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19-7

黴びて腐った畳の上。所々床には穴が空き、他の見た目が無事な部分も少し体重を掛けると足が沈むほど。人が住んでいるはずのない、住めるはずのない廃屋。

1人の少女が手足を黄色いビニールテープでぐるぐる巻きにされて腐った畳の上に転がされていた。紺のブレザーに身を包み、口には猿ぐつわ代わりにハンカチを咥えさせられていた。少女の涙でショートカットの茶髪が濡れており、その様子を歪んだ笑顔で男がしゃがみながら見ていた。



「なぁ~、清水 悠(しみず ゆう)ちゃ~ん。ねぇ、今、どんな気持ち? ねえ、今どんな気持ち、かなぁ?」



「ふぅっ、ふぅっ!」



 男は無精ひげの伸びた頬を指で掻きながら、悠の頬に肉厚の中華包丁をぺちぺちと当てる。

男はブルーカラーの仕事に就いているのかあるいはトレーニングが趣味なのか、垢と埃で汚れたシャツから見える胸と腕は筋肉隆々であった。男はポケットから折りたたみ財布を取り出すと、免許証を悠に向かって見せる。



「俺、上成 徳雄(うえなし とくお)。ほら、悠ちゃん、俺の名前、よく見て。ほらほら、良い名前だろ、ほらほら」



「ふぅっ、ふぅっ!」



 脂ぎった顔を照り付かせながら、上成はニヤニヤといやらしく笑う。

悠は上成から逃げようと身体を捩らせるが、手足を縛られているために芋虫のようにしか逃げることは出来ない。腐った畳がブレザーや顔に付くがそんなことはお構いなしに悠は上成から逃げようとする。這いずり、少しでも、遠くへ。だが、誘拐犯の上成がそんなことを許すはずもない。悠の肩を掴むと、無理矢理仰向けにして馬乗りになる。



「悠ちゃん。俺、実を言うとさ。前からずっと()()()のコトを見てたんだよねぇ。きっみ、ほん()うに可愛いねぇ」



 中華包丁の角で太ももを軽くつつきながら、楽しそうに語りかける。

上成の体重で床が沈み、壁からは家鳴りが響く。後に聞こえるのは時折遠くから聞こえる鳥の声と風で木々が揺れる音。そこまで人里離れた場所ではないはずなのに、辺りには人の気配などなかった。



「な、な。悠ちゃん。これ、これ見て。な、な、これ見て」



 悠に向かって上成は胸をはだけさせて、ネックレスを見せつける。

ネックレスにはいくつもの茶色で細長い――ぱっと見ただけでは”干し椎茸”。だがそれの先には真っ白で固い爪先が付いており、干した椎茸ではないことは一目瞭然であった。




「これ、俺の宝物。きっみも仲間に入れてあげる」




「うぅ~っ、ううぅ~っ」




 悠は顔を左右に激しく動かして拒否の姿勢を上成に見せつける。

上成はそんな悠の表情を、心の底から楽しそうに見つめる。そして無理矢理悠の手を開かせる。



「良いよね、ねっ、もう良いよね?」



 そして上成が悠の指を落とそうと中華包丁を振り上げたとき。

崩れた玄関扉を乱暴にたたき壊す音が静寂を破る。そして一直線に上成と悠の居る和室へと迫る2つの足音。



「おいっ、悠!」



「取りあえず、清水のおっさんの娘さんは無事みたいだな。おい、そこの汚ぇの。その子をすぐに離せば、命だけは助けてやる、たぶん」



 和室に飛び込んできたのは清水とジョンの2人。

清水はリボルバーを構え、ジョンはサバイバルナイフを構えていた。突然の訪問者の襲来に上成は狼狽するが、すぐさま悠を抱きかかえて首筋に包丁を当てる。




「お前ら、け、警察か! 俺にそれ以上近づいたら、悠ちゃんを殺す!」



「てめぇ!」



 清水は手にリボルバーを構えたまま怒声を上げる。

膝を着いた状態で上成は悠を人質に取る。お互いに動けない膠着状態。悠のスカートからは生暖かな液体が滴り落ちていた。



「おー、おー。ドラマでよく見る台詞だな。清水のおっさん、落ち着けよ。んで汚ぇの。どう考えても逃げ場がないってことは分かるよな? 大人しくすれば”痛い目”を見ずに済むぜ?」



