四十八
事故、病気、出産、死ぬ寸前。
病院にはいろんな人がいる。
死ぬ間際の人には家族らしい人がずっとつきっきりで様子を見ていて、骨折だけど治療に専念するためにベッドに横たわっている人もいた。それに新しい命が芽吹く瞬間もあって、悲しい顔した子供が花束を持っていることもある。
私は一冊の本をカバンに入れて病室に来ていた。
「体調は……よさそうですね」
その人はベッドを操作して窓を見えやすい形にしていて、全く普段と遜色ない雰囲気をしていた。私より前にお見舞いにきた人からバナナ、チョコレート、あんぱんまで貰って美味しそうに頬張っている。
「やぁウロ君、元気そうだね」
「はい、お陰様で」
まだ温かい椅子に座って私は世間話でもすることにした。
「ここに来る途中、先生が好きだったお菓子の新作が発表されてましたよ」
「スナック菓子のアレ?」
「えぇはい。一本満足、止まらないヤツです」
「嬉しいなぁ。退院したらみんなに奢ってあげるよ」
「ありがとうございます」
先生は不健康な生活で有名だった。
「そうそう、この小説を持ってきたんです。今日も面白いと思いますよ」
「あれの続き楽しみなんだ」
「そうと思ってました。こちらです」
これは連作小説、先生のお気に入りだ。
バナナの隣、積んである本の塊すべてが一つに繋がった物語になっている珍しい長編小説。
「もうそろそろ終わりそうな気配があってね。あと二冊ってところかな」
「そうですね。そうだと思います」
「来週には退院できると思うから、退院祝いで持ってきてくれると嬉しいな」
「すみません。まだ出てなくて」
「そうなのかい?」
「はい」
「この作者、かなり構想を練っているようだけど」
「出てないんです。最後の本だけ」
「初刊が十年前だからもう完結していると思ってたのに残念だね」
年間三冊のペースで発表されていて、今渡したのが二十九巻目、最新のものだった。
「寝ている間に完成していて欲しかったな。続きが気になるじゃないか」
「先生、どうです。書いてみませんか、その続きを」
私は縋るように前のめりになった。
「どうだろう。確かにこんな続きは思いつくかもしれないけど」
「それでいいんです」
「なんだか、怖いから止めておく。作者に怒られてしましそうだ」
携帯電話が鳴ってしまった。
「ウロ君も忙しいだろう。わざわざ見舞いに来てくれてありがとう」
「いえいえ。必要なことですから」
電話は予想通り会社からだった。
私は先生にお辞儀をして病室をあとにした。鳴り止まない携帯をカバンから捻り出して、画面に映る名前にため息が出た。
「はい。ウロです」
『どうだった』
「駄目でした」
ビルから飛び降りた時に脳震盪を起こした先生は記憶喪失になった。病院に搬送されて一命を取り留めた。記憶も少しづつ元に戻っていったけど、あの小説のことだけはどうしても戻ってきていない。
『困るなァ。困るよォ、せっかく人気が上がって来たのに』
飛び降りがニュースになると小説は売れた。
「私、戻りますね」
『うん。そうしてそうして』
電話を切ったらため息が出た。
私はもう一度、いや、隙間からこっそりと先生の病室を覗いた。
興味深そうに小説を読む先生がそこにはいた。
アレが本当の先生なんだと、私は思う。
以前のこと、飛び降りる前の先生に私は原稿を貰いに行った。三十巻の原稿用紙百数十枚、とても分厚かった。
「ウロ、私が死んだらこれを個人名義で発表してくれないか」
私は否定するのが当然だと思った。
「つまらないものを売るためだ」
今、記憶を失った先生が続きを楽しみにしている。
カバンの中に入った原稿用紙を、私はあの人にだけは渡してもいいのかもしれない。




