012 バジリスクの毒
「いや、そういうわけでは……」
アルブレヒトは頭を下げながらも、横目でクロエを見て小声で、
「役人?」
と訊ねたが、クロエは首を横に振った。
「違います。巡回の警備兵はみんなパルニスの蒼い鎧をつけています。坂上利一の使用人でしょう」
「ふうん……」
アルブレヒトの目つきが変わった。
下手に出て穏便に済ませようとおもっていたが、坂上利一という名前を聞くとアルブレヒトの心に憎悪の炎が燃え上がる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
「おい、やめとけよ」
クロエの顔を見たもう一人の男が慌てだした。
「そいつをよく見ろ。妖魔学者のクロエ・ポンメルシーだぞ」
「誰だ、そいつ?」
「知らないのか! 光輝王レイウォンの側近の一人だぞ! しかも腕に巻いている白い蛇はバジリスクだぞ!」
「それで?」
すでに男の一人は酔っ払っている。酔うと人にからむ性質の人間らしい。
「それがどうかしましたかってんだ? バジリスク? それがどうしたってんだ?」
「バジリスクは町一つ滅ぼすほどの力があると言われてるんだぞ! 怪物マスターのお前なら知ってるだろうが?」
「ああ、知っているぜ」
怪物マスターと呼ばれた男は下卑た笑みをうかべた。
「だったら試してみようじゃないか。俺のケルベロスとどっちが強いかをよ」
柵門をあけた。
「おい!」
男は叫んだ。
「人間の肉を食ってみたいと思わないか?」
ケルベロスが男の方を向いた。
「大丈夫だ。屋敷内に入ってきたと言っておけば罪にならない。やれ」
男が口笛を吹くと、ケルベロスが襲い掛かってきた!
だか、その刹那、
『天空神の矢』《サギッタ・デ・ユピテル》
雷の奔流が宙を迸った。
雷鳴がエルムントの街に響きわたったかと思うと、次の瞬間、雷を直撃したケルベロスは、げえ、と悲鳴をあげて倒れた。
ケルベロスは泡を吹いて痙攣を起こしている。
死んではいないが、立ち上がるのは無理だろう。
「げえっ!」
男が悲鳴をあげた。
「ケルベロスを一撃だと……」
「こいつ、魔術師かよっっ!」
言語魔術はすぐに発動させることはできない。
しかし、戦闘がはじまると思ったアルブレヒトは、こっそりと呪文の詠唱を開始していたのだ。酔っ払いは、クロエとバジリスクに気を取られていたので気づかなかったのだ。
ケルベロスはパルニスの兵士の四、五人程度なら即座に食い殺してしまう。
体力も桁違いで、ただの魔術師の雷撃を食らったくらいでは死なないはずなのだ。
破壊力がふつうの雷の魔法とは段違いなのだ。
「あの紫色の髪をした奴は何者なんだ……」
「ううう……」
ケルベロスをけしかけた当人は、すでに顔が紫色だった。
苦しそうに喉を掻き毟っている。
「お、おい、どうしたっ!!」
男が慌てて、肩を抱いた。
「ここから歩いて三分のところに薬草を売っている店があります」
と、クロエが言った。すでに外したバジリスクのサングラスを元に戻していた。
「ま、まさかバジリスクの魔力を……」
「そこでバジリスクの解毒を頼めば助かるでしょう」
静かに、ゆっくりとした口調でクロエが言った。
「早くしないと死にますよ。その様子だと十分もつかどうか」
「おい、しっかりしろ……」
バジリスクの毒を受けた男を連れて去っていった。
まさにバジリスクの魔眼は恐るべきものがある。
乱暴者二人を追い返すことができた。
だが、クロエは表情は沈痛だった。
「エルムントの街でバジちゃんの力を借りたのはこれが初めてですよ」
人間と怪物が仲良く手をとって暮らせる世界を夢見るクロエである。
身を守るためとはいえ、その力を戦いのために使うことは彼女の望むところではなかった。
「君のやったことは正当防衛だと思うよ」
なだめるようにアルブレヒトが言う。
現代日本の法律で正当防衛があてはまるかどうかはわからない。
しかし、先にしかけてきたのは向こうである。
ケルベロスを倒したところで、さらには攻撃をしかけてくるかもしれない。
一度仕掛けてきたからには、戦闘意志を捨てたと判断するまで戦いは続くのだ。
「そのバジリスク、手加減をしたね」
「わかりますか?」
「バジリスクが本気を出せば大抵の人間は即死だよ。そのバジリスクは賢いんだね」
「バジちゃんは諍い事が嫌いですから」
クロエは、バジリスクの頭を撫でた。
「それにしても……。武器をもってないのでどうやって戦うんだろうと思いましたけど、魔術師だったんですか」
「うん」
「変な人だと思ってましたよ」
「本気でスライム投げるだけで戦うと思ってたのか。それはさすがに心外だね」
「それにして……」
アルブレヒトは、失神しているケルベロスを見た。
「なんでこんな場所にケルベロスなんているのか」
「一般人にはケルベロスなんて扱えませんよ。さっきの人は怪物マスターでしょうね」
クロエは真剣な顔をして、
「あたし、怪物マスターは大嫌いです。怪物を戦わせているんだから」
「それをいったらパルニスだって怪物を兵士にしているんじゃないの?」
「パルニスは違います! お給料だってあげてますし! あいつらは怪物を物扱いしているんですよ!」
と一息に言ったが、不意に視線を下げて、
「本当は怪物が軍隊に入るのも好きじゃないんですけどね……」
と、つぶやいた。
「家まで送るよ」
※
クロエは足を止めた。
「ここがあたしの家です」
「えっ?
先ほど襲ってきた二人だ。さっきの男が、
「おい! しっかりしろ! 死ぬんじゃないぞ……!」
すでに息も絶え絶えの怪物マスターの男にに、木のお椀に入った薬草を煎じた汁を飲ませている。
自分で飲む元気もないので、必死に口に流し込んでいる。
「さっき紹介した薬草屋、うちの両親が経営しているんですよ」
読んでいただいてありがとうございました。