだったが、拒まれている気配はなかった。


ヴァルカは安堵とともに椅子を引き、腰を下ろす。


(よかった)


深呼吸をして、自然な笑顔を作る。いや、作らなくても自然に笑えていた。この三人に受け入れられたことが、素直に嬉しかった。


しばらくはミアとの会話が弾んだ。魔法の話、授業のこと、教師の噂話。ミアは話題が豊富で聞き上手でもある。


ヴァルカは心地よいテンポを感じながら、ふと綾目に目を向けた。


黙々と食べている。会話の邪魔をするわけでもなく、ただ静かに耳を傾けているようだった。


(何か——私にできることはないかな)


ヴァルカはごく自然に、いつもの癖で口を開いていた。


「綾目さん、魔力D−なんでしょ? それって色々大変じゃない? 何か困ってることない? 私でよければ力になるけど」


言ってから、ヴァルカは少し身を乗り出した。本当に、純粋に、彼女の助けになりたかった。



綾目は食事の手を止め、顔を上げた。


「いえ、特に困っていません。大丈夫です」


淡々とした声だった。


ヴァルカは——そのまま固まった。


(あれ……?)


提案を断られたことよりも、いつもと違う「反応」に戸惑った。


いつもの自分なら、こういう時は相手が少し安心して「ありがとう」と微笑んでくれる。頼ることに慣れていくはずなのだ。


しかし、綾目の態度は全く違った。「大丈夫です」——それだけで完結している。困っていないから必要ない、という明確な自己完結の意思がそこにあった。


(なんで……)


スプーンを持ったまま、ヴァルカは内心で狼狽していた。拒絶されたわけではない。ただ、自分のいつもの「やり方」が通用しなかった。


(私のやり方は、間違ってないはずなのに)


そう思いつつも、その「間違っていない」という根拠がどこにあるのか、ヴァルカは今初めて答えに窮していた。


会話は続いていた。ミアが何かを話し、ソフィアが短く応じる。ヴァルカもどうにか笑って話を合わせた。


そんな中、綾目だけが少しの間、沈黙していた。


——やがて、綾目が静かに口を開いた。



「ヴァルカさん」


呼ばれ、ヴァルカは顔を上げる。


「……少し、聞いてもいいですか」


「なに?」


綾目は少し間を置いた。いつも通りの静かな表情だったが、何かを深く見透かそうとしているのが伝わってくる。


「ヴァルカさんは、周りに人が多そうですね」


「うん、まあ……そうかな」


「慕われているんでしょう?」


「……うん」


「その人たちに、自分の困ったことを相談したことはありますか」


ヴァルカは、言葉に詰まった。


「……相談?」


「はい。自分が弱ったときとか、不安なときに、誰かに頼ったことがあるか、ということです」


言われてみて、記憶を辿る。


——思い当たらなかった。


困り事を誰かに打ち明けたことがあっただろうか。「大丈夫?」と聞かれることはあっても、いつも「大丈夫だよ」と笑って返してきた。弱音を吐いたことも、不安だと言ったこともない。


「……ない、かな」


自分の口から出た言葉に、自ら驚いた。そんな当たり前のことに、今まで気づきもしなかった。


「そうですか」


綾目はもう一度間を置いてから、静かに核心を突いた。


「同じ目線に立てる友達が、欲しいんですね?」


ヴァルカの思考が、ぴたりと止まった。


虚を突かれた感覚。反論しようとしたはずの言葉が、喉の奥に張り付いて出てこない。


「……え?」


「違いますか?」


「…………」


違う、と言おうとした。だが、どうしても言えなかった。


(同じ目線に立てる友達……)


(私が——欲しかったのは……)


頭の中で、絡まっていた糸が音もなく解けていく。


孤児院の子供たちの顔が浮かんだ。妹のように可愛がってきた、自分を「お姉ちゃん」と慕う子供たち。


騎士学校でも同じだった。いつの間にか「頼れるヴァルカ」という立ち位置に収まり、誰かの面倒ばかりを見てきた。


でも——誰かに、自分と同じ目線で向き合ってもらったことが、一度でもあっただろうか。


(……ない)


その事実に、初めて直面した。


「……そっか」


ヴァルカは、ぽつりとおこぼした。


「そうかも。そうだったのかも」


声の響きが違った。皆を元気付けるいつもの明朗な声ではなく、もっと弱々しい、等身大の素の声。


「私、ずっと——みんなの『お姉ちゃん』だったから」


同じ目線の友達なんて、いなかったのかもしれない。


言葉にして初めて、その意味がじんわりと体に沁み込んできた。


泣き出したいわけではない。ただ、肩の奥でずっと張り詰めていた何かが、ふっと解けていくような安堵感があった。



短い沈黙が降りた。


それを破ったのは、綾目だった。


「私も、友達は必要ないと思っていました」


ヴァルカは弾かれたように顔を上げる。


「一人のほうが煩わしさも無くて楽だと。ずっとそう思っていたので」


「……うん」


「でも」


綾目は珍しく言いよどみ、それから淡々と続けた。


「まだ数日ですけど。こうしてみんなでお昼を食べて、話して……こういうのは、楽しいですね」


飾らない、素直な言葉だった。


合理主義を体現するような綾目が、「楽しい」と口にした。その意味の大きさが、ヴァルカの胸を打つ。


(綾目さんも——今、変わろうとしているのか)


