太陽の届かない街
その街には、空がなかった。
正確に言うなら、四方を囲む圧倒的な巨壁のせいで、一日に数時間しか太陽の光が差し込まないのだ。高さにしておよそ五十メートル。黒ずんだ玄武岩で築かれたその壁は、少年レンにとって、世界のすべてであり、同時に容赦のない檻だった。
「ほら、レン! 手を休めるとまた監督官に殴られるよ!」
背後から飛んできた鋭くも、どこか鈴の鳴るような声に、レンはハッと我に返った。
慌てて手元の鉄鍬を動かし、黒い石炭の山を重い荷車へと放り込む。粉塵が舞い、容赦なく肺を焼く。レンはボロ切れのような袖で口元を覆い、激しく咳き込んだ。
「ごめん、ミオ。ちょっと……壁の上を見てた」
隣で同じように泥と煤にまみれながら、小さな体で器用に石炭を仕分けている少女――ミオが、悪戯っぽく微笑んだ。
彼女の髪は本来なら美しい亜麻色なのだろうが、今は街の灰に染まってくすんでいる。しかし、その大きな瞳だけは、この暗い採掘場の中でも奇妙なほど澄んだ輝きを失っていなかった。
「また壁の上? あそこには見張りの兵隊と、冷たい風しか落ちてこないよ」
「分かってる。でも……あの向こうには、本当に何もないのかなって」
二人は「持たざる者」だった。
この街、通称『灰の揺り籠』に暮らす人間はみな、生まれながらにして街の維持管理のための労働を義務づけられている。朝から晩まで過酷な採掘や工場の歯車として働き、配給される硬いパンと薄いスープで命を繋ぐ。夢を見る余裕など、誰にも与えられていなかった。
「何もないわけないじゃない」
ミオは周囲の目を盗むようにして、レンの耳元に顔を寄せた。彼女から漂う、石炭の匂いの中に微かに混じる、名前も知らない野草のような香りが、レンのささくれた心をいつも少しだけ穏やかにした。
「私、前に図書室の裏木箱から破れた古い本を見つけたの。そこにはね、**『海』**っていう、歩いても歩いても終わりがない、青い水の大地があるって書いてあった。空と同じ色をしていて、太陽がそこに沈むときは、世界中が金色に染まるんだって」
「青い、水の大地……?」
レンは呟いた。想像もつかない光景だった。この街にある水といえば、工場から流れ出る濁った排水か、水路を流れる鉄臭い生活用水だけだ。青い水が地平線の彼方まで続いているなんて、まるでおとぎ話のようだった。
「そう。だからね、レン。私はいつか、絶対にこの壁の外に行くの。行って、本物の空と海を見るんだから」
ミオは胸の前で小さな拳を握りしめ、力強く言った。その表情は、過酷な奴隷労働に耐える人間のそれではなく、まるでこれから楽しい旅に出かける少女のようだった。
レンは彼女のそんな姿を見るのが好きだったが、同時に、胸の奥がチクリと痛むのを止められなかった。この街から生きて出た者は一人もいない。壁の向こうへ行こうとした者はみな、容赦なく兵士の銃弾に倒れるか、見せしめとして中央広場に吊るされるのがオチだったからだ。
「……静かに、ミオ。誰かに聞かれたら、本当に酷い目に遭う」
レンは声を潜めて窘めた。
だが、ミオはちっとも怖がる様子もなく、「分かってるって」と笑って、再び石炭の仕分け作業に戻っていった。




