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20-3

――『2月9日。主の教えの道はなんであるか。主にこの身を捧げて幾十年。主の声が聞こえない。我が国の修道院で、教会で、金品に目が目が眩んで免罪状などを出している。罪を償うには清廉と潔白だろうに』



 鈴は古びた本の表紙を開き、1ページ目の文章を読み上げる。

その読み上げられた文章を聞いた瞬間、鼻の中をツンとした鉄さびの臭いが充満する。ジュリは咄嗟に鼻を拭うと、手についたのはどす黒い血。次いでジョンの方に視線を向けると、ジョンもまた床に垂れる己の鼻腔から滴り落ちる血に驚きの表情を見せていた。殴られたわけでも、衝撃があったわけでもない。痛みはなく、ただただ流れ落ちる鼻からの黒い血。



(これ、かなりマズい……)



 ジュリの脳内にガンガンと警鐘が鳴り響く。

口の中には酸っぱい味が広がり、胃酸がゆっくりとせり上がってくる。



『3月16日 ああ、今日もドネスティ副僧院長と言い争いをしてしまった。我が修道院でも免罪状を出そうというのだ、いつから、あのお方は世俗に塗れてしまったのだろう。質素貧廉こそが、我らの教えではなかったのか。毎日、毎日、主に問いかけるが答えは見つからない』




 ……ィッーーー!



 ジュリの耳に小さな音が聞こえる。黒板を爪で引っ掻いたかのような、本能が拒否する音。

鉛のように重たくなった身体を起こして辺りを見渡すと、応接室の壁紙が上から剥がれ始め、その隙間をこれまたどす黒い粘性のある液体が――”血”が噴き出していた。



 (うっ……頭……痛い)



 ――ザザザ。



 頭蓋に無数の蟻が入り込んで暴れるような、脳を直接触れられたような不快感。そして頭痛に襲われて膝を着く。

眼窩(がんか)の奥で火花(スパーク)が飛ぶ。眼窩で起きる火花(スパーク)の中に、断片的に何かが映り込む。




 ――ザザザ。



 ひと昔の前のブラウン管テレビが吐き出した砂嵐のような靄がジュリの右目の視界を覆い始める。

先ほど見た古びた写真。その写された修道士たちを背後から見る位置で脳裏に映像が浮かぶ。




 ――ザザザ。



杯を手に持ち、笑顔で男たちはとある女性を囲んでいる。


 

 ――ザザザ。



 お祝い事のように彼らは杯を一気に煽る。

そして杯を机の上に置くと、真ん中の修道士がジュリのほうに向かって振り返る。



 ――ザザザ。


 

 生気のない目でジュリを見つめる修道士。剃髪をし、ガリガリに痩せていて、眼窩がくぼんで目の下には大きな隈がある、顔色がとても悪いその男。

修道士の顔にジュリは見覚えがあった。だがそのことを考える間もなく、ジュリの首に向かって枯れ枝のような腕が伸びる。



――ジュリの視界が暗転する。

出来の悪い映画をちぐはぐに繋いだかのような、突拍子のなさ。



「痛っ!」



 ジュリの意識は足先の痛みで覚醒する。先ほどの修道たちは居なくなり、自宅の応接間へと視界が戻る。

足下を見ると腕先の大きさはあるムカデが机の下より這い出ており、ジュリの足先を囓っていた。光沢のある真っ黒な身体に蛍光ピンクの脚。口元から囓られた肉片が床へと散らばる。そして威嚇するように頭部を持ち上げてジュリと視線がかち合う。



「っ!?」



 『いつの間に、どこから?』そんなことを考える余裕はない。ジュリは座った状態で思い切り机を下から蹴飛ばす。 

ガンッと大きな音を立てて木製の机がティーセットごと宙を舞う。そして宙を舞う机を見ながら、部屋全体が異形のものへと変貌しているのをジュリは見た。



 まだ昼間にも関わらず、窓に映るのは真っ黒な空間のみ。壁からは赤黒い血が延々と滴り、本棚の隙間からは蛇口を捻ったかのようにムカデやゴキブリが這い出てきていた。

そして鈴の持つ古ぼけた本は暗い室内で仄かに光っていた。



「それを、閉じなさい!」



 ジュリが気がついて叫ぶと同時に、机の上に乗っていた札束が鈴の腕に落ちてくる。

そして札束がぶつかった衝撃で、鈴は手に持っていた本を床へと落としてしまう。



パタン。

カーペットの敷かれた床に小さく音を立てて落下したその”古ぼけた本”は、落ちると同時に閉じてしまう。そして本が閉じた瞬間、暗闇になっていた窓からは朝の日差しが差し、血が吹き出た壁やおびただしい蟲たちも姿を消す。残されたのは床に転がった机と割れたティーセット。肩で息をしながらジュリは鈴を睨み付ける。



「先にこういうことが起きるって事を一言伝える”知能”はないのかしら? 頭まで()になってるのかしら」




「後で”狗小屋”の修理費は多めに渡しますわ。それでワタクシがこの本を読みたい理由と護衛をお願いした理由は分かりましたわね?」



「あの修道士の男、あいつぁ”祝福されし仔ら”だろ? それ、アイツに纏わるもんだから、それを読み解きたいってか。だがこの前、篠生さんは俺らにアイツの素性を話してくれたはず。今更、”朗読会”をする意味なんてあるのか?」



 鈴はジョンのその答えにニコニコと笑顔を作るばかりで、否定も肯定もしない。

だが、その無言は全てを物語っていた。



「つまり、ジョン(兄さん)の答えが正解ってワケね。それで、”朗読会”をするなら、当然場所はここ以外にあるんでしょうね?」



「ええ、もちろんですわ。もっと広くて綺麗な場所をご用意致してますの。分かったのなら、早くいきませんこと?」



「はぁ、取りあえずしっかりと準備をするから外で待っててくれるかしら。 ……修理費は慰謝料込みで百万ね」



「そのぐらいなら車の中で渡しますわ。ではまた後で」



 鈴は軽くお辞儀をするとそのまま応接室から出て行く。

ジュリとジョンは荒れた応接室を見て、後で掃除することに大きなため息を吐くのであった。

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