020 吸血鬼流の挨拶
「奥に行けば行くほど食料が減る。だから、早いうちに殺して食料を奪うのが一番いいのさ」
と、女砲兵が言う。
「人間、金がかかると本性をむき出しにするのわからないからね。戦場だと意外とあるんだよ。憎たらしい上官を敵襲に見せかけて殺したり、とか」
だが、フアナは女砲兵の意見には同意しなかった。
「あたしらは関係ないね。あたしらは決勝まで行ってレイウォン王に会えばそれでいいんだ」
「王様に会わなければいけばい理由でもあんの?」
「あたしたち、王のハーレムに入りたいんだよ」
何の衒いもなく、フアナが言った。
すると、女砲兵は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「本気か? 一回会ったくらいでハーレムに入れるわけないだろ? 相手が一般人でも難しいぞ。ましてや国王。あんたらなんか相手にするはずがない」
だが、フアナは自信に満ちた態度を崩さない。
「あんた、忘れちゃいないかい? あたしたちが魔女だということを」
フアナは唇を舌で舐めた。
「色々と方法があるんだよ。惚れ薬とか恋の魔法とか……」
「はあ。魔女ってのはすごいんだねえ」
女砲兵はあまり本気にとっているようには見えなかった。
「そりゃあ、あんたは王様に会えればいいと考えているだろうが、この魔人武道会に出ているほとんどの出場者は違うんだよ。名をあげるせっかくのチャンスなんだ。それを見逃すなんてのは考えられない」
「でも、あんたはこの子供を連れていこうといったじゃないか」
「そんな子供はいいさ。決勝に出たところで誰にも勝てないだろ。あんたらみたいな邪悪な理由じゃない。行方不明の親に会いたいというんだから、じつに健気じゃないか。協力してやりたいと思うのが人情だろ?」
だが、アルブレヒトは二人の言い争いとは別のことに気をつけていた。
敵の気配を感じたのだった。
「気をつけて。敵がくる」
アルブレヒトが言ったその瞬間。
風が吹いた。
突風だった。
迷宮の中なのに、である。
そして、視界が真っ暗になった。
漆黒の闇だ。
「どうなっちゃったのよ! ちょっと!」
フアナがすっかり動揺している。
「ねえ、明かりの魔法消えちゃったわよ! このままだと見えないわよ!」
だが、アルブレヒトは首を横に振った。
「こりゃあ無理」
「どうしてよ?」
「これ暗黒魔法ですよ。明かりの魔法が使えない」
「げえっ」
フアナは悲鳴をあげた。
が、女砲兵は暗黒魔法は何のことだがわからない。
「暗黒魔法って何さ?」
すると、アルブレヒトが驚いた。
「どうして知らないの? 魔術師なら勉強するでしょう?」
「あたしは本当に初歩の初歩しか知らないんだ」
「しょうがない。あたしが説明するよ」
と、フアナが言った。
「悪魔と契約して闇の力を手に入れる邪悪な魔法のことさ」
「そりゃあ、あんたら魔女の使う魔法か?」
「あたしたち魔女が契約しているのは精霊さ。自然とともに生きるのが魔女なんだよ! 悪魔だなんてもっての他だよ! 教会のプロパガンダをそのまま鵜呑みにしないでくれ!」
「べつに悪魔と契約するばかりが暗黒魔法ではないけどね」
と、アルブレヒトが付け加えた。
「なにをもって暗黒魔法というかわからない。怪物たちだけが使えるから暗黒魔法というわけで。人間と怪物が仲良くなる世界を望むクロエ・ポンメルシーが聞いたら怒り狂うだろうね」
「つまり、何だっていうの……。灯りの魔法が使えないってことかい?」
「よほどの上級精霊なら打ち破れますが」
「母さん、あたしが……」
「あんたはいいわよ。しょうがないわねぇ」
フアナは火打ち石と火種を取り出した。
火をつけて、蝋燭を灯す。
「魔法とまではいかないが、ないよりは全然ましだろう」
それまで涼しげが顔をしていたアルブレヒトの表情に、興味がありありと浮かんでいた。
「火ってそうやってつけるのか……」
「はぁ?」
「知らなかった。初めて見た」
ふざけているわけではない。
不知火凶ことアルブレヒトは、ヌジリから徹底的に魔術を教わった。
しかし、徹底的に学んだのは魔術だけだ。
世間のことなど何一つ知らない。
そもそも日本の一般家庭で育ってきたのだから、スイッチ一つで照明がつく。
火打ち石で火をつけることなど知らないのだ。
「でも、蝋燭じゃあたいした明かりにならないね。松明くらい欲しいわよね」
「だったらあんたどうにかしなさいよ!」
