4−2 リミット
「竹川さん、ちょっと! どこに行くんですか!?」
コンソール前にはPCが無造作に置かれており、竹川の姿が消えていた。後ろを振り返ると、今まさに竹川が制御センターから出ていこうとしているところだった。
「んー、暇だからちょっと散歩。ここってカフェテリアとかあったよね? カップラーメンとかないかな?」
一瞬、遠野の脳裏に、昨日食べたサバの干物定食がよぎった。
(いかん、俺もだいぶ毒されているな、このちんちくりんに)
「暇って……いまの状況分かっているんですか?」
声が裏返りそうになる。怒りを通り越して呆れた声を上げるしか無かった。
「んー、ここで今あたしができることはないの。向こうで連中が頑張っているから、それが終わるまで待ってるだけってこと」
竹川が、大きな背伸びをしながら、いかにも眠そうに欠伸をしていた。
「向こう? いや、だからって……他になにかできることとか……」
そう言いながら、次の言葉が出てこなかった。そもそもこの女が何をやっているのか理解できていなかった。
「だから、何もないの。慌ててるオジサン眺めてても面白くないでしょ? だいたい深夜に呼び出されて、なにも食べてないからさ。なんか朝ごはんぐらいあるよね? なんか、おすすめとかある?」
竹川の『今日のランチ何にする?』ぐらいのトーンに、一瞬、自分の置かれている状況がわからなくなった。
「おすすめって……私たちだって、不眠不休ですよ! まだ終わってもいないのに……」
竹川が、さも当然というような顔でこちらを見た。
「まだ終わっていないから、休憩するんでしょ? 人間そんなに緊張感持たないし、栄養も必要でしょ? だいたい、いつ終わるかもわからないのにさ。そんなに気張ってたら、いざって時に役立たずじゃん」
言われて周りを見渡した。確かに皆、疲弊している。だが、ここで休憩を言ったとしても、この非常時にまともに休憩が取れる人間なんて居ないだろう。それが普通の感覚だ。
人知を超えたものを見るように、竹川を見つめた。
「オジサンたちも、ちょっとは休んだら? オジサンらしく新聞読むとかさ。どうせ何やっても無駄でしょ?」
手をひらひらさせながら制御センターを出て行ってしまった。それを呆然と見送ることしかできなかった。
無機質な音と共に、制御センターの扉が閉まり、後には制御センター内の喧騒だけが残っていた。制御センターの時計は、午前九時過ぎを指していた。
◇◇◇◇◇
携帯が震えていた。小倉からだった。
「東さん、すいません。見失いました」
「なんだと? 熟練した捜査官が見失っただと?」
国家情報局の職員は、訓練を受けた諜報戦のプロだ。しかも一人で追跡しているわけではない。それなのに見失うとは。
「すいません、成田空港駅で電車から降りた所までは追跡できていたのですが……」
……相手は工作員だ。向こうが一枚上手だったってことか。
「成田空港駅までは来ているんだな?」
「それは確実です。先回りして出口を張っていたらしいのですが……」
隣では、三上が端末を注視している。
「三上、追跡班が見失ったらしい。成田空港駅で降りたのは確実なんだが……」
「……こっちの監視カメラには反応無いですね。改札を出ていないんじゃないですか?」
改札を出ていない……そんな事があり得るだろうか……閑散としたホームに残っていればリスクが高くなるだけだ……。
「小倉、こっちでは成田の三上が改札を監視している。三上のチームは絶対だ。追跡班には駅構内を捜索させてくれ。ただ、目立たないように。向こうの掃除屋がいるかもしれん」
三上がサムズアップをするのとは対照的に、電話の向こうで息を呑むのがわかるようだった。自分の腕時計に目をやる。時計の針は午前九時半になろうとしている。
(我孫子駅が最後の確認ポイント……どんなに早くても……)
「……三上、改札を通過した男女二人組を全て画像に出せるか? 時間は……七時以降に通過した全員だ」
「ええ? 出せますけど……膨大な数ですよ? 今日は特に人が多いし」
「変装している可能性がある。男女二人組に絞って画像を出してくれ。古い順で」
「わかりました……」
画面上に次々に表示される男女二人組の画像を、目を凝らして見つめていた。その視線には、どんな些細な違和感でも見逃さないという強い意志を帯びていた。
目まぐるしく変わる画像の中に、ささくれのような感覚がよぎった。
「……ちょっと待て。戻してくれ」
三上が端末を操作し、今度はゆっくりと画像が変化していく。そこには夏だと言うのにパーカーのフードを被った男女が映っていた。顔は似ても似つかないが……。
なにかが引っかかった。なんだ? この違和感は……?
