表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
最終章 ~天下泰平~
203/203

第十八章 副将軍の決意 ー結末への道筋ー

永禄四年(一五六一)十一月

伊予国・黒瀬城


 征夷大将軍・足利義輝と副将軍・三好修理大夫長慶による四国遠征は、圧倒的な大軍で着実に成果を上げていった。


 西讃岐で反三好の姿勢を香川之景は当初、三好豊前守実休から送られて来た書状を一瞥し、管領・細川の家臣であったことから、独実の伝手で直接に幕府と交渉しようと考えていた。だが義輝は細川晴元へ討伐令を出した人物である。当然なように管領家の家臣という肩書は何の役にも立たず、讃岐は三好に与えた土地として取り合って貰えなかった。


 全面降伏を決断した時には既に遅く、之景は城を捨てて遁走、細川氏の影響の強く残る備中へ退避して毛利を頼ることにした。


「香川が逃げた?まあ、どうせ何も出来まい」


 と報告を受けた長慶は興味なさ気に答えた。


 実弟・豊前守実休の手腕は確かである。もし実休がいなければ(・・・・・・・・・・)三好の支配は浸透せず、之景が旧領奪還へ動けば混乱が生じるかもしれない。その確かな信頼が長慶の不安を一蹴した。


 次いで幕府軍は伊予へ進み、河野勢の歓迎を受けた後に大洲城の宇都宮を攻めた。この宇都宮遠江守豊綱であるが、本人は幕府に対しては従順な姿勢を見せていたものの環境が悪く、宇都宮氏は滅亡に至る。


 河野は宇都宮に対しては良い感情を抱いておらず、様々な妨害工作を行っていた。幕府との連絡も守護である立場を利用して邪魔をし、豊綱の真意が幕府へ届かぬようにしていたのだ。そして宇都宮領の南に位置する西園寺左近衛少将実充は、嫡男を宇都宮との合戦で失っており、好機とばかりに幕府と連携して南から押し寄せた。


「上様、如何なさいますか」

「宇都宮が事か?遠江守に叛意がないのは判っておるが、西園寺左府殿よりも左少将のことを頼まれておってな。余も左府殿の頼みとあっては無碍には出来ぬ。戦は武家の倣いとはいえ、左少将は武家ではない。嫡男の仇と領地が接しておっては諍いも堪えぬであろう。所領安堵は出来ぬ」

「然様ですね。故に上様は大友殿をこちらへ呼ばれましたか」

「義鎮のところには本家の宇都宮がおろう。引き取らせる」

「それでいて大友の反応を見極める、と」


 としたり顔の長慶を義輝は声を上げて笑った。馬鹿にしたのではなく、自分と同じ考えのものがいて面白くなり笑ったのだ。


 大友義鎮は鎌倉幕府の頃よりの名門で、九州では抜きに出る者がいないほどの大名だ。その版図は本貫の豊後から豊前、筑前、筑後、肥後にまで及び、一部で日向や肥前にも達している。


 その義鎮は数年前よりしきりに幕府へ献金を続けており、何かと守護職や官位などを欲しがった。幕府と対立している頃の長慶にすれば、大友が伊予へちょっかいを出していたこともあり、気に障る存在として動向を見張っていたが、義輝は付かず離れずで義鎮を揺さぶっている。


 近年では九州探題職や左衛門督の官位を求めてきたが、これを前例がないとして却下。代わりに大内家の家督を定める権利を与え、豊前や筑前の守護職を大内家当主に認めるとしている。


(大内当主に守護職を認めるということは、大友の守護就任を認めないということでもある。義鎮は都合よく守護の上位に立つ存在として振舞おうが、探題職への就任は退けられた。どう解釈しようが幕府は大友を拒絶したのだ。加えて大内は周防や長門の守護でもあった。間違いなく大友は毛利と大きく揉める)


 一つの手段で複数の効果を生む上手い手だと長慶は思う。


 義鎮は間違いなく守護職を認められたとして九州では振舞うはずだ。己に大義があり、己に従うのが正義だと考えるし、そう解釈できなくもない(・・・・・・・・・)。一方で幕府としては大友家を守護や探題に任じなかったという記録が残る。大友家に認めたのは、あくまで豊後一国だけだ。これまで脆弱だった幕府だ。遠国の大名の幕府に対する印象は、まだ変わっていない。恐らく義鎮も今はそれでよいとして、重くは受け止めないだろう。


