20-7
赤い、赤い華が咲く。
芳醇な鉄サビの臭いを携えて。
ぬるりヌラヌラ、濡れていく。
はらわた貪る、ムカデたち。
「ジュリーッ!!!」
一瞬の出来事。
瞬き1つにも満たない僅かな時間。1つの油断が、判断ミスが死を招く。”幻視”に気を奪われたジュリは己に迫るムカデに気がつかなかった。まるで出来損ないの”生け花”のようにジュリの柔らかな腹の肉に数匹のムカデが貪り、暴れる。
「……か、はっ」
幻視から意識を覚醒させたジュリは、はらわたに群がるムカデたちの胴体をチェーンソーで横凪にする。
床に転がるムカデたちの半身はのたうち、血の池へと転がり落ちていく。一方でジュリの腹部に食らいついたムカデの頭部はまさしく”死にものぐるい”でジュリの肉を貪り、大暴れする。ムカデが動く度に、ジュリは腹部からの痛みで意識を失いそうになる頭をなんとか奮い立たせる。
「……油断した、わね。この服、クリーニングに、出しても、もう着られなさそうね」
胃まで達した傷から胃酸とともに逆流した血を地面へと吐き出しながら、ジュリは皮肉交じりに呟く。
膝を着き、足下に次から次へとせり上がるムカデとゴキブリ、そしてウナギにも似た怪魚をチェーンソーを盾の様に振りかざしながら、なんとか攻勢を防ぐ。
「おいっ、ジュリ! 動けるかっ!?」
ショットガンの弾丸を絶え間なく吐き出して弾幕を作りながら、ジョンははジュリの腕を引っ張ると部屋の端まで一気に後退する。
部屋中に浸食し続けた血の池は沸騰し、まるで地獄のような様相を催し始める。ジョンはジュリを壁にもたれかけさせると、半透明の修道士や蟲たちを近づけさせまいと引き金を引き続ける。32連ドラムマガジン付きのAA-12ショットガンの真価がここで発揮されていた。1つのマガジンに32発の弾丸、それをフルオートで射出するのだ。大量に怪異が来たとしても、1人で攻勢に出られるほどの威力と弾数。だが、それも限界がある。
「畜生、キリがねぇ!」
何度、眉間に弾丸をぶち込んでも戻ってくる半透明の修道士に、無限に湧いてくる人肉を喰らう蟲たち。
如何に大量の弾数があったとて足りるわけもない。ゆっくりと、だが確実に押され始めていた。
「兄、さん……」
「ジュリ、喋るなっ! もうこんな”朗読会”はお終いだっ! 早いとこ篠生さんが持ってる本をたたき落としに行くぞ!」
ジョンはちらりと部屋の中央を見る。
部屋の中央、血の池の中心地。そこの水面に浮いた鈴の姿。仄かに身体全体が発光し、やもすれば幻想的とも思えるその姿。周りが浮遊する半透明の修道士や血の池という地獄絵図でなければ、ではあったが。ジョンはショットガンを鈴の本に向かって発砲するが、それが鈴に届くことはない。
「おいおいおい、勘弁してくれよ」
「兄、さんは”幻視”が、見えて……ないの……?」
「ん、ああ。いつの間にか見えなくなった。その代わりこのクソッタレどもと”お遊戯会”をするハメになったけどなっ!」
ジョンはもはや怒声を上げて、ショットガンの引き金を引き続ける。
撃って、撃って、また撃って。空になったドラムマガジンを投げ捨てて。新しいマガジンを入れ替える。撃って、撃って、また撃って。そんなことを何度も、何度も繰り返す。その死闘の最中でも”朗読会”は進んでいき、残りは後僅か。
『2月11日 ああ、ああ。我らの、我らの聖女が、聖母が。教会に、教会によって殺された』
大声で、だが清流のような静かな声で”本”を読み上げる鈴。一方で半ば意識が飛びかけたジュリには”幻視”を見続けることは出来なかった。
壁を背にしてもたれかかり、腹部からは絶え間なく血が流れ落ちる。そのような半死の状態のジュリ。朧気な意識の中、霞が掛かる視界に蜃気楼のようにぼやけて”幻視”が映り込む。
――ジュリの意識が暗転する。
『ああ、ああ! テレサ、私たちの、私の、愛おしき聖女、テレサ!』
『……ああ、クラウティオ』
どこかは分からぬ、窓1つない部屋――いくつも大きな酒樽が並ぶワインセラー。一組の男女がそこにいた。腹部に深々とナイフが突き刺さりもはや息も絶え絶えとなったテレサとテレサの身体を揺り起こすクラウティオの姿があった。
その横にぼんやりと半ば幽霊のようになりながら、ジュリは2人を見下ろすのだった。




