どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点 5
急ごしらえの情報網は、それなりに機能した。生身の人間とメロペのネットワークによってもたらされる目撃情報は、それまで統と昴が集めてきた情報の数倍のペースで七姉妹市における二人のドッペルの出現地点を地図上にプロットしていく。
どこに、いつ現れたのかのデータを多数揃えて、同時に昴にはサーチを繰り返してもらい、統はそのサーチ結果と出現情報を突き合わせた。メロペにも協力してもらい分析すると、一見無秩序に見えていた昴のサーチ結果――多数の針が多数の方向を指していた――は、実際に同時期に出現していたと思われるドッペルたちの位置に対応している可能性が高いということが判明した。
願いの主は、では、ドッペル――平行世界、別の可能性宇宙の、昴や統なのか。だとして、願いの内容は?
そこまで考えて、統は一つ、更に一歩調査を進めるための方法を模索していた。
「もう一度、どこかの世界と……そこにいる自分と、重なってみるのはどうだろう」
昼休み、相変わらず人の少ない屋上で昼食を摂りつつ統は昴にそう提案していた。
「ドッペルの目撃も、例の『白昼夢』的体験も各所から集まっているけれど、以前俺たちが経験したような、別の自分に重なる体験をした目撃者は今のところいない。白昼夢の中で俺や昴になっていた、みたいな話は出てきてないんだ。思うに――」
小さな口で少しずつ弁当を食べ進めている昴に、総菜パンを片手に統は推測を述べる。
「俺たちが経験した、平行世界だけではない、『自分との重なり』は、ドッペルが俺や昴であり、そのドッペルが別の世界を体験するカギになっているためじゃないか……と。ドッペル統・昴が目撃され、その近くに寄ると、よく似た別の世界を体験する。それが基本だとして、他の目撃者と俺たちには、違いがある。ドッペルと同じ人間かどうかっていう違いが」
いやまあドッペルだから同じではないんだけども分かり辛いなこれ、と統が言葉をこねくっていると、昴が補足する。
「つまり、よく似た、自分自身に近い存在のいる世界に入り込むことで、私たちの場合はそこにいる『よく似た別の自分』そのものになっているってこと?」
「そう、そんなところ。世界が重なると同時に、極めて近い存在たる自分たち同士も重なった、みたいな。まあ推測の推測の推測みたいな茫洋とした話かもしれないけれど」
でも、もし大体そういうことであるならば。
「以前俺が別の俺と重なった時。俺は、別の俺になりきっていた。考えることも、思うことも、記憶も、別の自分だった。途中から違和感を感じてこの自分に戻れたけど、それまでは別の世界の別の自分そのものだった。怖い話だけど、これさ、利用できると思うんだ」
「まさか」
察したように昴が声を小さく揺らがせた。
「思考や記憶を自分のものとして感じられるなら、この上なく濃密な調査ができる。願いが何なのか、直接探れる」
「危険じゃない?」
「二重の意味で危険ではある。俺自身がどうなるかってこともあるけど、もし相手からもこちらの意識が探られるようなことがあれば、鎖の秘密がばれかねない。別世界で別の自分たちが鎖のことを知っているかどうかは分からないけど、最悪別世界、平行宇宙で鎖に関連した悪い変化が起きてしまうかもしれない。けど――」
統は食べ終えたパンのゴミを片付けて、スマホを取り出す。ここまで集めた情報を集約して、ドッペルの出現位置をまとめたマップを画面に呼び出して、昴に見せた。
「ドッペルの出現報告は増加してる。情報網を構築して以降明らかに出現ペースが多くなってる。勿論情報提供者が増えたっていうのもあるけど、それだけじゃ説明できない速度で増加してるんだ」
このままいけばどうなるのか。予想のつかない、願いの内容も分からぬ超常現象が続いた先に何があるのか。