「あれは欲が強い(・・・・)からな。余に服従する気はなかろうが、今は九州まで手が出せぬ。面従腹背だろうが、表向き恭順を示すのであれば、暫し放っておく」


 だが義輝は違う。今の一言のように既に何れ起こり得る九州征伐を考えている節があり、その為の布石を今回の四国遠征で打っていた。


 義輝の用意周到さには、いつも長慶は驚かされてばかりだった。何故にこうまで全国の大名や国人に(・・・・・・・・・)詳しい(・・・)のか。その性格や血縁関係なども網羅している。もちろん幕府として、武家の棟梁として全国各地とのやり取りはあるだろうが、それにしても大名間や国人間の繋がりなど詳し過ぎる(・・・・・)


(これほど先を見通せる方なら、もはや天下の政事は間違うまい)


 最初は驚き、戸惑いを禁じえなかった長慶も、こうも何度も驚かされれば慣れてくる。今の主君は自分よりも遥か高みから遠くを見ているとしか思えなくなっていた。


 そして幕府軍は続いて土佐に進む。その土佐でも幕府軍は圧倒的な力で事を収めるに至る。


 一方的に矛先を向けられた長曾我部宮内少輔元親は、どう逆立ちしても勝てる見込みなく、叛意がないことを示すために抵抗することなく降伏を申し出だ。だが義輝は領地安堵や一部削減を行うのではなく、長曾我部家の領地は没収となって幕府に吸収されることになった。その一部は一条氏などに褒美として与えられたが、大半は幕府が直轄地として預かることになった。


「宮内少輔よ、お主は土佐に収まるような男ではない。故地を重んずるは尊きことなれど、今は乱世である。そなたの力量、天下の為に使え」

「……公方様に買って頂けること武士の冥利に尽きまするが、降伏するしか能のない者にございます。どれだけお役に立てるかどうか……」


義輝の面前に引き出された元親は、憤る心の内をひた隠しにし、殊勝な姿勢を見せていたが、何やら義輝の様子がおかしいことに気が付いた。とはいえ、もちろん簡単に言いくるめられる元親ではない。武門の意地もある。そう易々と受け入れるつもりはなかった。


 それを見抜けない義輝ではない。


「一領具足とか言ったか。幕府は今、建て直しの最中でな。此度の遠征は修理大夫の力で何とか成り立っているに過ぎぬ。そなたの力で、まず余の軍勢を建て直したい」


 だから一両具足を幕府の軍制に導入することで、幕府軍の強化と共に長曾我部家の吸収を図った。


「一領具足を幕府で採用されると?」

「無論よ。一領具足の利点は陣触れへの対応が早いこと、誰に仕えているかも明確になろうし、何より仕組みが簡素じゃ。取り入れるのも早かろう」

「然様には存じますが、都では畑仕事をしている者も少なかろうかと存じますが……」

「案ずるな。都と言えども今の京は(・・・・)然程に大きくはない。近江や若狭では農民らも多いし、街道の整備をされてもおるから効果は覿面(てきめん)であろう。そなたは土佐で埋もれさせるには惜しい男よ。が、こうまでせねば土佐から離れようとはすまい。余の為、天下の為に力を尽くしてくれ」

「……はっ!然様なことであれば、尽力させて頂きます」


 斯くして幕府軍は一領具足を採用し、軍役の強化を図った。義輝は然る後に銭で兵を雇おうとまで考えていたが、今はそこまで出来ない。ただ一時凌ぎを行うに当たって、一領具足の仕組みは簡素で導入が早く、理想的であった。


 四国を一周して勝瑞城へ戻った義輝に残されたのは、最後の仕上げだ。四国平定の祝宴を行うとして仕度を命じる一方で、三好長慶より一つの相談を受けた。それは以前より議題としてた平島公方家と将軍家の和解の話であった。


 長慶は四国征伐が始まる前、義輝が平島公方家を廃そうとしているとの噂が左馬頭義冬の耳に入っていた。そのことを長慶は義輝に報せ、自身の手で義輝は平島公方家の和解を考えており、噂に惑わされないようにという書状を遣わせていた。


「今こそ上様と左馬頭様が融和される絶好の機会、この修理大夫たっての願い、お聞き頂きとう存じます。つきましては無礼は百も承知なれど、平島館まで御成り下さりたく……平に御願い申し上げます」


 副将軍として威風堂々と三好本軍を率いた長慶が、ここぞとばかりに平身低頭し、義輝へ奏上した。その力強い様子からは、長慶自身が父・元長から続く因縁を清算させんという決意の表れにも見えた。


