第五話 神官さん
僕は神官さんを見ながらも、その神聖な空気に、何も言葉を発することができない。
「ほらぁ、来るで」
だけどその言葉に、現実を見る。
目の前には、嘘のような魔物が、凶悪な口を広げて襲い掛かってくる。
ギヤアアアアァァアアアッ!!!
僕は目を見開いて軌道を読み、襲いかかってくる魔物をなんとか避ける。
……普通に、怖い。
先ほどまで会場で剣道の全国大会をしていたのなんか、全くの嘘のようでもある。だけどそれほどまでに、今この瞬間の現実味が薄い。実はあの警報から今この瞬間までの全てが夢なのではないかとすら……そんな風にも感じる。
だけど、これは現実だ。
ドシュッ、と突っ込んでくる勢いをそのままに陸に身体を打ち付ける魔物を一瞥した後、目の前にいる神官さんをちらりと見る。
やはり……日本人形のように整ったように見えるその顔は、眞城くんとはまた別の美しさを孕んでいる。身長も僕と同じくらいか少し高いくらいで、見ようによっては、僕と同じ中学生くらいに見えなくもない。声変わり中の絶妙な声音に、幼さの残る綺麗な顔。
この神官さんは見た目も言動も意味不明なのにどこか神妙でもあり、僕の中二心をくすぐっている。彼はどこかゆったりとした話し方をする人のようだが、この声……どこか聞き覚えがあるようだけど、思い出せない。
……声……?
僕のそんな疑問を他所に、神官さんはゆるりと尋ねてくる。
「時に、お主はなぜここへ? 海から離れよと警報が出とったじゃろ」
警報。ここ、備後国(広島)は海から近いこともあり、海面が危険水準に達すると警報や避難勧告が出る。しかしここはそもそもが穏やかな地域であるため、そんな警報が出ること自体が稀なのだ。むしろ……近年は魔物の出現による警報の方が多い。
だけど、今日ここには強い雨が降りしきり、波も珍しく大荒れに荒れており、さらに魔物まで現れたときた。最悪三重奏に、既に僕は全身びしょ濡れになりながら、答える。
「ちょっと……人を、探しに」
「危ないけん、警報出とる時にこんなところへ来たらいけんで」
「……」
それは反省すべきところである。……兄をも、こんな危険な場面に巻き込んでしまったのだ。
至極尤もであることを突かれてしゅんとした僕に、神官さんは魔物を見据えながら続ける。
「……探しとったんは、眞城くんか」
「……! 眞城くんを知っとるん?」
「ほら、危ないで」
「……!」
咄嗟にピラニアのような姿をした奇怪な魔物を避ける。同時に、またしても会話はとぎれた。ざあざあと大粒の雨が体を打っている。先程から雨足も強くなっていた。
「眞城くんに関してはまぁ、ちょっとな。自ら元服したと聞いた。少々ぶっ飛んどるところもあるじゃが、彼もなかなかに面白い子よ」
……そう、自ら勝手に元服したというのだ。
通常なら神勅がない限り、有り得ない話である。
……
……神勅。これは通常、『神様』が授けるものだ。ということは、元服する人の前に、神様は現れる?
神様というものは、本当に、この世界にいるのだろうか。
……とすると、この神官さんは、神、様……?
目の前に見えるものを現実と受け入れられないかのように、疑問は一向に収束しないまま、魔物をひらりと避けた神官さんは此方を向いて静かに話す。
「君ら友人か?」
「……いや、違う」
「?」
だけど、なぜか放っておけなかった。僕に向かって『前世』の話をした眞城くん。……警報が出るほどのこの大嵐の中、迷うことなく海へ向かっていく彼のことを。
彼を初めて見た時感じた、強烈な既視感。……その正体がなんなのかは、わからない。わからないけれど、眞城くんを見て、自分の意思よりも早くに身体が動いて動いていた……というのが正しい気がする。
神官さんは少々不思議そうな顔をしながら「面白い因果もあることよの」と言って笑った。
ギィッァアアアアッッ!!
「はああああぁあっ!!」
襲い掛かってくる魔物に兄は太刀を突きつけるも、なかなか致命傷を与えることができない。僕は相変わらず避けるしかできないが、徐々にこの魔物の動きに目が慣れてきたようにも感じられる。
神官さんもどうやら手を出す気はないようで、徐に僕に話しかけてくる。
「なぁ伊月くん知っとるか。この世界には神様がおるんよ」
「……!?」
「ま、じゃけぇ元服する者には神勅が下るんじゃが」
からからと笑いながら話す神官さんは、どこか楽しそうでもある。
「……それって、どういう……」
「そのまんまの意味じゃよ。ここは『神が顕現する世界』。そして……時折、『前世の記憶を持つ者が生まれ落つる』世界」
「……!」
前世……元服と神勅……それから、神様。
これらはもしかすると、すべてが繋がっているのかもしれない。
「ふぁんたじぃじゃろ」と笑う神官さんの声は、やはりどこか聞き覚えがある気がする。
……だけどどこで聞いたのか、未だに思い出すことができない。
「だけどまぁ」
「……!」
「晃、避けろ!魔物行ったで!」
唐突な兄の声と共に急接近してくる魔物を間一髪のところで躱す。僕は、自分でもなぜなのかわからないが、臆するどころかこの魔物はどうしたら斃せるのだろうかと考え始めていた。
それを見る神官さんは、ぽつりと言う。
「前世の記憶に関しては、まもなく思い出すじゃろうな。なぁ、伊月くんよ。もしかしたら……今日か、明日か、今、すぐにでも。この魔物をどうやって倒すんか、お主らのお手並み拝見とさせて頂こうかの」
そう言う神官さんはどこか楽しそうでもあり、神妙で不思議な存在でありながらも、どことなくわくわくした子供のようでもあった。