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馬車が大きな振動と共に止まった。御者が何者かに挨拶をしている声が聞こえ、箱の中でオリバーはゆるりと暗い藍色の目を開けた。
オリバーは鱗人だ。問題が起きる度に家族に連れられ土地を転々とする生活を、この世に生を受けて十七年続けてきた。それに耐えかねてオークションに出品されることを決めたのは彼自身の意思だ。泣き崩れる家族に、謝る代わりにありがとうと伝えて家を出た。平和の象徴を意味する名前をくれた両親には今でも感謝している。
「…ま、名前負けだけどな」
苦笑しようと口から出した声は乾き、震えていた。
オリバーは自分の唇を押さえ、自分がどこの誰とも分からない者に買われてきたのだという事を自覚した。
オークションで売られた鱗人がどんな扱いを受けるのかは知っている。非合法な商人や人の道を外れた蒐集家など、九九を覚える前からいくらでも見てきた。それでもせめて、どんな境遇にしろ安定した日常を、と求めてオークション行きの乗合馬車に乗り込んだのがちょうど1週間前のことだった。
オリバーは明日は平和に過ごせるかもしれない、と期待し、それを裏切られることに疲れていた。檻の中であれガラスケースの中であれ、自分が生きることに対して発生する危険とそれに対峙する責任を誰かに押し付けて、ただ眠ってしまいたかった。
それでもやはり恐ろしい。オリバーは今更になって息を飲んだ。極限の緊張に胃が痛み、片手で腹を押さえた。名前とお揃いのオリーブ色の、伸ばしっぱなしの髪が、視界に落ちて目を刺した。
オリバーが鼻の頭の脂汗を拭ったとき、急に大きく箱が揺れた。つんのめったオリバーの前方の壁が地面に落ちる。そこにそのまま転がり落ちたオリバーは、尻餅をついて呻いた。あちこちぶつけた体も痛いし、何よりいきなり外に出たものだから眩しくてたまらない。目を閉じて座り込んだままのオリバーの両手を、小さな柔らかい手が取った。
「だいじょうぶ?」
高く可憐な、鈴のような声。オリバーが目を開けると、そこにいたのは弱冠十歳といった風の黒髪の少女だった。
想像していた悪質な人間とはかけ離れた存在に、オリバーは何も言えず、ただ首を縦に振った。高く昇った太陽の光を受けて、オリバーの両腕の鱗が青く輝いていた。