第12章-2 血濡れの守護天使
秋も深まり、日も短くなり夕闇迫る時分。ある少年が泣きながら公園から飛び出してきた。
少年は黒のランドセルを背負い、目には大粒の涙を溜めて家路を急ぐ。
走っている途中で、ランドセルの中にあった小学三年生の算数ドリルが地面へと落ちるが、少年はそれに構わずに走り続ける。
「あいつら、ぼっ、ボクのことを……よ、くもっ……」
少年の名前は、吉田 達樹。公園で同級生たちにからかわれた達樹は、怒りと悲しさと苛つきがまぜこぜになりながらも、ひたすらに家路を駆ける。
最初は勢いよく動いていた足も、段々と遅くなり、ついには足を止める。達樹は息を切らし、嗚咽をあげる。
「ふぐっ……えぐっ……。 …………?」
達樹は自身の嗚咽に混じるように、綺麗な歌声がどこからか流れてくることとに気がついた。
嗚咽を止め、達樹は誘われるようにその歌声の元にふらりふらりと足を進める。その姿はまるで光に誘われる虫のようであった。
達樹は歌声に導かれて、うねうねとした細い路地を右へ左へ歩く。時には他人の庭を横切り、壁を乗り越えても、達樹はその歌声の元へと導かれるように歩き続けた。
そうして辺りはとうに真っ暗の中、気がつくと達樹はいつの間にか廃マンションの前に立っていた。
「屋上から……聞こえてる……?」
達樹はフラフラとマンションに入ると、朽ちたコンクリートの階段を一歩ずつ昇っていく。
髪には古いクモの巣が掛かり、手の平は手すりに積もった埃によって真っ黒になるが、達樹は意に介さずに歩を進めて遂には屋上に通ずる扉の前へと立つ。
「ここから、聞こえる……」
達樹は思い切り錆び付いたドアノブを捻ると、冷たい風が頬を撫でる。
そして達樹は暗い中に淡い光を纏い、その背よりも大きな白いを持つ女が、空を見上げながら歌っている姿を見つけたのであった。
「き、きれい……」
達樹のその声に気がついたのか、女は歌うのを止めると達樹に向かってニコリと優しく微笑む。そしてその女は達樹に向かってゆっくりと手招きをする。
達樹は興奮により、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。そして導かれるまま、達樹はその女に向かって歩き出す。
そして達樹はその女の手を、とうとう握ってしまう。その瞬間、達樹は女の手が余りにも冷たいこと、女の手の感触が柔らかなものでなく陶磁器のようななめらかさであることに気がつく。
同時に、自身が置かれた異様な状況にようやく気がつく。
「あ……あ……」
達樹は咄嗟に逃げだそうとするが、時既に遅し。
女の手は、しっかりと達樹の手を握って離さない。女は右手で達樹の手を握り、空いた左手で愛しそうになで始める。
「い、痛い、痛い、痛い、痛いィぃィいい!!!」
女が達樹の頬を撫でる度に、達樹の皮膚は裂けて赤い筋繊維が顔を覗かせる。
「痛い、イタイ、助け、ごめ、ごめんさイいいい!!!」
達樹がいくら泣け叫び、懇願しても女は手を休めることはない。
そして女は頬を撫でるのを止めると達樹の目に手を伸ばす。
達樹は次に女が何をするのか察してさらに暴れるが、全くの無駄。
女は達樹の目にほっそりとした指を突き立てると、なめらかな動きで目玉を引き抜く。
達樹のぽっかりと空いた右目があった場所からは、涙の代わりに血が流れて頬を伝う。
達樹は声にならない叫びを上げながら、残った左目で涙をこぼす。
達樹から奪った右目をまるで宝石を見つめるように、愛おしそうに手の平で転がしている。
だが女は喚く達樹を見てうるさそうな表情を浮かべると、次は達樹の舌に指を伸ばす。
ぶちりと小気味良い音とともに、達樹の舌が引き抜かれる。
舌を引き抜かれ、声を出せなくなった達樹を、女は再度その陶磁器のような冷たい手でなで始めたのであった。