受容~ゴッホ「悲しむ老人」より
悲しむ老人(永遠の門) 1890年
Een oude man in droefheid (Op de drempel der eeuwigheid)
フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent van Gogh
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どうにかならないのか
誰も俺を助けてくれないのか
荒げた声を投げつけて
襲いかかる悲しみに打ちひしがれて
座り込んだまま
ひとり黙り込み
落とした肩が
震えながら訴え続けていた
おまえに
老いて病む気持ちが分かるか?
立ち上がり
しゃにむに走り出して
自分でなんとかすることは もうできない
この気持ちが
暖炉の火が燃えている
やがて消えるのだと諦めたなら
きっと安らぎが訪れるのだろう
永遠の国へと続く門の手前で
戸惑い 抗う
それが人間なのだと分かっているのに
どうして こんなに涙が出るのだろう
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映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』 原題:At Eternity’s Gate
2018年公開 監督:ジュリアン・シュナーベル
https://gaga.ne.jp/gogh/
(AIで生成したイメージイラストです)
フィンセント・ファン・ゴッホの晩年を描いた作品。
タイトルは、この絵から取られています。
オランダ語の題:Een oude man in droefheid (Op de drempel der eeuwigheid)
直訳:悲しみに暮れる老人(永遠の門の前で)
これは観てみたい!
U-NEXTの契約中だったので、検索したら入っていました。
最新作だったりすると、しれっと有料なのですが、運よく見放題。やった。
見始めて、すぐに気づきました。
これはゴッホの視点で描かれている映画なんだ。
彼の目に映る光景。
彼の耳に聞こえてくる声。
彼が感じたこと。彼が考えていること。欲望。そして、絶望。
だから。
客観的に見たらアウトだろ、それ。というシーンも。
ああ、なるほどねえ。
と納得してしまう。
ゴッホが野外で絵を描いているところに、子どもの団体が押し寄せて、好き勝手なことを言い散らす。
ゴッホ、キレる。追い散らす。そして後日、子どもに石を投げられる。
偶然見かけた女性を描きたくなって、ほとばしる感情のまま迫り、ほとんど押し倒す。
女性、悲鳴を上げて逃げる。当然だ。悪評がさらに高まる。
イエローカードが山ほど。
一発退場のレッドカードも、幾度か。
でも、ゴッホにしてみれば、理由があってのことだったのだ。
自分の目に映っているものを、絵に描く。
それだけではない。
その奥に自分が感じる「真実」。
それを描き出すんだ。
人々に伝えるために。
それが神に与えられた自分の使命だとすら、ゴッホは考えていたのだ。
あまりにも報われないゴッホ。
そして、見当違いな行動をして、周囲に全く理解されないゴッホ。
ド貧乏なゴッホ。(靴下が破けて指が出てるよ……)
つらい……この映画。
でも。
弟のテオがいてよかったねえ、あんた。
いなかったら、とっくの昔に死んでるよ!
って、田舎のおばちゃんみたいにゴッホの肩を叩きたくなった私でした。
私事なのですが、この夏に父を亡くしました。
患ってから、一年余りの闘病を経ての最期でした。
四十九日も終え、なんとなく気持ちの区切りがついたような気がします。
ずっと介護を続けている方に比べたら、私の負担など微々たるものだったのですが。
消化しきれない感情や、死という現実に向き合うことで。
自分の中の回路が度々ぶっ壊れて、そのつど再構築しているような、内面的には中々忙しい日々でした。
名画の詩集、ゴッホの「星月夜」は、病院帰りに地下鉄のホームでスマホに打ち込んだものです。
私には詩があってよかったなあ。
感じていることを文字にして、吐き出して。
形にして。それから次に行ける。
改めて、そう思いました。
でも、ゴッホにとって、「絵」はどうだったんだろう。
絵があってよかったなあ、って感じの人生ではないな。
『自画像』(1887年春)
シカゴ美術館蔵
(著作権フリーの画像を掲載しています)
絵が売れず赤貧の生活を続けていようとも。
「自分は画家だ」と言い切る。
理由を尋ねられ、
「絵しか描けないから」って。
持って生まれた芸術家としての才能。
それは神様が与えてくれたものだ。
だから、私は追い求めなければならない。
孤独でも。
どんなに辛くとも。
ゴッホにとっての「永遠の門」。
それは、死。
現世の苦しみから解放され、永遠の安らぎを得られる国へと入ることのできる門。
それだけではなくて。
真の芸術家が、芸術を追い求めた末に辿り着く境地みたいなもの。
だったんじゃないかなあ。




