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81(エイティーワン)  作者: 雨後乃筍
4章 逃避

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4−12 請求

「おい、茨城原子力発電所の見積もりはできたか?」

 無機質な部屋の中に、所長のダミ声が響いていた。狭い部屋の中に、僅かに事務机が5卓。しかもそのほとんどは使われた形跡がない。仕事柄、ほとんどの社員が出社せずにリモート勤務をしているこの会社では、出社するのは所長と事務も兼務しているオペレーターぐらいだった。


 オペレーターは無言で、チャットメッセージにPDFファイルを添付して送っていた。隣にいるにも拘らず声を出すことはなかった。


 スマホを操作して、そのPDFファイルを開く。それを見た所長が、満足そうに頷いていた。


 溢れる笑いを抑えきれないように、オペレーターに声を掛けた。

「おい、一番美味しい仕事ってどんなのかわかるか?」


 オペレーターが、顔も上げずに声を上げた。

「はあ?」


「ことが全て終わった後に作る見積書だよ、絶対に損しないし、利益載せ放題だからな」


「はあ……」


「今回も美味しい仕事だったな。社員全員を旅行に連れていけるぐらいだ」


「また社員旅行ですか?」


「やるわけないだろ? どうせ誰もこないからな」


 無言で同意の意を示す。


「ヨーロッパ旅行でもいくかな?1週間ぐらい、どうだ?」


「どうって、何がですか?」


「察しの悪い奴だな! 一緒に行かないかって意味だよ。旅行代全部出してやるぞ」


 オペレーターが、呆れたように所長の方を見た。


「所長、まだ懲りてないんですか? 前に不倫旅行がバレてYoutuberに突撃されてたじゃないですか?結構炎上してたのに……」


「あれはもう解決済みだ。離婚も成立しているし、慰謝料も支払い済みだ。今は綺麗な体だよ」


「綺麗な体って……ハゲかかった親父が使う言葉じゃないですね」


 所長が自分の頭をぐしゃっと撫でて、ガハハと笑っていた。


「で、どうだ? ヨーロッパ旅行一週間。出張扱いでいいぞ」


「エグいぐらい公私混同ですね……。まあ、仕事ってことなら……」


 意外そうな顔をしてオペレーターを見つめてきた。その視線はブラウス越しにもわかる胸の膨らみを撫で回すようだった。


「お? 本当か?」


「でもフライトは別にしてくださいね。飛行機の中でゆっくり寝たいので」

 まるで体についた厄を振るい落とすかのように、寒くもないのにブルッと身震いを一つして、椅子に掛けていたジャケットに袖を通しながら答えた。


「フライトが別……ああ、いいぞ。よからぬ噂対策ってことだな?」


「よからぬ噂って、なんですか?……後、ホテルも別にしてください。所長の趣味と違うので」


「それは、別に一緒でもいいじゃないか? こっちが合わせてもいいし。俺は寝れればどこでも……」


「私が嫌なんです。せっかく良いホテルなので一人で楽しみたいので。安眠妨害されたくないので!」


「安眠って、お前寝るつもり……まあ、いいか」


「後、現地でも別行動で。せっかくなら好きに観光したいので。所長と趣味合いませんしね」


「……おい、それじゃ一緒に行く意味がないだろう? それで一緒に行ったと言えるのか?」


「一緒に行く意味が分かりませんので」


「喋る時間もないじゃないか?」


「Zoomじゃダメですか?」


 所長は、やれやれという表情になって、大きなため息をついていた。


「せっかく贅沢な旅行ができるってのに、バカな奴だ」


 オペレーターは、その声を聞き流して、一枚の紙を所長のデスクに滑らしてきた。


「所長。こんなのが届いてましたよ」


「なんだ? 請求書? 紙の請求書とは珍しいな……差出人は……茨城原子力発電所?」


「はい、竹川たけかわが壊したコンソールの修理代みたいですね」


「壊した? 修理代? なんだ、そんなこと聞いてないぞ?」


「聞いていないって……わざわざ言うと思っているんですか? アレが?」


 所長は請求書の紙をガサガサと広げ、その右端に書いてある数字に指を這わせていた。一、十、百、千、万……


「おい、なんだこの金額は! 今回の利益が全部飛ぶじゃないか!」

 目を剥いて、口から泡を飛ばす勢いで吠えていた。オペレーターがいかにも汚いものを見るような目をしている。


「オーダーメイドシステムですからね。そりゃ高いでしょうね」


「あいつ、何をやったんだ?」


「さあ、まあ緊急事態でしたからね……」


 所長は請求書を勢いよく破っていた。


「所長、それ破っても債務は消えませんよ?」


「そんなことはわかっている! 全く、どいつもこいつも……まあいい。おい、見積書の作り直しだ!」


「はあ、分かりましたけど……どこを直すんですか?」


「この請求書の金額を乗せとけ! 必要経費だ。 名目は……消耗品費とかにしておけ!」


 小さく「この古狸……」と呟いていた。その言葉は、例によって所長の耳には届いていなかった。


 <つづく>


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