砲術士の無責任な言葉に、フアナが怒鳴った。
「母さん、やっぱりあたしが精霊を呼んで……」
「いいのよ。黒水晶の迷宮は広大なんだからね。いざという時まで魔力は極力使わない方がいいわよ」
言いながら、いま現在フアナが気にしているのは娘のことではなかった。
紫色の髪の少年、アルブレヒトだった。
フアナは無邪気に蝋燭の炎をアルブレヒトをまじまじと見た。
(火のつけ方も知らないなんて常識知らずにも程がある。そんな奴冒険者として生きていけない……。でも、ライトゲープ伯を倒すほど強いんだ。ただの馬鹿じゃない。ひょっとしたら、どこかの高貴な身分の御曹司……、貴族なり大金持ちの息子かもしれない。国王のハーレム入りが無理だとしても、保険にとっておくのも一つの手段かもしれないわね。世間知らずらしいから、思い通りに操れるかも……)
などとフアナが胸算用をしているのもつかの間。
目の前には白い顔。
吸血鬼の顔。
牙がむき出しの笑顔。
その距離三十センチもなかった。
「ひいっっ!!」
フアナは蝋燭を放り投げて、その場で尻餅をついて倒れた。
「た、助けて……」
必死に落ちた蝋燭を手に取ろうとする。
震える手でやっと蝋燭をつかむと、あたりは明るくなっていた。
アルブレヒトが魔法で明かりをつけたのだった。
吸血鬼たちは煙のように消えていた。
「もう大丈夫。あいつらは去っていったんで」
フアナも女砲兵も呆然としている。
「暗闇では魔雷砲を撃つわけにもいかないな。あんなの一匹……」
「三人いたよ」
「なんだって?」
「顔を見せた奴だけじゃない。反対側に二人。あなたのすぐ後ろに」
アルブレヒトの言葉を聞いた女砲兵は、背筋が寒くなる思いをした。
「気づきませんでしたか?」
「あんた、暗闇でもわかったのかい?」
「ええ、気配で。俺は暗闇でもわかりますから」
「だったらどうして教えてくれなかったんだ!」
「殺気がないんですよ」
と、アルブレヒトは言った。
「何もせずに去っていった。砲術士さんを殺そうとすれば殺せる距離まで近づいていたんです。なのに彼らはまったく襲おうとしないんです。ただ近づいただけだった。まるでお化け屋敷みたいに脅かそうとしているだけ」
「なんのために……」
「本人に聞いてみないことにはわかりません。でも、俺たちを襲うつもりはなかったようです。連中、どういう目的でやってきたのか……」
「あいつら、あたしたちを嬲り殺しにするつもりなんだ!」
フアナがヒステリックな声で叫んだ。
「猫が鼠を殺すようにあたしたちを殺すつもりなんだ」
「あんたの魔雷砲も役に立たなかったね」
「なに、今度は逃がさないよ」
「間違って出場者を撃たなきゃいいけどねぇ」
皮肉めいた口調でフアナが言った。
大人が二人でいがみ合っている最中、アルブレヒトは不思議そうにフアナを見ていた。
「君、吸血鬼が来ていたの気づいていたね」
「でも、どうして気づいたんですか?」
「俺は真っ暗でも気配がわかるから」
アルブレヒトは暗い迷宮となって過ごした。
魂こそオリハルコンの身体に宿っているが、心臓以外の内臓はすべてまだ忌まわしい迷宮のなかにあるのだ……。
「吸血鬼って、レベルが50近くあるんだよ」
唐突に、アルブレヒトが言った。
「レベル?」
カリアナは首をかしげた。レベルという単語を知らないのだ。この世界には、RPGはない。一部の人間は知っているが、魔女として生きてきたカリアナには縁のない言葉だった。
「強さの目安だよね。一概にはいえないんだけど、この数値が高いほど強いんだ。 もちろんレベル1から始まるんだけど、実際にレベル1ってのは子供しかいないよね。訓練していない大人でも普通に5くらいはあるよね。まったく訓練をしていない新兵の強さがだいたい5だね。一年間訓練を受けた一般兵でレベル10くらい。このレベルはあくまでも本人の強さを測るもので、武器や鎧の強さは反映しないんだよ。だから怪物の強さはそれなりに測れるけど、人間を測る場合にはすこし不正確なところもでてくる」
カリアナは 素直に耳をかたむけていた。
「昔、冒険者時代に魔術師が重宝されたのは相手の戦力がわかるからなんだ。
梟の瞳という魔法がある。
これがあればわかるんだ。
魔法抵抗の強い相手には通じないんだけどね。
二乗に比例すると言われているんだ」
「ちなみにライトゲープ伯はどのくらいあったんですか?」
「だいたい150」