「もう一度別の自分に接触するとして。どうやってドッペルに出会う?」
「ドッペルの出現は一見無秩序でランダムに七姉妹市全体で起こっているように見えるけど、一つ出現した場合その付近でしばらくいくつか出現が起こりやすいことが分かったんだ。主にメロペの監視システムのおかげで。出現報告を受けた後で待ち伏せすれば、いくらかは接触の可能性を上げられると思う」
説明すると、昴は弁当を片付けて、長く考え込んだ。その後で、心配そうに統を見上げて、呟く。
「統は……別にそこまで、やらなくてもいいんだよ。御子じゃないんだし」
危険で予想がつかない超常現象に相対し続けてきた御子の実感が込められた一言だった。
言われてみて統が思ったのは、「なら偶然御子の家系に生まれただけでやらなきゃならないってのも酷い話なんじゃないのか」ということだった。それをそのまま口にする代わりに、別の言葉を放つ。
「御子じゃないけれど、俺がやりたいから、やるんだ。何かを、どうにかしたいから」
願いの言葉だった。昴はしばらく統を見つめて、それから立ち上がって統の腕に指を伸ばして、軽く掴んだ。
「なら、私もやる」
決然とした意志が、制服越しの昴の指先から、伝わってくるようだった。
*
なんだかえらくあっさりと母が亡くなってしまい、父は失職した。統が十になるかならないかの頃の日本はそもそもが天災的なウィルス騒ぎがあったこともあって、同じような経験はさほど珍しいものではなかった。多くあったのだ。それが、なんとも、統には我慢ならないことのように思えた。
どうにかしたいが、大抵の物事は容易にはどうにもならない。
そんな世界の当たり前さが、いつの間にか統の個人的な行き詰まりにもなっていた。価値に溢れているはずなのに、その価値が失われてもどうにもできないことに、失意があった。そんな状況を突破できる何かが欲しかった、ずっと。
何か――誰か、いたならば、と何度も空想した。自分が行き詰まりを突破できるきっかけとなる何か。どうにもできなくとも尚世界を価値として生きられるような景色を見せてくれる誰か。
もしそういう存在があったならば、それはどういうものとなるのだろう。
それを探ることは同時に、自分の魂が再生するための道筋を探ることでもあった。
統、と呼ぶ声が聞こえた気がした。同時に、統は統から遊離していた。
同じものを抱えた、同じ行き詰まりを見つめていた、よく似た別の自分から離れて、統は自分の宇宙へと戻っていく――
*
ドッペルゲンガーの待ち伏せは、忍耐のいる行為ではあったが一定の成果を上げていた。休日と平日の放課後を利用して統と昴は直近の目撃報告を元に、その付近を散策し、複数回の「ドッペル及び別宇宙との接触」を経験していた。
一週間以上を費やし、かなり苦労して複数回の接触を経験し、分かったのは、どの統も、どの昴も、おおむね同じだということだった。
同じ、というのは、つまり、同じ行き詰まりの元にいる、ということである。
重なった世界の全てには、どうやらプレアデスの鎖が存在しているらしかった。多くの「別の統」の世界では御子がおらず超常現象が起きていたし、「別の昴」の世界では、昴が御子として防いでいることが多かった。
そして、二人とも――別世界の二人ともが、行き詰まっていた。全員が同じような統と昴であり、同じような行き詰まりにいた。『統たち』は『どうにもできないこと』に悩み、『昴たち』は『どうにでもできてしまう力』に立ちすくんでいた。
一方で、彼ら彼女ら全員が、そんな行き詰まりのために大胆な世界の改変を、超常現象による変化で自分の世界を大きく変えてしまうことでの行き詰まりの打破を行ってはいなかった。望んでもいなかった。自分たちを救う道筋を探しながら、空想しながらも、それをポンと出現させるような超常現象を引き起こしてはいないようだった。
「一体、何を願っているのか」