「余の方から参るのか。それはつまり、余の話を左馬頭殿は信じてくれておらぬと申すのか?」

「……左馬頭様に限って、そのようなことはありませぬ。あれば融和はならぬかと。されど以前に幕臣たちが上様に左馬頭様を廃すべしと主張する者が後を絶たぬ、そういう噂があることが左馬頭様の耳にも入っていることは御伝えしたかと存じますが、左馬頭様の周りには危険であると危惧する者が多うございます。この者らは左馬頭様にとって忠義の臣、その忠言を無視する訳にも参らず……」


 隠し事は無用と、長慶は現状をありのままに主君へ伝えた。これも主君が正しい判断を成すと信じてのことだ。


「……そういうことか。そのような噂を誰が流したか、誰が左馬頭殿の耳に入れたかという問題はあるが、余が左馬頭殿の許へ赴くことを世に示すことで、足利の融和を世に示さんということじゃな」

「御明察通りにございます」


 それを義輝は自分が赴くことに一切の抵抗を示さず、あっさりと受け入れた。どちらかというと表情は綻び、状況を楽しんでいる様子だった。


「よい。将軍職を争い続けた我らの遺恨、そう簡単に晴らせるものではないと思うておる。余が左馬頭殿の館に赴き、直に話そう」

「有難き仕合わせ。上様の警護は、この修理大夫が万難を排して成し遂げる所存にございます」

「うむ。仔細一切を副将軍に任せる」

「ははっ!」


 斯くして四国平定を終えた義輝が平島館に赴くことが決定し、その段取りが慌ただしく組まれた。その際に長慶は会談の段取りは松永弾正久秀に差配するように命じた。今回の一件は弾正が伝えてきたなら、弾正に始末をつけさせようという魂胆であった。あくまで表向き、そういう理由で主命を下した。


(されど此度の一件、最初から最後まで弾正の仕業であろう。あやつは以前より上様を弑することを考えておった。今でも神輿は軽い方が良いと考えておろう。……ふっ、そういう意味では弾正にとって儂は随分と重い神輿であったろうな)


 松永久秀という人物は、やはり有能だと思う。下賤の身から弟の長頼ともども引き立てはしたが、三好がここまで大きくなったのは、松永兄弟たちが間違いなく一役を担っている。それは認めるところだ。しかし、弟の長頼と違って兄の久秀は残虐な一面がある。戦国乱世に於いて、その非情さは不可欠な素質であったとは思うが、これから世は泰平に向かう。そう願って自身も三好を大きくし、幕府を支えてきた。時には形骸化した幕府が厄介に思うこともあったが、武家の棟梁を無くして世は収まらぬ。久秀がどう思おうが、三好は将軍家と共に在ることしか出来ないのだ。しかし、久秀はしきりに平島公方家の擁立を主張する。とどのつまり言うことを聞かない義輝は煩わしく、将軍は傀儡でよいと考えているのだ。そういう意味では久秀の思惑通りに動かない自分も、重き神輿と思う。


(征夷大将軍は足利の者であれば良い訳ではない、誰しもが認める武家の棟梁でなくては泰平は実現せぬ。もし儂が左馬頭様を擁して征夷大将軍に就けたとしても、世の大名どもは認めまい。されど上様は違う。御先代の義晴公より正式に将軍職を譲られた正統性のある御方、棟梁たるべき武門にも秀でておられる。まだ道半ばなれど、上様を将軍とて認めぬ者はおらぬ)


 三好に擁立されて将軍職に就いた訳ではない義輝だからこそ正統性を有する。長慶が理世安民を思い描く世を実現できるのは、平島公方ではない。泰平の世は、平島公方では実現できない。それが長慶の考えである。


(弾正よ、乱世の終焉を思い描くことの出来なかったこと、それがそなたの限界だ。儂が導けなかった不始末は、儂が着ける)


 斯くして後に平島館の乱と呼ばれる出来事が数日に迫っていた。




【続く】

毎度、数か月ぶりの更新で申し訳ありません。義輝と長慶のタッグであっさり終わった四国遠征ですが、雲行きの怪しい展開、義輝と久秀の対決は完結しているため、物語を知っている前提での描写となっております。


次回、どう結末に至るのかを描きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
まずはお久しぶりです。これって過去話じゃなくて義輝の妄想か、夢オチなんでしょうか?史実ではあんなに(義輝側が一方的)殺し合っていた三好長慶と足利義輝が仲良くやるとは思いません。ましては暗殺実行していた…
2026/05/11 08:41 ジェイカー
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