数値が吸血鬼の三倍。つまり三倍の二乗で、ライトゲープ伯ユリウスひとりで吸血鬼9人を相手に闘うことできる。
じつはユリウスと会ったとき、こっそり梟の瞳でレベルを測ったのだ。
「ライトゲープ伯ってそんなに強かったんですか? そんな人に勝ったなんて、アルブレヒトさんすごいですよね!」
「相手が油断してくれたんだ。それにここの吸血鬼は百人いるらしいから」
「じゃあ、あのすぐに迷宮から逃げ去った魔法剣士は?」
「60くらいかな?」
「吸血鬼よりも強いんですか?」
カリアナは意外な顔をした。
「一対一ならね。でも、相手は百人いるんだよ。何人もいっぺんに襲い掛かってきたら、ちょっとくらい強い程度じゃどうしようもない」
「たしかに吸血鬼が百人ですからね……」
「たぶん、君だってすごく強いはずだよ」
「えっ?」
「すくなくとも君はお母さんよりはずっと強いはずだ」
カリアナの表情が変わった。
真剣なものだった。
手のひらを広げて、それをアルブレヒトに見せた。
アルブレヒトは目を見張った。
手のひらには、炎の魔神イフリートの頭が浮かんでいたのだ。
ヌジリから様々な魔術を学んだアルブレヒトは、当然この恐るべき魔神を知っていた。
炎の精霊サラマンダーの長である。
もしも炎の魔神イフリートが巨大化してその力を顕現すれば、迷宮一階の大部分を焼き尽くしてしまうだろう。
「本当はぎりぎりまで呼ぶなと言われているんです。でも、今回はお母さんたちが危なかったから……」
カリアナが手を握ると、イフリートの顔はそのまま手のひらの中へと消え失せた。
「以前、あたしには友だちがいないと言いましたよね。精霊だけがあたしの友人だったんです。同じ年頃の友だちなんて一人もいなかった。魔女だなんて知られたら絶対にいじめられるから……」
「君はパルニスにやってきて良かったよ」
心の底から、アルブレヒトは言った。
「君のお母さんも言っていたけど、パルニスは色々な人たちが住んでいるらしいから、君たちでも暮らせるだろう」
「アルブレヒトさんって魔女をどう思います?」
「いや、べつに」
拍子抜けするほどあっさりした答えが返ってきた。
「べつにって……。私たちのことをどうとも思わないの?」
「似たようなものだからね」
驚いた。
魔女は忌み嫌われている。
一方、魔術師は社会的地位が高い。
そういう立場の人間が魔女を自分たちと同列に扱うことなど、滅多にないことだ。
「アルブレヒトさんって不思議な人ですね」
「そう?」
「今まで会った人とはどこか違う気がする」
実際、その通りなのだ。
本当は不知火凶という高校生に過ぎないのだ。
騙されて、生きたまま内臓迷宮にされてしまった。
この身体だって、本当の自分ではない。
魂をと心臓の入った人形なのだ。
もしも他の内臓が迷宮にあると知ったら、カリアナはどんな顔をすることか。
カリアナもいつか歳をとるのだろう。
大人になるのだろう。
だが、不知火凶は違う。
超勇者アルブレヒトは決して歳をとらないのだ。
(俺だけ歳をとらないまま……)
胸をかきむしられるような思いがした。
アルブレヒトが感傷にひたっていると、
しくしく……。
子供の泣き声が聞こえてきた。
「陰気な泣き声だね。気分が滅入るよ」
「ここから聞こえてきますね」
アルブレヒトは右側にある木の扉を手で叩いた。
「罠じゃないのかい? こんな迷宮に子供がいるわけない」
「子供ならすでにそこにいるけどね」
女砲兵はカリアナを指した。
「カリアナはただの子供じゃないんだよ! とても優秀な魔女なんだよ!」
「その優秀な力をまだ見てないんだけど」
「アルブレヒトといったね……。あんたはどう思う?」
砲術士がアルブレヒトに訊ねた。
「皆さんにお任せします」
「お母さん。あたし、行った方がいいと思う」
カリアナがフアナの腕をつかんで頼み込んだ。
「どのみち下に降りる階段を探さなければいけないわけですから。たとえ敵の罠でも、部屋のなかに階段があったら入るしかないのですから」
「じゃあ、あんた開けなよ」
「レディファーストじゃないんですか」
と、アルブレヒトは皮肉めいた言葉を口にしたが、素直に従うことにした。
※
ギギギ、と扉の音がする。
一同は部屋の中に入った。
敵はいなかった。
部屋の片隅で子供が泣いていた。
一角獣ユニコーンとともに。
話がいよいよ迷宮っぽくなってきました。
読んでいただいてありがとうございました。