そう思うと、ひどく温かい気持ちになった。


「……私も、そうなれるかな」


「なれると思います」


綾目は断言した。何か明確な根拠があるわけではない。ただ、そう思ったから口にしたのだと分かる真っ直ぐな瞳だった。


その飾らない肯定が、ヴァルカにはたまらなく嬉しかった。



「じゃあ、これからは私たちと一緒に食べましょうよ!」


ミアが明るい声を上げ、椅子を少し寄せてヴァルカへにこりと微笑みかけた。「ね?」


ソフィアは何も言わなかったが、拒む気配はなく、ただ静かに受け入れる佇まいを見せている。


綾目も「どうぞ」と短く頷いた。


ヴァルカは三人の顔を順番に見渡す。


(……そっか)


胸の奥から、温かいものが込み上げてきた。いつもの完璧な「姉」としての笑顔ではない——もっと不恰好で、それでも心からの本物の笑顔が、自然とこぼれ落ちる。


「うん。……ありがとう」


生まれて初めて、こんなにも素直に感謝の言葉を口にできた気がした。



食堂の喧騒は続いている。


四人での昼食は、先ほどよりも少しだけ賑やかになった。ミアがヴァルカを会話に引き込み、あれこれと話題を振る。ソフィアが時折ボソッと一言を挟む。綾目は聞き役に回ることが多かったが、話を振られれば短く答えていた。


綾目は空になった食器をトレーに戻しながら、ふと思う。


(一人のままでも、特に寂しいとか困るとか、そういう感情はなかった)


それは今も変わらない。一人のほうが合理的だという判断も、決して間違いではないはずだ。


(でも——こうして周りに人がいるのも、悪くない)


本当に、ただそれだけのこと。純粋にそう思えた。



放課後。


エルゼリスは自室の椅子に深く腰掛け、マギスレートを膝の上に置いていた。


窓の外はすでに夕暮れに染まっている。だが、食堂で目にしたあの光景が、どうしても頭から離れなかった。


綾目、ソフィア、ミア、そしてヴァルカ。四人が並んで笑い合う、あの昼食の風景。


(私も……入りたかった)


でも、どうすればいいのか分からない。あの輪の中に自分が加わる場面を想像すると、途端に手足の動かし方すら分からなくなってしまう。それに——自分はあの手合わせを「叩き潰してやろう」という敵意で申し込んだのだ。その本音を相手が知ったら嫌われるのではないか。そう考えると、ますます動けなくなる。


(どうすれば……)


深いため息をつき、マギスレートを開く。


ホーム画面には、使い魔のアイコンが表示されていた。エルゼリスの髪色と同じ、薄みがかった灰色の鱗を持つ、手のひらサイズの小さな竜。マギスレートのAIアシスタントだ。


エルゼリスはチャット欄を開き、おもむろに話しかけた。


「友達を作るには、どうしたらいいと思う?」


少しの間を置いて、機械的な返答が届く。


『まず相手に興味を示すことが重要です。共通の話題を探したり、相手の話をよく聞いたりすることが、関係構築の基本とされています』


なるほど、と真面目にメモをとる。


『また、自分から声をかけることも大切です。受け身でいるより、積極的に接触する方が友人関係は早く深まる傾向があります』


『さらに、一緒に食事をするなど、日常的な時間を共有することも効果的です』


(一緒に食事……。あの席に、自分から声をかけるということか)


エルゼリスは画面を睨みつけた。理屈は分かる。頭では理解できるのだが、いざ実践となると体が強張る。友人関係というのは、なぜこれほどまでに難解なのだろうか。


「もっと、体系的に学べる方法はないの?」


『書籍やガイドラインも参考になります。たとえば、こちらはいかがでしょうか』


画面に小さなリンクが表示された。


『友達の作り方——人間関係の基本から応用まで』


エルゼリスは、そのタイトルをしばらく無言で見つめた。


(……こんな本が、存在するのか)


購入すべきか、数秒間真剣に悩む。


(誰かに見られたら、恥ずかしいな)


だが、ここは個室だ。誰も見ていない。


決意を固め、エルゼリスは購入ボタンをタップした。


ダウンロードが完了すると、使い魔の竜アイコンがちょこんと尻尾を振った。ただのプログラムの動作にすぎないのに、なぜか励まされているような気がした。


(……せめて、学ぶことから始めてみよう)


エルゼリスは密かに息を吐き、電子書籍の表紙を開いた。

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