休日の昼、休憩のために農地と住宅街の端境にあるバス停のベンチに腰掛け、統は何度目になるのか、その疑問を口にしていた。
「接触した平行宇宙はどれも少しずつ違うけれど、そこにいる俺や昴は、驚くほど似ている奴ばかりだった。これ、何か意味があるのかな」
「別の可能性宇宙だっていうなら、私や統にだって色んなバリエーションがあってもいい気はする」
傍らで同じように座り、夏に向けて強くなりつつある陽光に照らされた道路を見るともなしに見ながら昴が指摘した。
「統や昴、って言えるような存在に限ったとしても、もっと色々あるような……どの私も統も、同じように世界に向き合って同じように行き詰まってる。偏り過ぎじゃない?」
「確かに。それに、偏りっていうならどのドッペルの世界にも鎖が存在するのも偏りに思える。そんなものがない世界だって、あっていいんじゃないかって」
言いながらも、統は話のスケールと曖昧さのコントラストに眩暈がしそうだった。別宇宙間の接触(らしきもの)という無茶苦茶な現象が起きているのに、そのディテールはかなり大雑把にしかつかめていないのだ。一つ一つの現象の意味も推測でしかない。
「世界間をも鎖の力は渡る、か」
昴がぽつりと呟いた。
「調伏するたび、どんどん御子の中の鎖は大きくなって力を増す。これまでもずっとそんな超常的な力は恐れてきたけれど、まさかここまでの現象を引き起こす力があるなんてね」
ほんと、身に余るよ、と消え入りそうな昴の声が、強い日差しで暖められた空気の揺らぎの中に混ざって景色の中に溶けていく。
「なんでもできてどうにでもできる。そんな力を、そもそもただの個人が管理するなんて、そんな正当さがどこにあるのかな。昔の御子は世界が無茶苦茶にならないように調伏を始めたのかもしれないけれど、その行き着く先は神様みたいな万能の力を身に宿すことで……そんな力を持って、それを使うか使わないか、そんなことを決められるような立ち位置、許されるのかな」
誰に答えを望むわけでもないと分かる、そんな声音だった。
「……ドッペルの出現数は増加し続けてる。増加ペース自体のスピードも上がってる。このまま増えた場合、ドッペルたちの世界同士が接触するかもしれない。そうなったら、どうなるだろう」
言われて、統は想像する。宇宙同士の接触がドッペルとの接触時のあの白昼夢なら、ドッペルの世界、白昼夢の世界同士も接触するのか。いや、それよりも、
「何故、この世界にドッペルが集まるのか――集まること自体が、接触してくること自体が、願いの内容に、超常現象の原因に関係しているのかもしれない」
「だとしたら、ここの、この宇宙に、多くのドッペルが集まるような何があるんだろう」
いくつものの可能性宇宙が集まる理由。
よく似た自分たちが集まってくる理由。他の自分たちがわざわざ接触するような何か。
何か、別の宇宙や、別の自分たちとは異なる特別なものがあるのだろうか。
あるとすれば、それはなんなのか――
隣に座る昴の横顔を見ながら、統は考え続けていた。あと少しで、何かが引っ掛かりそうな予感があった。
電子音が響く。統のスマホに、新たな出現報告の通知が届いていた。マップを開くと、出現地点のマーカーがまた増えていた。
既にドッペルの出現は異様な量になっていた。七姉妹高校の生徒に限っても接触を経験した人間は二十人以上にまでなっており、校外の人間やメロペの機械的監視に引っかかったものを含めると、七姉妹市中に百近い出現地点が記録されている。
間に合うのか、という問いが、統の脳裏に自然と浮かんだ。この現象の行き着くところがどこなのか分からない。この先何が起こってしまうのかも不明だった。だが、なにか終着点のようなものがあったとして、それまでに調伏は間に合うのだろうか。
同時に、間に合わなかったのならばどうなってしまうのか。
動けば汗ばむほどの陽気でありながら、統は背に冷たいものを感じていた。




