運営の誤算
カタカタと無機質なキーボードの打鍵音と、大型量子サーバーが放つ重低音の駆動音が、冷え切った室内にせわしなく響き渡っている。
ここは、フルダイブ型VRゲーム『コモスタクト』の運営開発室。アストレオンやソラリオン帝国たちが必死に生き、火花を散らすあの広大な宇宙は、この部屋の片隅に鎮座する超高性能サーバーの中にデータとして存在する世界だった。
そもそも『コモスタクト』という一大プロジェクトが立ち上がった当初、開発メンバーたちの役割分担は極めて明確だった。
西条理子が世界の根幹をなす物理演算や理のシステムプログラムを組み、星宮臨海が息を呑むような宇宙のグラフィックや新たな生命、大地の自動生成を担当。日高孝平が厳格な死の判定システムを構築し、中井重利が星々を照らす光の描写と、ゲーム内の秩序を保つセキュリティ全般を担当していた。
だが、初期設定のすべてを終えた後、彼らは世界のその後の管理を、自らが生み出した『自律進化型管理AI』へと完全に委ねる決断を下した。
人間の予測を遥かに超える、本物のリアリティを持った宇宙を構築するための大胆な決断だったが――それゆえに今の『コモスタクト』は、創造主である運営スタッフたちですら、次に何が起きるかを百パーセントは予測できない未知の世界へと進化を遂げていた。
そんな緊迫した運営室の中で、とあるスタッフがモニターの異常数値を鋭く発見した。
「……おい、またウラニア宙域の管理AIが、想定外の変な挙動を起こしてないか?」
メインモニターを凝視していた西条理子が、怪訝そうな声を上げる。画面にはウラニア星系のエネルギーグラフが、見たこともないような異常なスパイクを描いていた。
「ああ、それねー」
グラフィックの割り振りを弄りながら、ニヤリと楽しげに笑ったのは、ゲーム内の技術設定や知識の構築を担当している伊万里梨沙だった。彼女は運営内でも筋金入りの『ロスト・コード(未確認超規格存在)』マニアとして知られている。
「何が『ああ、それね』だ! ウラニアのAIはこっちの予測をことごとく超えてきやがる。そもそも、サーモンっていう個人プレイヤーが『アストレオン』なんて巨大国家を建国すること自体、俺たちの初期コードには存在しなかったんだぞ!」
理子は呆れ果てたように盛大な溜息をつき、梨沙をジロリと問いただした。
「でお前、今度は裏でシステムに何を仕込んだんだ? 正直に言いなさい」
伊万里梨沙は全く悪びれる様子もなく、楽しげに肩をすくめてみせた。
「いや〜、私のせいじゃないってば。自律AIが『将来的にウラニア近辺の戦力バランスが壊滅的に崩壊する』って自動判定したみたいでさ。私が昔、隠しアーカイブの奥底に眠らせておいた『十三の異界遺物』の内の一つ――【コード:2399】のデータを、AIが勝手に引っ張り出してウラニアの近くに実体化配置しちゃったみたい。これ、最高にエキサイティングじゃない?」
「おいおい、またか……! お前のその悪い癖がまた出たのかよ! 『十三の異界遺物』なんて、一歩間違えればゲームバランスを根底からぶち壊しかねない危険物だぞ!」
周囲のスタッフたちが一斉に頭を抱えたが、画面の中の自律AIは、すでにその規格外のデータを世界へと完全に馴染ませ、新たな歴史の歯車を回し始めていた。
「ちょっと待ってよ伊万里! ウラニア宙域のグラフィック負荷が大変なことになってるんだけど!」
悲鳴のような声を上げたのは、ビジュアル担当の星宮臨海だった。
「あんなバカみたいに巨大な未知のデータを、前触れもなく急に実体化させるな! サーバーの描画処理が追いつかなくて、エフェクトがバグったらどうするの! ユーザーに画面がチラついたって言われたら私の責任だよ!?」
「星宮、落ち着け。テクスチャがバグるだけで済むならマシな方だ」
日高孝平が冷や汗を拭いながら、死の判定モニターを鋭く睨みつける。
「問題は、あのロスト・コードの攻撃力だ。あれがまともに直撃したら、プレイヤーだろうがNPCだろうが一瞬で確定の即死判定を喰らうぞ。回避運動すら間に合わないままな……。ゲームとして成り立たなくなる」
「それについては、ゲームである以上はプレイヤー側に対策させればいいさ。なにかしらの仕様上の弱点とかを設定してな……。実際、ゲーム内のプレイヤーが、ソラリオン帝国側にメタ兵器のヒントを与えたのを確認している」
セキュリティ担当の中井が、ボソリと呟いた。
「それに、今のところは対象の【コード:2399】は暴走していないが……万が一にもシステムエラーで無差別に暴れ始めた場合、ユーザーからの問い合わせでサポートセンターが完全にパンクするぞ。俺の胃に穴を開けさせる気か?」
運営室の中がアラートの警報音と抗議の言葉で飛び交う中、原因を作った伊万里梨沙だけは、ケラケラと無邪気に笑っていた。
「まあまあ、みんなそんなに硬いこと言わないの。ほら、ちょっと見てみなよ。AIの戦況予測演算が、またリアルタイムで変化し始めた」
梨沙が細い指で指摘したメインモニター。そこに表示された、最新のシミュレート数値を目の当たりにして、運営室の全員が息を呑んだ。
「ウラニア会戦の勝率予測、AIの計算でもついに五十パーセントを切っているぞ。……このゲーム最大のバグ国家とも言えるアストレオンの『サーモン』とやらは、この史上最悪の窮地を、一体どうやって切り抜けるつもりだ?」
――次回へ続く。
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