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鋼の檻に咲く黒百合 ~魔力最低で騎士になれなかった少女が、秘めた魔眼によって夢を取り戻す~  作者: しぇくしーふっふー
騎士学校 一年編

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第十三話 水月と剛剣

二人は向かい合っていた。


訓練場の中央。木刀を下げた綾目と、木剣を手にしたエルゼリス。壁際に、窓枠に、入り口付近に——観客が隙間なく詰めていた。声はない。全員が固唾を呑んでいる。


エルゼリスが口を開いた。


「一つ、言っておきます」


丁寧な声だった。底にある何かを表に出さないまま。


「この立ち合いでは、魔法を使いません。剣技のみで、あなたに挑みます」


観客の中で小さなざわめきが起きた。


魔力A+の力を封じる宣言。エルゼリスの騎士道精神だと思う者もいれば、魔力D−の相手に気を遣ったのだと捉える者もいた。どちらも間違いではなかった。


綾目はその言葉を静かに受け取った。


(魔法を使わない、か)


内心で一拍の間があった。


(ならば——こちらも魔眼は使わない。刀術だけで応える)


口には出さず、ただ心の中で決めた。対等な条件で、純粋な剣技だけで。それが綾目の矜持だった。


二人は構えた。


エルゼリスは両手で木剣を正面に据えた。正統派の揺らぎない構えだった。重心が低く安定しており、どの方向へも即座に動ける。変則的な攻撃すら正面から受け止め、断ち切ることのできる正道の剣技だ。


綾目は——木刀を腰の脇に沈めた。居合の構えだった。刃を鞘に収めた状態を起点とし、抜刀と同時に斬る刀術固有の型だ。





観客から声が漏れた。


「……なんだ、あの構え」

「隙だらけじゃないか」


誰かが言った。確かにそう見えた。腰を落とさず、木刀は下げたまま。防御の意思がどこにも感じられない。


観客席の一角に落ち着いた金髪の青年がいた。


グレーがかった青い瞳。端正な顔立ちだが、表情を読ませない。均整のとれた体格に、皇族らしい所作が自然に滲んでいる。身長は一七三センチほど。制服の肩には特別選抜科の銀の刺繍があった。帝国第三皇子であることを知る者が近くにいたが、本人が「殿下はやめてくれ」と普段から言っているためか、周囲が表立ってそう呼ぶことはなかった。


帝国第三皇子、アレン・アウレリア。2年特別選抜科に在籍する皇子は、腕を組んで中央の二人を眺めていた。


「隙だらけだ」


静かに、しかしはっきりと言った。


「形だけを取り繕った素人では?」


その隣には一人の青年が立っていた。


赤みがかった黒髪が短く刈り込まれている。185cmの長身。がっしりとした筋肉質の体格に、金色の鋭い瞳。額からは二本の小さな角が生えていた——魔族の証だ。その立ち姿だけで周囲の空気が変わる。見ている者が自然と背筋を伸ばすような圧倒的な覇気があった。


近くの観客がまた囁く。「あれが学園最強の——」


ライオ・フォルセス。騎士学校現役最強にして、3年特別選抜科。総合戦闘披露会を2連覇している男が綾目の構えを見て、わずかに目を細めた。


「……お前にはそう見えるか?」


楽しそうに、しかし鋭くライオはアレンに返した。


アレンが眉をわずかに動かした。


ライオは中央の綾目を見ていた。その目に静かな確信が宿っている。


(あれは誘いだ。わざと隙を見せて間合いに引き込んでいる。踏み込んだ瞬間に——あの刃に吸い込まれる)


初見殺しの罠。水月の構えを、ライオは見た瞬間に見抜いていた。





エルゼリスの目もその構えを捉えていた。


(隙だらけ——いや、違う)


正統派の天才としてその直感が働いた。


(これはブラフだ。わざと隙を見せている。踏み込んだ瞬間に刈り取る——そういう構えだ)


確信に近かった。だからエルゼリスは動かず、じっと綾目の次の動きを待った。


綾目は動かないエルゼリスを見た。


(見破られたか)


一拍で判断した。


(なら、水月は通用しない)


