22-11
ジュリは鉄製の玄関扉を、顔が半分ほど出して廊下の様子を窺う。
左にはぽっかりと口を開けたエレベーターが、右手には少し先に階段が見えていた。先ほどに見た”ガスの残渣”は宙に溶けて消え去っていた。
「兄さん、今のうちに行きましょう」
「おう。おい、後ろからちゃんと付いて来いよ?」
「はっ、はい」
青い雨に当たらないように壁際に沿って3人は廊下を走る。
かなり大きい団地であるが端から階段まで50メートルほどであり、ものの2分程度で階段まで辿り着く。ジュリは現在の階数表記を確認すると、『3階』の表記がされていた。
「心中があった部屋って『501号室』だっけ? 今3階だから雨に当たらないように上がらないと」
「まったく、傘でも欲しいもんだな」
「……傘があったところで、溶けると思うけど」
「あ、折りたたみ傘持ってきてたわ。ちょっと試しに差してみっか」
「……本気? というかその傘、センスないわね」
ジョンは背負ったリュックサックから1本の折りたたみ傘を取り出すと、その場で広げる。
ひまわりの意匠をした、レースの着いた真っ黄色のその折りたたみの傘に、ジュリは思わず心の声を口に出してしまう。
「よし、これで”青い雨”対策は完璧だ、な……?」
ジョンは広げた傘を階段の庇からわざと外に突き出す。
雨が傘に触れた瞬間、傘は骨組みごとプラスチック独特の焼けた臭いを残して、どろりと溶解して地面へと落下していった。その様子を見てジョンは悲しげな表情を浮かべて、雨に当たらないように狭い階段を一歩ずつ上がっていく。そのジョンの背にジュリは意地悪そうな顔で声を掛ける。
「で、傘が溶けた感想は?」
「残念以外ねぇよ、まったく!」
ジュリたちは時折跳ねる雨をうまく避けながら階段を昇り、まずは1つ上の階である4階へと到達する。
先頭のジョンが銃先を短く切り詰めた散弾銃のM870 MCSを構えながら、ゆっくりとその階の様子を確認する。そしてジュリもジョンの背から4階の様子を観察する。
「3階とまったく一緒ね」
無機質なコンクリート製の廊下、錆が浮き出た鉄製の扉、ぽっかりと口を開けたエレベーター。それらは先ほどまで見たままの廊下であった。
先ほど襲われたガスの怪異の気配もなく、安全そうであった。ジュリは辺りの臭いを嗅ぐが、特にこれと言って臭いがするものはなく、『上の階で挟み撃ち』という最悪な事態は避けられそうであった。
「……?」
ジュリはここで違和感を覚えるが、それがなにか分からない。
ジュリがその違和感について頭を捻っていると、そのことにジョンが気がつく。
「ジュリ、どうした?」
「んー、分からないわ。何か引っかかるんだけど」
ジュリは考えるが、答えは出ない。時間も惜しい。その違和感を頭の隅に追いやると、501号室を目指して再度階段を上がる。
そして5階に着いたジュリたちの目に飛び込んできたのは先ほどとまったく同じ無機質なコンクリート製の廊下、錆が浮き出た鉄製の扉、ぽっかりと口を開けたエレベーター。ジュリは先ほどと同じく違和感に襲われるが、取りも直さず、一番エレベーターに近い501号室へと向かう。
「……ここが心中があった部屋ね」
「ああ、そうだな。なぁ、なんかお前の鼻にひっかかるものはあったか?」
「……いえ、特には。じゃあ、開けるわよ」
ジュリはドアノブに手を掛けると、ゆっくりと回す。
同時に鼻に突き刺さる腐臭とすすり泣き声が、開いた部屋から一気に漏れ出した。
「……っ!」
ジュリはチェーンソーのエンジンを一気に吹かすと、部屋の真ん中で膝を着いて泣いている”真っ黒に腐れた女”へとその刃を振り下ろしたのであった。