「お、おめーら何人で来たんだっ!? どうせ、外には応援の警官がい、一杯なんだろう?」



「警察は隣に居るおっさん1人だけだ。後は部外者の俺だけだ。なあ、落ち着いて話をしようや。今ならまだ無期懲役で済むかもしれないぞ。その子を離さなきゃ、今すぐに死刑だ。さあ、選んでくれ」



「そ、そんなこと、信じられるかっ!」



 口角から泡を飛ばし、激しく興奮する上成。

顔は酸欠に近いのか真っ赤になり、包丁を悠の首筋へとさらに力を込めて当てる。皮膚が切れ、一筋の血の筋が悠の首筋からブレザーの襟元へと伸びていく。悠は恐怖で身体がガタガタと震え、目の前に居る父親に救いを求める。



「ふっ、ふっ!」



「悠っ!」



 清水は上成に狙いをつけたリボルバーの引き金を堪らずに引く。

1発の発砲音。鼓膜を突き破るその音と同時にジョンが上成に向かって飛びかかる。



「清水のおっさん、話と違うぞっ!?」




 ジョンは叫びながらドロップキックをする体勢で上成へと突っ込む。

一方で上成は反射的に悠の首を掻ききろうと指に力を込める。だが。



「あ、れ?」



 上島の指に力が込められることはない。

視線を包丁へと向けると床へと落ちる己の指と包丁。そして視線を前に戻したときには、眼前一杯に映る泥と雑草がこびりついた靴底。



「うおらぁああ!」



 咆吼を上げながら放ったジョンの一撃。

衝撃で上成は壁に叩きつけられ――脆くなった壁は衝撃を受け止めきれずに上成は外へと転がり、地面へと突っ伏す。顎の辺りを蹴られたために、顎部は外れて前歯が折れて舌が外へと飛び出る。両の鼻の穴から真っ赤な血を垂れ流しながらも上成の肩は上下に揺れており、意識はないものの生きているようであった。



「よっし!」



 ジョンは事件の解決を確信する。

清水の娘――悠を救出し、犯人もまた無力化することが出来たのだ。あとはもう、適当に言い訳を考えるだけ。



「……え?」



 ジョンは微かな振動を腐った畳の上で感じる。

その振動の発生源は畳の下。そして聞こえるチェーンソーのエンジン音。




「ジュリッ! 待て待て待てっ!」




 ジョンがそう叫ぶと同時にジョンの股下から飛び出してくる呻るチェーンソーの刃。

その刃は何かを探すように少しだけ左右に動くと、そのまま出てきたときと同じように床下へと戻っていく。ジョンは綺麗に貫かれた床下へと続く穴を覗き込むと、そこにはチェーンソーのエンジンを止めるジュリの姿があった。



「兄さん、最初のプランと違うでしょ。最初に私が犯人を床下から奇襲をして、そこから兄さんと清水さんで取り押さえる手筈だったでしょ。何かあったの?」



「清水のおっさんの暴走だ」



「あら、そう。取りあえず、私はここから出るわね」



 ジュリはそのままずりずりとチェーンソーを抱えたまま匍匐前進をしてジョンの視界から消える。

ジョンはやれやれと言わんばかりに頭を掻きながら振り返ると、そこには涙を流しながら抱き合う清水と悠の姿。



「なあ、清水のおっさん。こんなところに居たら身体に毒だし。感動の再会は後にして早いところここから出ようや」


 

 ジョンは抱き合う2人にそう声を掛けると、上成を拘束するために壊れた壁を乗り越えて外へと出るのであった。

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