EX2-5
雅司はじっとりと汗ばんでいた。目の前に居る異形。雅司の背がぞわぞわと総毛立つ。それは以前にも体験したことのある感覚。
前にジョンに”黒ナメクジ女”の居るトンネルに連れて行かれたとき、”ガンプ”に襲われた時。それらと全く同じな感覚。”死”を予感させる、そんな感覚。
(はぁ……はぁ……)
刺すような嫌悪感。叫び出したい口をなんとつぐむ。悪寒に駆られて咄嗟に足早にそこから離れると己のテントへと飛び込んだ。
テントのチャックを閉めて、手に持ったランタンの明かりを消す。真っ暗闇の山の中。隣に居る田口のテントもまた死んだように静かであった。
(はぁ……はぁ……どうしよう?)
ゆっくりと息を吸い、吐く。ほんの少し残されていた理性。それが真っ暗闇の山の中、逃げ回るなど自殺行為を拒否したのだ。
だが混乱した頭で自分の元のテントに戻ってしまったのだ。せめて、田口のテントに飛び込むべきだった。そう雅司が考えた時にはもう遅い。
ザッ、ザッ、ザッ……。
森の奥から”何か重たい”ものが歩く音が聞こえたのだ。はっきりと、そして段々と大きく。そしてそれは思わず鼻をつまんでしまいそうになるほどの濃厚な血の臭いを伴って姿を現したのだった。
『うっー……うっー……』
足音ともに老人に似た、しわがれた声が段々と近づいて来る。先ほど見た黒い異形。熊の抜け殻に真っ黒なミミズをたくさん詰め込んだかのような、あの異形。
そしてテントには星明かりを通して蠢く影が影法師となって映る。雅司はその様子を見て、”熊よけの”スプレーを胸に抱いてガタガタと震えるばかりであった。
『うっー……うっー……うぅ。だ……れ……』
「ひぃ……!」
苦しそうに、しわがれた声を発しながら雅司のいるテントを”それ”が歩き回る。
時折、鼻先をテントに擦りながらテントの周りを歩き続ける。1秒、1分、1時間? 雅司にとって永遠とも思える恐怖の時間。まるで死刑囚が死刑執行人がギロチンを振り下ろされるまでの死を濃密にした時間。それが突然終わりを迎える。
『うっー……うっー……うぅ。だ……れ……だ……れ……きゃははははははっ!』
「ああああっ!??」
突如、しわがれた声から一転。少女のような明るい声が響く。同時にテントの表面を擦るだけであった鼻先が、グググッとテントへと押しつけられ始める。
雅司は恐怖の余りに叫び、心臓は早鐘のように打ち付ける。
ビリ、ビリビリィ……!
とうとうテントはその異形の重みに耐えきれなかったか裂け始める。
同時にテント内に先ほどとは比べられないほどの血なまぐささが広がり始める。テントの裂け目はさらに大きく、広がっていく。
『だれっ!? だれっ!? きゃははははははっ!』
無邪気そうな声とともにテントの裂け目がさらに大きく裂ける。その黒く蠢いていた異形の頭――顔の鼻から下半分が獣、上半分は人間というアンバランスな異形。それが濁った目でテントの隅で震える雅司を捉えたのだった。