18-4
月が陰り、真っ暗闇の海上。
激しく波をかき分けながら小型の漁船が1隻。漁船は白波を立てて時速30ノット (時速約55キロ)で闇の中を進む。
「ねぇ、兄さん。もうちょっと良い船はなかったの?」
「うん? コイツは漁船じゃなくて”捕鯨船”だ。船名は赤城丸。急いで手に入る船の中で一番良いものを選んだぞ?」
ジョンは船を操舵させて鼻歌を歌いながら答える。ジョンのそのいつもの様子に船の船首で暗い海を眺めていたジュリは苦笑する。船首にいるために、ジュリの頬や髪、そして着込んだウェットスーツと背負った大型チェーンソーに飛沫が掛かっていた。
2人が乗船しているのは20フィートほどの中古の捕鯨船。船体には使い古した証である汚れが至る所にあった。そして海からではなく、船体自体からも独特の生臭さと鉄臭さが鼻をついていた。
「……まあ、兄さんがそう言うならそうなんでしょうね。それで、何か作戦はあるの? 海に入って狩りなんて馬鹿げたマネしないでしょう」
「簡単な作戦だ。 ”船爆弾でドッカン”、これだけだ。歯の大きさが約9インチ (約23センチ)なら、単純計算で体長は20メートルはあるからな。怪異に銛を打ち込んで逃げられないようにしてから、爆薬満載のこの船を爆破。んで俺らは緊急用のボートでおさらばと。完璧だろ? しかも威力はデカいシロナガスクジラも一撃で葬れるほどの折り紙付きだ。ジュリ、船首近くに銛がセットされているが分かるか?」
ジュリは船首へと視線を向ける。船の前面の左右に1つずつ、ジュリの半身ほどの大きさの機銃が鎮座していた。
それを確認するとジュリはジョンに振り返る。
「その場しのぎだけの計画じゃないだけいつもよりもマシね。兄さん、この機銃? 暗くてよく見えないんだけど」
「ああ、左右1発ずつ。最初は船から逃げられないようにつけて貰ったんだけどな。銛の先に発信器が埋め込んであるし。まあ、運がよかったぜ。捕鯨砲マークⅠと捕鯨砲マークⅡだ」
ジョンは魚群ソナーを見ながら、得意げな表情を浮かべる。そして操舵席から降りると、ジュリの横を通り過ぎて船首へと立つ。
巨大な機銃の横には照準器が付いており、撫でるように触れるとジョンは子供のような無邪気な笑みを浮かべる。所謂”秘密兵器”、これにときめいていたのだ。1度、この銛を放てば再装填はできない。そんな不便さでさえジョンはワクワクしていたのだ。
「ところで、どう? 怪異は近くにいる? 今日は少なくとも近くに他の船が来ないように通達はしてあるけど」
「いやー、特に反応はなし。なら撒き餌でおびき寄せるか。もうここは湾の外房だしな」
ジョンは船を止めると、イカリを下ろさずに操舵席から出てくる。
そして船に積んであった”血塗れのカツオの切り身”を、バケツからいくつも暗い海へと投げ捨てる。カツオが海に投げ入れられる度に、大きな水音が静かな海面に響いていく。
「高い”撒き餌”ね。これだけあれば一週間どころか、一ヶ月はカツオのタタキを食べられるのに」
「残ったら、持って帰るか?」
「冗談でしょう? 兄さん1人で食べるなら考えるわ」
「経費削減にはちょうど良いだろ? ところでこの怪異なんだが、”メゴロドン”って言うのはどうよ?」
「”メゴロドン”? メガロドンじゃなくて?」
「ああ。なんとなく、そっちの方が怪物っぽいだろ?」
「まあ、好きに呼んだら良いと思うわ」
そんなこ軽口をジョンは叩きながらカツオを断続的に海へと投げ入れる。陸の明かりは遙か遠く。豆粒よりもさらに小さな明かり。聞こえるのはただただ波音ばかり。
いくつものカツオの切り身を入れたバケツ。魚群ソナーを確認しながら1杯、2杯、3杯……そして最後のバケツの中身を空にする。だが時折海面がうねるだけで、巨大な魚影は確認することは出来なかった。
「何も反応はないわね。今日は外れかしら?」
「んー、まあ。来ないもんはしかたねぇな。 っ!? ジュリ、何かに掴まれっ!」
魚群センサーを眺めていたジョンが突如声を荒げる。
それまで暗い海を警戒していたジュリ。ジョンのその声で咄嗟に船縁へと捕まる。
「うおっ!」
「っ!」
一拍置いて船に重たい衝撃が走る。船に置いてあった空のバケツは宙を舞い、ジョンは強かに操舵席の壁へと身体をぶつける。そして一拍置いて捕鯨船に積んだ酸素ボンベがいくつも甲板や海へと散らばり、落ちる。
ジュリもまた下から突き上げられた衝撃に船縁を掴んだ状態で宙を舞い、掴んでいた船縁へと胸部を強打する。
「ごほっ、ごほっ……! っ、兄さん!」
「ああ、分かっている!」
ジョンは体勢を立て直すと、照明をつけて船首へと走る。
真っ暗闇の海の闇が捕鯨船の集魚灯によって一気に明るくなる。ジョン、そしてジュリが闇が晴れた中で見えたのは、海中にいる背びれを携えた大きな”黒い壁”。適当に撃ったとしても必ず当たる、そんな黒い壁。ジョンは照準をつけるとその黒い壁に向かって捕鯨銛を発射する。
「おいおい、マジかよ……マークⅠが」
ジョンが機銃を構えた状態で呻く。
鋼鉄製の銛、それを高速で発射する捕鯨砲。例え鯨の強靱な肌どころか内蔵まで貫く威力の銛。それが”黒い壁”にはまったく突き刺さらずに海底へと沈んでいってしまう。そしてそのことをあざ笑うように、再度船に重い衝撃が走るのだった。