第5章-4 長いトンネル
ジュリの右手首の皮膚が、黒く溶解し始める。
ジュリは苦悶の表情を浮かべながらも、右手で掴んだ少女の手を離すことはなかった。
「ジュリ!? 大丈夫か!?」
ジョンはマグナムを抜いて、黒ナメクジ女の腕を狙うが、射線がジュリと少女に被ってしまい発砲することが出来なかった。
少女の体が宙ぶらりになり、少女の額に流れる汗と涙が前方から吹く風によって、遙か後ろに飛んでいく。
黒い手はジュリの手を握ったまま、離さない。ジュリは叫び声を上げることはなかったが、口からは小さく呻く声が漏れた。
ジョンは軽自動車から離れるようにハンドルを切るが、ジュリを掴む黒い手は離れなかった。ジュリの手を掴んだまま、細く長く伸び続けていた。
ジュリは少女を自身の後ろに放ると同時に、左手に握っていたチェーンソーを持ち上げる。
少女がスポーツカーの座席に落ちると同時に、チェーンソーで黒い手を薙ぎ払う。
黒い手はチェーンソーの刃に触れたところから、黒い粘液を弾きながら千切れる。
ジュリが黒い手を薙ぎ払った瞬間、先ほどまでは遠くに見えていたトンネルの出口が目の前に迫る。
「ジュリ!掴まれ!」
ジョンはブレーキを掛けながら、ハンドルを切る。
軽自動車の助手席から、黒い粘液が飛び出す。母親を連れて。
そのまま軽自動車の方は、速度を落とさずガードレールに突っ込む。
そして、ガードレールの先の崖に、闇の中に、父親を乗せたまま落ちていった。
ジュリたちの車は出口から少し先で、道路にタイヤの黒い跡を残しながら止まる。
「おい! ジュリ、大丈夫か!?」
ジョンは右手を抱え込むような体勢で、苦悶の表情を浮かべている。ジョンは運転席から降りると助手席側に回る。
「おい!」
ジョンはジュリの肩を揺さぶる。ジョンにも焦りの表情が浮かぶ。
「少し……静かにしてくれる……」
ジュリは兄の方を見なかった。
ジョンはジュリの右手を見やる。ジュリは左手で、右手首を押さえている。押さえた左手と右手首の間から、蝶の羽のようなものが顔を覗かせる。
ジュリは黒い粘液がついた部位を、蝶によく似た、数枚の妖精の羽で押さえていた。
妖精の羽の鱗粉には癒やしの効能があり、黒い粘液の腐食も食い止められていた。
「ねえ……兄さん。女の子は……?」
ジョンは少女の方を見ると、少女は恐怖とショックからか失神していた。しかし、見たところ、目立った傷などはなかった。
「ああ、あの女の子は無事だ! それよりか、お前の方が……!」
「良かった……」
ジュリは安心したのか、意識を手放した。ぐったりとした妹を見て、ジョンの額に冷や汗が流れる。
ジョンは急いで運転席に戻ると、アクセルを大きく踏み込んだ。街へ行くために、妹を救うために。
後日、少女の父親は崖下で、落ちた衝撃でぐしゃぐしゃになった車内から発見された。母親は換気扇の突起部に首を突き刺されて絶命していた。
2人とも皮膚の大半が融解しており、死ぬまで暴れていたことが警察からジョンに報告された。救出した少女は精神を病み、どこかの病院に強制入院させられたという。
その後、2週間ほど、ジョンは妹の仇を取るべく1人で高山トンネルに通い続けた。
重装備したジョンであったが、しかし”黒ナメクジ女”に遭遇することはなかった。




