21-1
関西、大阪。
難波にある繁華街。喧噪のある中心街から離れた暗い路地裏。1人の酔っ払った若いサラリーマンが、酔いすぎたのか胃の中のものを地面へとぶちまけていた。スーツの裾に跳ねた胃液が飛沫となって掛かる。だがサラリーマンはそんなこと気にも止めない。
「じゃあな、中島! 明日頑張って会社に行けよ? 俺は有給だけど! じゃあ、おやすみー」
暗い路地には2人のサラリーマンの姿があった。1人は壁に肘を着く格好、そしてもう1人はそのまま路地から抜けて夜の街へと消えていく。
「おぉぉえっ! ぺっ、ぺっ。ふぅ……」
中島は胃の中のものをそっくりと吐き出して落ち着いたのか、深くため息をつく。
酒のせいでぐらぐらと揺れる視界。胃液しか吐くものがないにも関わらず、こみ上げているものを押さながら目を閉じて仄かに吹く夜風で気を紛らわす。
(しばらく、ここで休もう……。ったく明日も仕事だってのに、夜中の3時まで飲みに付き合わせるかね、ふつー)
中島はネクタイを緩めると、黒く汚れた壁にもたれかかる。
路地を抜けた先から目に入る、切れかかったネオンの光がチカチカと中島の顔を照らす。そうして少し経った頃、ふと近くに感じる人の気配。”こんな暗い路地裏に人の気配?” 中島が不思議に思い、うっすらと目を開けるとすぐ傍には如何にも水商売の身なりをした女性が立っていた。年はかなり若そうであったが、厚く化粧しているせいとそもそもが暗い路地裏なので本当に己より若いのかあるいは年上なのか計りかねていた。
「おにーさん、大丈夫?」
鼻につくほどの強烈な香水と濃厚なタバコの臭いを振りまきながら、その女は中島に尋ねる。
わざとなのだろう。腕で胸を強調しながら、媚びるように上目目線で中島を下から覗き込む。
「あっ、はい……ほんと、大丈夫なんで……」
「おにーさん、顔、真っ青だよ。少しウチの店、寄っていかない? すぐ近くにあるからさ」
「あっ、いえ。すみません、今、手持ちもなくて……ほんと、大丈夫なんで……」
中島は酔った頭でも目の前に現れた女に警戒し、身を固くする。
”どうせ、悪質なキャッチかぼったくりか、あるいは両方か”そんな考えが中島の頭を巡る。取っ払いとはいえ、その程度の理性は残っていた。
「おにーさん、本当に大丈夫? 足がふらついてるけど」
そう言って女は中島の腕に自身の腕を絡ませ、ぴたりと身を寄せる。
お互いの吐息すら感じられるほどの距離。急な女の行動にさらに中島の警戒心は高まる。高まるはずであった。
「……ええ、そうですね。ゆっくり休みたいです」
「じゃあ、早く行きましょうっ!」
腕を絡ませた状態で中島と女は路地の暗い闇へと消えていく。
2人が闇に消える直前、最後に見せた中島の目はとろんと焦点が合わず、女にされるがままであった。
――それから少ししてその路地裏に一組の男女がゆっくりと何かを探すように立ち入ってくる。
1人は大柄な筋肉質で漆黒のライダースーツを着た男と背に長い竹刀袋を背負った着物姿の少女。
「巌さん、うちらだいぶ遅かったんちゃうか? 情報だとここいらに”夢魔”が居たはずやろ?」
「そうね~、結衣ちゃん。全く、あたしたちだけじゃちょっときついわねぇん」
男の方は鬼丸 巌、そして少女の方は仲小路結衣。2人は関西を中心に活動する退治屋であった。
その2人は顔を突き合わせて、次のことについて話合う。
「最近の男だけが肉が貪り食われて捨てられる事件、巌さんは”夢魔”がやったんじゃないかって話だったよな?」
「ええ、昔の伝手を使って、海外の類似事件を調べたからねぇん。被害者は若い男ばかりで、肉を食い漁られて毎回見つかるって、ね。今回の連続事件と重なる点が多いから、そうじゃないかって話」
「……解決方法もあったん?」
「海外だと囮を使ってやるのが1番らしいわねぇん。若くて格好良い、そんな男子。あたしは女の子だから、囮にはなれないわぁん」
「巌さんはどっからどう見てもおっさんやろ……。他に策はないんか?」
少しだけ巌は考えると、青くなったひげを擦りながら口を開く。
「奏矢兄妹にこっちに来て貰うのは? あの子たちなら囮にも戦力にもなるわよぉ?」
「……あんまり借りばかり作るのは気が進まんなぁ。うち、貸し借りは嫌いねん。でも仕方ないか」
そういうと結衣は辺りを見渡して妖しげな気配を探る。”極力借りを作りたくないので、ここで怪異を捕まえられたら”という思いがあったのだ。もっとも、そんな都合良く怪異が居るはずもなく、ちょうどビルの合間から見える白止んできた空しか見えなかったのだった。