次の瞬間、綾目が動いた。





「消えた!?」と誰かが叫んだ。


ほぼノーモーションだった。予備動作がない。足のバネだけで綾目が一気に間合いを詰める——縮地。束ねた黒髪が動作に遅れて揺れた。


アレンが目を見開いた。


「——速い!」


エルゼリスが反応した。


間合いに入った綾目が木刀を引き抜く。抜刀の一閃。木刀とはいえ、その速度と鋭さは本物の刀術だった。


しかしエルゼリスの木剣がそれを受け流した。


ぎん、と乾いた音が訓練場に響いた。木刀と木剣がぶつかり合って弾き、即座にエルゼリスが反撃に転じる。上段から力を乗せた一閃。


綾目が後退しながら受けた。


(重い……!)


木剣の重さが木刀を通じて伝わった。骨が痺れる。エルゼリスの剣には腕力だけでなく、全身の体重が乗っていた。正統派の剛剣。速度があり、かつ力もある。


間合いが開いた。綾目は木刀を下げ、再び構える。


今度は水月ではない。納刀の構え——正面から抜刀の起点を見せる。


エルゼリスがじりじりと間合いを詰めてきた。





激しい攻防が始まった。


綾目が踏み込む。エルゼリスが受けて反撃する。綾目がそれを回避し、返す刀で斬りつける。エルゼリスがまた捌く。木刀と木剣が交差するたびに、硬質な音が訓練場に響いた。


観客は声を失っていた。


誰も喋らない。全員がただ見ていた。「魔力D−の編入生が、エルゼリスと互角に渡り合っている」——その事実が空気を変えていた。


ソフィアは観客席の端に座っていた。


銀髪が動かない。視線は中央の綾目から一度も離れていない。


(もし怪我をするようなら介入する)


それだけをソフィアは静かに決めていた。決意というより条件反射に近い。綾目が傷つくなら——その前に動く。


攻防が一段と激しくなった瞬間——エルゼリスの木剣が大きく振られ、綾目の体勢が崩れかけた。


ソフィアが腰を浮かせた。


しかし次の瞬間、綾目が素早く体軸を入れ替え、木刀で払って凌いだ。


ソフィアはゆっくりと座り直した。


その一瞬を誰も見ていなかった。ソフィア本人すら、なぜあれほど速く体が動こうとしたのかを、うまく言葉にできなかった。





打ち合いを重ねながら、綾目はあることに気づいていた。


(この人には——本気を出せる)


手加減しなくていい。全力で打ち込んでも受けてくれる。


いつ以来だろうと思った。


(最後に本気で剣を交えたのは——父さんとの稽古以来か)


父が死んでから、対等に剣を打ち合える相手がいなかった。自分と全力で向き合ってくれる相手が。


刃が交差するたびに、体の奥から何かが湧いてくる感覚があった。


名前をつけるなら——楽しい、だろうか。


綾目の口元がわずかに緩んだ。ほんのわずかに。普段の無表情とはまるで違うごく僅かな変化。しかし、それは確かにそこにあった。


エルゼリスがそれを見た。


(——なんだ、あの顔は)


笑っている。打ち合いの中で笑っている。


エルゼリスの中で何かがぐらついた。





攻防が続く中で、エルゼリスの内心は静かに変わっていた。


(気を抜けば——こちらが討たれる)


最初にそれを感じたのは三合目の交差だった。


(受けるたびに肝が冷える。この太刀筋、この判断の速さ)


五合目で確信に変わった。


(素人の動きではない。魔力D−? コネ? ……違う)


七合目。エルゼリスは攻めながら認めていた。


(この人は——強い)


「身の程を教えてやる」はずだった。コネで入ってきた魔力D−の編入生に。


その自分が今、認識を改めさせられている。


(この技量は——私と互角だ)