「さっきの男女……ちょっとアップにしてみてくれ」
二人の姿が画面いっぱいに広がるが、やはり別人だ。しかし……。
「……女の手元をアップにしてくれ」
女は財布を手に持っている。どこかで見たような財布。そして、キーホルダーが付いている。
「……これは……かっぱ祭りのキャラクター!」
「はあ? なんです? かっぱ?」
三上が素っ頓狂な声を上げる。
「牛久のかっぱ祭りだよ、あの二人の思い出の場所! キーホルダーが女の財布に付いている! この二人だ!」
「まじですか? そんなことで?」
「確証はないが、この二人を追ってくれ。改札の通過した時間は?」
「えっと、一時間半前ってところですね」
「……一時間半」
フライトインフォメーションを見る。一時間半前と言うことは………。
「……ヤツら、十時台のフライトか?」
「十時ですか……一番多い時間ですね」
「そんなに長い間、空港内をウロウロするとは思えないな。出発ゲートにギリギリに来るはずだ。そこで捕まえる!」
◇◇◇◇◇
国家情報局新宿分室は、小倉がただ一人でモニターに表示される光点を追っていた。一つのモニターには日本海側の地図と複数の赤い光点が映し出され、もう一つのモニターには成田空港の構内図が、そしてサブモニターには数々の監視カメラ映像が目まぐるしく切り替わっていた。
入口のドアが音もなく開き、一人の男が入ってきた。その男の顔を見て小倉は目を見張った。
「部長! どうしたんですか?」
「東はどんな感じだ?」
「え? あ、はい、成田に到着して対象者二人を追っています」
「なんだ、まだ確保していないのか?」
「はい、それが二人とも変装していたみたいで……」
「変装か……さすがスパイだな……まるで映画だ」
声のない笑いが漏れていた。
「いま、三上さんを含め成田分室の職員が総出で探しています」
「そいつらのリストは? 成田分室の……」
「はい、えーと……これです」
画面に表示された六人の名前と顔写真を所沢に見せた。眉間に皺が寄り、憎々しげにその一つを睨みつけていた。
「……」
「あの……部長、なにか?」
「……いや、……日本海側はどうなっている?」
「……停滞ですね。たぶんこちらの隙をねらっているのでしょう。合図があればいつでもって感じです」
「東次第か……」
「え? なんです?」
「いや、なんでもない。成田の連中も含め、全員フル装備だろうな? 対象者もそうだが、向こうさんも出てきている可能性があるぞ」
「はい……えーと..…」
「どうした?」
「その……成田の連中はボディアーマーを着用しているんですが……東さんは生身なんです」
「なんだと!?」
「はい……その……『相手が生身なのに自分だけボディアーマーを着けるのはフェアじゃない』とか言って……」
所沢の呆れたような呟きが、重く室内に響いた。
「何考えてんだ、アイツは……高校野球でもやっているつもりか!?」
「いや……私も言ったんですけどね……」
諦めとも取れるような長い息を、ふーっと吐きだしていた。
「まあ、いい……」
そう言うと、自分のスマートフォンを小倉に見せた。
「これは?」
「東の休暇届だ、さっき承認した」
「……休暇?」
「休暇中の部下に命令は出せん。死んだところで俺の知ったことじゃない」
「すいません……休暇中ってことは職務中じゃないってことですよね?」
「……当たり前だ」
「その……もし何かあっても『殉職』扱いにならない?」
「……東も、いまさら二階級特進なんていらんだろ? 遺族年金ぐらいなら出るんじゃないか? 腐っても国家公務員だ」
さも当然のことのように言う所沢の言葉を、薄ら寒く感じながら聞いていた小倉は、まるで亡霊でも見るように、目の前の男を見上げた。
「……我々は国家情報局の職員ってことですね……非情に徹する……」
「いまさらか? 当たり前だ。俺に今できることは、東の補充を探すことぐらいだな」
スマートフォン上のデジタル時計表示が、九時三十九分から九時四十分にカウントアップされていた。
<つづく>




