EX2-6
「いひぃっ……」
『だれっ!? だれっ!? きゃははははははっ!』
テント内に響く無邪気そうな少女の声。
しかしテントの裂け目から見える顔はその顔とは不釣り合いに皺が刻まれた老人の顔にむりやり据え付けたような獣の鼻先。ゆっくりと裂けた口からは唾液でヌラヌラと濡れた不規則に並んだ牙。その異形はカチカチとリズミカルに歯を打ち鳴らす。
「はっ、ひぃっ!?」
雅司は少しでもその異形から逃れるべく、狭いテントの端で尻餅をついたまま後ずさる。
異形は笑い声を上げながら、オモチャを見つけた――あるいは虫をなぶる子供のように、吐きそうになる程濃厚な血の臭いを口からまき散らしながらゆっくりとテントの中へと侵入してくる。
「はっ、はっ……! っ!?」
異形がテント内に入ってこようとしたことで、テントの骨組みは悲鳴を上げる。大きく揺れるテント中、雅司が持ってきていた荷物も揺れてテント内へと散らばっていく。
コツンッと雅司の指に軽いものがぶつかる。咄嗟に雅司がそれを手にぶつかったものを見やると、それはBBQをするために持ってきていた着火ライター。そして手には熊よけのスプレーがしっかりと握り込まれていた。
「こっ、これでも、くらえっ!」
震える指でライターを点火し、これまた震える指で熊よけのスプレーをまさにテントに入らんとする異形目掛けて発射する。
ライターとスプレーの組み合わせによって”即席火炎放射”になったスプレーの軌跡は異形の顔に向かって――否、向かわなかった。手が震えて狙いが定まらずに異形よりも上、テントをただ焼くばかりであった。
『だれっ!? だれっ!? きゃははははははっ! きゃははははははっ!』
異形の鋭いかぎ爪の付いた太い腕がテントを破って雅司に迫る。
咄嗟に”即席火炎放射”でその腕に向かって応戦する。だがこの異形は火炎に竦む様子はない。毛が燃えて皮膚は焼けただれケロイド状になっているにも関わらず、その腕を引っ込める様子はない。
ガタガタとテントが大きく全体は揺れる。まるで小型ボートが嵐に巻き込まれているような激しさ。
即席火炎放射の軌跡もまたテントの揺れに合わせて右へ左へと動いていく。異形の顔面に火炎を当てるがほとんど竦むことはなかった。濁った黄色い目で雅司を見つめる異形。雅司の精神状態と同じように勢いをなくしていく火炎放射機。
「ああぁぁぁ……」
雅司は悲壮なうめき声を上げる。
咄嗟に思いついた即席火炎放射機。それがほとんど意味をなさなかったのだ。1秒でも長く生き残るために即席火炎放射機を異形に向かって吹き付けるがそれも時間の問題であった。そして現実から目を逸らすように雅司は固く瞳を閉じる。だが。
『だれっ!? だれっ!? きゃははははははっ! きゃははははははっ! きゃはっ!?』
「えっ?」
突然笑い声が途絶えた。
恐怖の余り目を閉じていた雅司はゆっくりと目を開ける。
『だれっ!? きゃはっ!? だれっ!? きゃはっ!?』
バリバリと己の顔面を掻きむしる異形の姿。何が起こったのか理解が追いつかない雅司の目の前でテントが黒煙を上げて燃えさかっていた。同時に雅司はここであることに気がつく。
「テントが……溶けてる……?」
先ほど雅司がめちゃくちゃに火炎放射したためにテントに火が付いてしまっていたのだ。そしてその火はテントを焼き、ポリエステル製の安いテントは融解して滴っていた。
『きゃはっ!? かはっ!? きゃはっ!? かはっ!?』
”何かを剥がすように”己の顔を掻きむしる異形。鋭い爪で顔を掻きむしったために眼球は抉れて朱い繊維片が顔を覗かせる。
そしてようやく雅司はここで異形に何があったのかを理解した。
(溶けたテントが顔に張り付いてる……)
ドロドロになった”元”テント。それがテントに顔を突っ込んだ状態の異形の目に降り注いだのだ。
溶けたテントはポリエステル製。熱が無くなればすぐに固形へと変化していく。粗悪なポリエステル製が逆に幸いしたのだ。溶けたテントは異形の目の中で固まっていき、それを異形は剥がそうと悶え苦しむ。
『かはっ!? かはっ!?』
擦れ声を上げて悶えていた異形。何度も、何度も擦れた咳みたいなものを出すと、ついには異形がその場でうめき声を1つ。
そしてそのまま森の奥へと走り去っていく。あとに残されたのは燃えさかるテントとその中で茫然自失となった雅司だけであった。