正統派の天才として。誰にも負けたことのない剣士として。


エルゼリスは初めて対等な相手と刃を交えていた。





激しい攻防の末に両者が間合いを取った。


荒い呼吸が訓練場に二つ響いていた。


綾目の額に汗が光っている。エルゼリスも同じだ。竜人族の持久力と、綾目の研ぎ澄まされた集中力が同じだけ消耗していた。


沈黙が落ちた。


次が最後だと、どちらも感じていた。


綾目が木刀を腰に沈めた。


居合の構え。抜刀の起点に戻る。最後はここから始まる。


エルゼリスが木剣を片手に持ち替えた。


肘を引き、剣先を正面に向ける——片手平突きの構え。


一瞬の静寂。


観客が息を止めていた。


二人が同時に動いた。


綾目が踏み込む。エルゼリスが突く。


——交差した。


その後の光景を観客の多くは一瞬理解できなかった。あまりにも速かった。何が起きたのか、目が追いつかなかった。


やがて理解した。


互いの剣先が——相手の喉元で止まっていた。


木刀の切先がエルゼリスの喉元に。


木剣の切先が綾目の喉元に。


どちらもあと一歩で届いた。


どちらも相手に届かせなかった。


完全な引き分けだった。


訓練場が一瞬、静寂に包まれた。


それから——どこからともなく息が漏れた。そして大きなざわめきが一気に広がった。





「そこまで!」


観客の中から一人が立ち上がり、声を上げた。


ライオだった。


その声だけで訓練場が静まった。誰も異論を言わない。学園最強の一声にはそういう力があった。


「いい勝負だった」


ライオは二人を交互に見た。満足そうな、充実した顔だった。


「今年の1年は——期待できるな」


それから自分の口の端が上がっているのに気づいて、少し愉快そうにした。


「総合戦闘披露会、楽しみにしているぞ」


言い残してライオは訓練場を出ていった。その背中を見送る者が何人もいた。


アレンがライオの去った方向を見てから、中央の二人に視線を戻した。


(刀術だけで言えば確かに本物だ。だが……)


アレンは目を細めた。


(それだけで国防総省長官が直接動くか? 魔力D−を覆す刀術——それは分かった。だが、長官がここまで関与する理由としてはまだ足りない。何かある。この少女にはまだ見えていない何かが)


静かに、しかし確実に綾目への探索が深まっていた。





訓練場に二人だけの空気が残った。


観客はまだいる。だが、そこにある空気は二人の間のものになっていた。


エルゼリスは荒い息のまま綾目を見つめた。


侮りは完全に消えていた。


代わりに胸の中にあるのが何なのか——エルゼリス自身にはうまく言葉にできなかった。強い相手を前にした高揚感とも違う。もっと個人的な、もっと近い何かだった。


(この人は——何者なんだ)


(もっと、知りたい)


その感情の正体をエルゼリスは知らなかった。それが「好意」と呼ばれるものだとは考えもしなかった。強者への純粋な興味だと、そう思っていた。


エルゼリスは木剣を下げ、姿勢を正した。


「……比良坂さん」


「はい」


「私はあなたを侮っていました」


一拍の間があった。


「謝ります。あなたは強い」


プライドの高い竜人族の令嬢が頭を下げた。それが何を意味するか——周囲の観客にはよく分かっていた。またざわめきが起きた。


綾目は少し間を置いた。


「……いえ」


その口元がわずかに緩んでいた。先ほどの打ち合いの中と同じ——ほんの少しだけ笑みに近い何かが表情に滲んでいた。


「良い手合わせでした」


それだけだった。それ以上の言葉を綾目は持っていなかった。しかし、それ以上は要らなかった。





訓練場を出ながら、綾目は周囲の視線を感じていた。


さっきまでとは違う種類の視線だ。「魔力D−の編入生」ではなく、「エルゼリスと互角に戦った者」を見る目になっていた。


(……目立ちたくはなかったが)


廊下に出ながら、綾目は内心でそう思った。


(……仕方ない)


仕方ないことは仕方ない。それが綾目の判断基準だった。


(エルゼリスさんは本当に強かった)


廊下を歩きながら綾目は思った。


(正統派の王道剣技。剛と速を兼ね備えていて、変則に対する対応力も高い。あれは——本物だ)


そこまで考えて、別の顔が浮かんだ。


あの赤みがかった黒髪の、金色の瞳の青年。


(あの先輩は——強い。それだけははっきりと感じた)


考えかけたところで声がした。


「……お疲れ様です」


ソフィアだった。


綾目は考えを途中で止めた。


「ありがとうございます」


ソフィアはそれ以上何も言わなかった。ただ廊下を並んで歩いた。


訓練場の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。夕方の光が廊下の窓から差し込んでいた。


騎士になるための日々は、まだ始まったばかりだった。

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