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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 4 どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点

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 どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点 6


 そうして、さらに数日後。

 何の予告も宣言もなく、当たり前のように、その時は訪れた。


 授業中、突如統のスマホが連続で通知を受けた。授業中ということで音声を切っていたためにバイブレーションがずっと続き、低い唸り声を立て続けていた。一回の通知はたった数秒のはずだが、一分以上振動が続き、さすがにおかしいと感じてこっそり机の下で確認すると、統の目に飛び込んできたのはとてつもない数の出現報告だった。


 十数件、などという規模ではなかった。七姉妹市のマップの、メロペの監視の目がある地点の全てに、無数の出現報告が表示されていた。見ている間にも次々に増えていく。微生物か何かの増殖を早回しで見ているような光景だった。地図が出現報告を示すマーカーで塗り替えられていくようにすら見える。


 反射的に、統は立ち上がってそのまま教室を飛び出していた。背後から困惑した教員の呼び声が聞こえてくるが、意識する余裕はなかった。


「統!」


 昴もまた、統を追って教室を飛び出していた。


「昴――」


 振り返って彼女の姿を視界に収めようとして、統は声を途中で途切れさせた。

 二か月以上通って見慣れたはずの、教室前の廊下が、歪んでいた。真っすぐ伸びたはずの壁や床のあちこちが奇妙に歪み、色を変え、質感を変え、異なる空気を宿していた。


「間に合わなかった……?」


 奇妙に捻れ混ざった景色の向こうで、昴がぞっとしたように声を零していた。

 別の景色、別の景色、別の景色……いくつもの異なる空間が押し寄せ、何もかもが揺らぐ。空間も時間も無茶苦茶になっていく。


 意識が遠くなる。あるいは、意識に対して世界が遠くなる。多重に重なる白昼夢、多世界の重なりの中で、統はなんとかする、と声に出していた。混ざり始めた世界を超えて声の震えを昴に向ける。

 なんとかする――言葉と共に、ぐるりと世界が裏返る。


   *


 早朝の空気を一息吸い込んでみると、知らない味と香りが喉の奥に広がる。 


 空気が違うとか、そういうのってほんとにあるんだな、と心の中で一つ呟き、少年――稲上 統――は、辺りの景色に視線を向けた。どこか重々しくも豊かな緑をたたえた山々に、その山際に広がる農地、一軒家の多い住宅の群れ、そしてほんの一、二キロ先に見える、歴史ある町並みを残した観光市街。


 早朝からまだほとんど見知らぬ土地を散歩するという経験は気分としても新鮮で、心地が良かった。山間の地方の街など引っ越し前には想像がつかず不安もあったが、これは中々に悪くない。

 と、どこかで何かが聞こえた気がして、統は足を止めた。周囲を見渡すが、何もない。猫もいなかった。


(猫?)


 なんでそんなものがいると思ったのか。薄く青ざめた朝の光に照らされている景色の中に、猫などいない。気のせいか、でも野良とかなら田舎だし結構いそうだな、などと考えて、統は歩みを再開した。街の中心方向へと進んでいく。


 その背中から、統が抜け出る。知らず歩いていく自分の一つの可能性を見つめながら、抜け出た統は、あの時ゾロアスターに導かれなかった可能性の世界を見渡して、すぐ傍の山林へと向かった。その先には小さな奥まった土地に農地があり、あの日そこには彼女がいたはずだった。

 しかし歩みの中で、景色は別物へと移り変わっていった。


 気が付けば統は見慣れた部屋にいた。たった数ヶ月過ごしたような場所ではなく、何年も暮らしているマンションの一室だった。窓の外には都会のごちゃついた街並みがどこまでも続いていた。


「いや、何とかなってよかった。首の皮一枚だったけどな」


 嬉しそうに話す父の姿があった。リビングでソファに座って、一息ついている。テーブルにお気に入りの安酒を置いてグラスを傾けながら、勤め先の会社が何とか危機を脱して、今後も同じ仕事ができそうだと、そういう話をしていた。


「まあ、最悪別の働き口も探してはいたけどもなあ、でもお前も高校の途中で転校とか死ぬほどめんどくさいだろ」


 そりゃね、と答えて、統は父の幸運へのお祝いにと、使い慣れたキッチンでちょっとしたつまみを作っていた。傍らに置いておいたスマホにメッセージが入る。クラスメイトの友人たちからの誘いだった。近く、七姉妹市という場所に観光旅行をすることになっており、その細かなルート決めなどをするので集まろうというものだった。片手を布巾で拭って、適当に返信しておく。


 色々ありつつも、結局特に大きな変化はなく、自分はずっとこうしてやっていくんだろうな、という実感があった。慣れた街で慣れた人々と、ずっと。何も変わらないし、変えられもしないのだと。


 慣れ切った実感と共に料理を運ぶ自分から、統は分離していた。たった数ヶ月で既に懐かしく思える都会時代の自宅を見回して、玄関に向かう。ここは自分の場所ではなかった。


 玄関扉を開けて外に出ると、そこは自然の中だった。

 目の前には廃墟が広がっていた。朽ちかけた家屋や半壊した学校や草木に覆われた道路が静かに佇んでいる。七姉妹市跡地は半分以上がそのまま放置されていた。相当な数の住民がいなくなり、再建する目途も立っていなければする意味もあまりなくなってしまっていた。廃墟群の半分ほどは地形の変化で流れ込んだ水で水没していた。湿地や浅い湖のようになっており、ちょっと日本ではなかなかないような光景が広がっている。


 昔からいくつもあった原因不明の不規則現象がこの大惨事を引き起こしたと言われているが、定かではない。統は遠くの高台に、まだしも他の建物に比べて原型を残したままの高校を見つけて心を軋ませた。友人たちのうちで残っているのは半数にも満たない。


 何もどうにもできないのだという実感があった。


 もう十分だ、と景色に背を向ける統から、統は剥離するように離れた。破壊され打ち捨てられた七姉妹市へと歩いていく。淀んだ水に足を浸けて、知ってはいるが知らない景色の中に。


 また別の世界が目の前に広がる。

 あり得たかもしれない自分、あり得たかもしれない世界が広がり、連なり、重なり、無数に積もり繋がりあらゆる方向に続いていく。

 無時間的な世界と世界の間の隙間を渡り、統はいくつもの可能性宇宙を見ていた。同時に、いくつもの自己を渡り歩き、その極めて近しい存在に同化し、そこから遊離し、また別の自己に同化した。


 世界の景色はそれなりに多様だった。見知らぬものと見知ったものが混ざった景色がいくつもあった。見る度にその世界ごとの統は当たり前の景色としてそれを捉え、その内側で統は驚きを抱えていた。

 だが統という自己の側は、それほど多様ではなかった。それどころか、一様と言っても良い。別々の可能性宇宙で異なった経験をしているにもかかわらず、驚くほどにその内面は皆酷似していた。


 世界が降り注ぐ。せり上がる。重なる、重なる、重なる。


 自分が自分を通り過ぎていく。自分を渡り歩く。次へ、次の自己へ、同じような自分たちの間を。

 自分と自分の間を渡る僅かな時間、統は統として、少しずつ考え、理解しはじめていた。世界の集約、酷似した自己ばかりがドッペルとして現れていた理由、自分の世界の統と昴が一体何の意味を持つのか。


 渦巻く世界の群れの中心へと引き寄せられていく感覚があった。

 願いの群れを肌で感じながら、統はそうしてそこへと降り立っていった――。


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