番外章:ひたひた呼ぶ-5
ジョンは”傷つき腕”が消えたほうを睨みながら、うずくまっていた。
立ち上がろうとしても、脳に酸素が行き届いていないのか体が言うことを聞かなかったのだ。
「がはっ……がはっ……」
喉が焼け付くように痛み、視界は揺れる。
数分間呼吸を整えると、ようやく落ち着いたのかゆっくりと立ち上がる。
「……通り魔、いや通り怪異に襲われてお陀仏なんて洒落にもならねぇな」
ジョンは自嘲しながら、辺りを見渡す。
すっかりと霧は晴れ、太陽は完全に姿を現していた。つまるところ、ジョンは一晩中怪異と付き合っていたことになる。
「はぁ、コンビニによるだけでこれかよ」
ジョンはため息をつきながら、近くに落ちていたナイフに気が付く。
近づいてそのナイフを拾い上げると、先端が赤く血に染まっていた。
「後で、ちゃんと拭かねぇと錆びちまうな」
ジョンはズボンの裾でナイフについた血を拭うと、足首に隠した鞘に戻す。
そしてそのまま自宅へと歩き始める。流石に一晩中走り続けて疲れたのか大あくびをしながら、フラフラとおぼつか無い足取りであった。
――そうして自宅まであと少しというところ。
ジョンは物陰から声を掛けられる。
「兄さん、一晩中どこに行っていたの?」
「ん、ああ。ジュリか。驚かせんなよ」
そこに居たのは、妹のジュリであった。
先ほど妹の声と腕を持つ正体不明な怪異に襲われていただけに、ジョンは一瞬身構えたがすぐさま警戒を解く。
ジュリの姿を見てみると、しっかりと全身があり、あの不気味な手だけの状態ではなかったのだ。手ぶらで黄色のパーカーにジーンズとラフな恰好であったが、いつも見る妹の姿であった。
「コンビニに行くって言っただろう?」
「コンビニに行くだけで一晩丸まる掛かるワケ? ありえないでしょ」
「しつこいぞ、ジュリ。いろいろやることがあったんだよ」
『一晩中、怪異と鬼ごっこしていたなんて、言えねーよ』とジョンは気恥ずかしさから、妹に対して見栄を張る。
「ところで、お前。こんなところで何してんだ、俺を待つなら家でも同じだろ? どうしてこんなウチの目と鼻の先の前で待ってるんだ」
「……それは兄さんが心配で、ちょうど探しに出たところだったからよ」
「……あん?」
そこで覚える微かな違和感。
「珍しいな、わざわざお前が俺を探しに?」
「流石に一晩居なきゃ心配するわよ。それに清水さんから怪異退治の依頼があったから伝えたかったし。この近くに霧の中から襲ってくる怪異が出るんですって」
「……どんな怪異だ?」
「なんでも福島県からこっちに来たみたい。清水さん曰く”オンボノヤス”じゃないかって。被害にあった人でたまたま生き残った人が、霧の中から腕が伸びてきて首を絞められたって」
「ふうん」
そこまで話を聞いていたジョンは先ほどから感じていた違和感を口に出す。
「なぁ、ジュリ。1つ良いか?」
靴ひもを結びなおすためにしゃがみ込みながら会話を続けるジョン。
「なあに、兄さん」
「お前、俺が心配で探しに来たんだよな?」
「そうよ? だからこうしてわざわざ……」
「なら、何で手ぶらなんだ。”わざわざ心配して”俺を探しに来たお前なら、チェーンソーを当然持ち歩くはずだよな」
ジョンは静かに、だが詰め寄るように疑問を投げかける。
奇妙な沈黙が流れるが、それもつかの間。
「お前は、”俺の妹”なんかじゃない」
「っ!?」
それは一瞬の煌めき。
いつの間にかジョンの手に握られていたナイフが、ジュリの喉を掻き切ったのであった。




