第八話 平家最後の棟梁①
もしかしたら、兄がした今の話は、壇ノ浦の戦の話なんじゃないかと、思った。さっき僕の頭に流れ込んできた話の最初に『壇ノ浦の合戦』って、言っていたから。あれは……決戦前の会話……?
2人は黙ったまま僕を見ている。
……
刹那の沈黙のあと「そうだ」と言ったのは、兄だった。
「晃。今まで言っていなかったが……俺には、前世の記憶がある」
「……!」
「俺が持つ記憶は恐らく……、平家最期の棟梁だった『平宗盛』」
「……」
前世の記憶があるというのは驚きだが、『平宗盛』という武将の名は、正直、今一つピンとこない。
平家の棟梁って清盛じゃなかったんだぁ……などという、安直で、漠然とした思いだけである。
兄はそんな僕の顔を見ながら、眉を下げて笑う。
「まぁ前世の記憶と言うてもほんの一部じゃけぇ、その時の思いまでがすべてわかるわけではないんよ。だけど……周りが呼ぶ名や色々な状況からも、俺はこの記憶が平宗盛のものだと確信した。それからというもの……俺も色々調べた。もしかしたらと、思おてから。現在とは別の人物じゃが、前世の記憶となると気になるじゃろ」
そう言う兄は、やはりいつもの兄である。だけど、前世の記憶があるというのも、なかなか頭の中がこんがらがりそうだなぁと思った。
自分の記憶ではない記憶。
兄は軽く息をついてから続ける。
「宗盛はあの有名な平清盛の三男。清盛が亡くなってから、棟梁を受け継いだ武将だ。清盛の名前くらいは聞いたことあるが、宗盛は正直そこまで詳しく知らんかった。歴史の教科書にだって、壇ノ浦の戦いで敗れた時の平家の棟梁の名としてちらっと出てくるだけじゃし。
……だけど調べれば調べるほどに、宗盛自身は歴代に於いてもぱっとしない武将とか、一門滅亡の際にも皆が潔く死ぬ中、自分は助かって命乞いまでした情けない人物だとか……なんやかんや色々言われとるのを見かける。……だけどこの人の記憶が断片的とはいえ、時々考えてしまってな」
「……」
「実際のところ、壇ノ浦でだって、進言を聞き入れたからと言って平家の滅亡は避けられんかったとは思う。この段階では、既に平家は追い詰められ、戦力差、補給路等……いろんな面において源氏側に分があったという。
だけど歴史をよく知らなかった俺は、なぜ、宗盛は弟ではなく重能を信じたんだろうなって、漠然と思った。勿論、弟を信頼していなかったわけでもないだろうし、戦の総大将の重みなんか、俺には分からんが」
総大将の、重み。そうだよなぁと……思う。
その一言で人の命なんか簡単に左右されることもあっただろうし、この時には平家一門の命運がかかっていた。
……物凄い重圧だろうと、思う。
「この人はそれまでにも色々判断を誤ったとか、決断力に欠けるとも言われたりもするしな。じゃけぇまぁ……いろんなちょっとした積み重ねを、今でも思い出すんかもしれんよな。じゃが、それは結果論であって、その当時大きな判断を下すんも、ものすごく勇気の要ることだったと、思う。
……この時一つとったって、結果論からすれば、弟の言うこと信じて重能を切ってしまえば良かったのではと思うかもしれん。が、自分の命令ひとつで重能や一門全ての命を左右するなんて相当なプレッシャーじゃろうしな。弟よりも重能を信じたと言うよりは、単に重能を切れんかっただけなんかもしれんし、切るにはあまりに信用しすぎとったんかなぁ……とか、俺も色々と考えるわけだ」
︎︎……確かに、ああすればよかった、こうすればよかった、なんて、後からならいくらでも言えるものだ。だから人間は後悔するものだし、その時の何が正しい選択だなんて、きっと、誰にも分からない。
︎︎兄は、そのまま続ける。
「……でも、重能が裏切ったのは事実で、平家が負けたというのもまた事実。弟の知盛もそれは当然口惜しかっただろうとは思うが、彼は兄を責めるでもなく、その運命を受け入れ……一族と共に入水した。最後まで武士の矜持を重んじた弟の生きざまは、やはり凄く、格好いいと思う。宗盛にはできんかったことでもあるしな。……じゃけぇ、今世でも弟がおる『俺』は、弟のことは俺が一番、信じようって」
「……うん」
「弟にもあんな顔させたくないしな。既に人格が違うけぇ『俺』という人格が脚色した部分や捉え方の違いは大いにあるかもしれんが、俺の思う『平宗盛』と言う人物は、世間で言われているよりずっと普通の人間で、ずっと、すごい人だと思うんよ」
「……なるほど」
色々と腑に落ちた。兄の先ほどの行動も、先だって元服したのも、きっと意味があったのだ。
そして……兄が今まで僕に前世の記憶を話してこなかった理由。それは、兄が前世の弟に、何か思う所があるからなのだろう。
兄は……僕に前世の弟の姿を重ねまいとしてくれていたのではないだろうか。
……。
平宗盛。正直、僕自身そこまで歴史に詳しいわけでもないし、それまでその名前を聞いても歴史上の誰か、というだけで、それ以上はなかった。だけど、この人が生きた証が記憶として兄に残っているということは、なんだかすごいことだなぁと、思う。
改めて、兄を見る。平宗盛の記憶が残る、兄。
「じゃけぇさっきも、ほんまは最初の一撃でキメて、かっこえぇとこ見せたかったんじゃけど」
「……!」
「でも結局、一人じゃ勝てんかったなぁ」
「……兄ちゃん、かっこえかったで」
「……」
「ほんまに、かっこえかった。すごい! って、思おたもん」
「……ほぉか」
僕の言葉に、先ほどまで硬い表情をしていた兄は、相好を崩して笑っていた。