四十二
一人の夜に静けさ以外の何を望んでも、それは自ら齎さなければ音一つ立たない深さがあった。宇宙を眺める一人の人間、少年、少女、その両方に見て取れる白い頬は、赤黒い血に濡れてボロボロと割れている。何故を問う前に泣き出しそうなほど赤く膨れた目を以て閉ざすことの出来ない唇を震わせていた。
そこに水面に映る宇宙には波一つなく、音の欠片も落ちていない。
血潮も黒煙も知らぬ宇宙を眺めて思う心は平穏であろうか。それとも、過去の凄惨さに浄化の蒼き炎に気をくべていようか。誰にも教えることは無く、その冷たい大地の上で語ることもしないだろう。
薄氷に浮かぶ木の葉の一枚に涙にも似た雫が大きくなっていく。
あの星は燃える街で眺めたものと同じである。
青く輝く巨星、はるか数万光年先の、まさに過去から届く光に照らされる。争いとは全くの無煙である過去の光である。今まで残酷さを明瞭に映してきた光が時にして宇宙という手の届きようもない壮大なものを映し出した。
血を流しても、涙を流しても、ずっと天を仰げばそこにあったもの。
焚火で囲んだ団欒の小さな世界にも、コンクリートの森に潜み息を殺したその時も、帰ってこない大切なものを膝つきて泣き叫んだあの瞬間にも。
宇宙は光輝いていた。
すでに泣いても彼を慰める人はいない。もはや風に吹かれて消えるばかりの命さえ、逃すこともない猟犬の群れが湖に迫っているだろう。感動ではない。後悔でもない。壮大さに見とれた人間が全くの暖かみを感じぬ冷たさにおいて、それを伝える術を持たなかった。一寸先の未来からやってくる運命とやらは揺蕩う髪をもつ人間に分かるはずもなかった。
潰れてしまった右足を霜降る緑の大地に横たえた。
歩く気力は宇宙に奪われた。
過去を思う感情も、未来を信じる心も、生きる気力も。
宇宙は何もなかったように輝いている。
ずっと輝いている。
無数の星たちの集まりが、まるで生き物のように肘先を失った腕を伸ばしす一人の人間を飲み込んだ。
『宇宙鯨』




