第十三話 部長(中三)
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…
……
私は、左腰に佩いた太刀に手を遣る。日頃から丁寧に手入れをした此の太刀は、今も重みを伴って此処に在る。
既に着慣れた大鎧も、兜も、背負った箙も……どうしてだか、今日は随分と重たく感じる。
眼前に広がる大海原は相も変わらず凪いでいるというのに、私の心は斯様ではない。
私は大きく深呼吸をし、戦前の心を整える。義の為、一門の為の、戦。如何なる敵であれど、手を抜くことはない。
さぁ……参ろうか。
……
…
* * *
…
……
……!?
「……えっ?」
「? ……伊月くん?」
「あ……、あ…………え???」
はっとして辺りを見回すと、ここは見慣れた中学校……剣道部の部室の傍。
そして目の前には不思議そうに眉を寄せる部長がいる。そうだ……僕は今、部長と話をしてたんだ。
……なんの、話の途中だったんだっけ。
「伊月くん、「えっ」て言うたと思ぉたら、急に険しい顔してきょきょろして……どしたん? どこか具合でも悪いん?」
「いや、そうではないんですが……部長も今、何か聞こえませんでした……?」
「何かって?」
「なんか、時代劇……? みたいな」
「いや、何も」
「……ほぉですか」
部長に尋ねておいてなんだが、今のは幻聴の類ではない。昨日も体験した、僕のではない記憶が流れ込んでくる感覚。昨日流れてきたのが兄ちゃんの前世の記憶だったとすると……部長も誰かの前世の記憶を持っている……?
……やっぱり、昨日のことは軽率に話すべきではない。この、何かが流れ込んでくる感覚も含めた、すべてを。
秋宮さんが「今見たことは内緒な」と言ったのは、こういうことかもしれないと、漸く自分の中で咀嚼する。
「保健室行くか?」
「いや、大丈夫です。あの、話の続きを……すみません、遮ってしまって」
「ほんまに大丈夫か? 昨日魔物と対峙して疲れとるんじゃないん?」
「や、違いますっ、ほんまに大丈夫です、すみません」
部長は心配そうな顔をして僕を見るが、片手で黒縁眼鏡をくいっと上げると、「体調悪かったら早めに言いよ」と言いながら話を続けてくれた。
「討伐隊の話な。通常、【ある条件を満たすと神勅が下り、佩刀が許可されて魔物の討伐任務が下る】と言われとるじゃろ」
「はい」
「俺は……」
「……?」
部長はなぜか口をつぐんでしまったが、……彼の言った、『討伐隊』。そもそも神勅が下る条件すら謎に包まれているのだが、討伐隊自体も謎多き部隊ではあり、その実情はよくわかっていない。部長は、少し悩んだ末に此方を見て話し始める。
「……俺な。討伐隊に入りたいんよ」
「おぉ……」
「剣道やっとるんも、そのためみたいなもんじゃし。結構、剣道やっとる奴は多いんじゃないかな、討伐隊に憧れとる奴。伊月くんがよぉ一緒におる越前くんも、討伐隊に入りたいと言いよったな」
「そう……ですね」
「伊月くんは討伐隊に入りたいと思ったことは?」
そう聞かれて、僕は一瞬口ごもる。なりたいと、思わなかったはずがない。だけど昨日までなら、そんなのは夢の又夢だと、憧れに留まっていたことだろう。昔から身体が小さく病弱だった僕は、中学生になり、人並みに体も落ち着いてきた今でも討伐隊に入りたいなんて……思ったって、他人の前で口にしたことはなかった。
だけど、今は。
「僕も討伐隊に入りたい……です」
「ほぉか」
「……今まではなんとなく、手の届かない存在のように感じていました」
「それは、わかる」
部長は頷くと、また静かに話始める。
「伊月くんのお兄さんも討伐隊じゃろ? それにほら、伊月くんのクラスにも一人おったじゃろ、討伐隊の子が」
「あぁ、朝霞くんですね。やっぱし討伐隊入ると任務が忙しいみたいで、あんまし学校には来とらんですが」
「まぁ……ほぉじゃろぉな」
「兄ちゃんも一応……討伐隊の仮隊員ではあるみたいですけど、まだ悩んどるみたいで」
「悩んどる?」
「はい。自分は討伐隊入らずに、このまま真面目に勉強して、企業とかで働く方が性に合っとるんじゃないかって時々言うてますけど……今はとりあえず『保留』なんだそうです」
「……そぉなんじゃ。けど、やっぱかっこえぇよな。本物の太刀で戦うのは」
そう言われて、改めて僕は昨日の兄のことを思い出す。
本物の太刀を手に、魔物を断つ、兄。本当に、かっこよかった。思い返すたびに、憧憬や熱と共に、恐怖もまた蘇る。
一日経って冷静になった今、あの時兄がいなかったらどうなっていただろうと思ったら……
……。
改めて『討伐隊に入る』という意味を考えなければならない。
黙り込む僕に、部長は静かに話しかける。
「俺、昔魔物に襲われそうになったところを討伐隊の人に助けられてさ」
「……!」
「京へ旅行行った時やったかな、ふらふらっとしよったら迷子になってしもぉて。まだ、俺が小二んとき」
「わぁ……」
「討伐隊に入るには元服せんといけん。……が、元服するための条件というものが、どんな情報を調べてみても、何もわからんときた」
「神勅……ですもんね」
「そうだ。なりたいと願ったとて、誰でもなれるわけでもない」
「……」
……そう。願うだけでは届かない。努力は時に、なんの実を結ばないこともある。
どうすればなれるのか、神勅が下る条件とはなんなのか、努力すれば、なれるのか……その一切が、わかっていない。
僕は、自分の手に視線を落とす。昔から、同級生よりも一回りは小さく、身体も弱かった自分。『討伐隊ごっこ』をしたって、僕は守られる役ばかりで、討伐隊をさせてもらえたことはなかった。でも……本当はずっと討伐隊に憧れてた。だから強くなりたくて……兄のように、かっこよくなりたくて、剣道を始めた。
……だけど幼いころから剣道を続けてきた僕は、何度も打ち負かされ、夢を見るだけでは理想は実現しないことを、幼いながらに感じていた。
何度もマメができては潰れた手も、稽古で叱られて泣いた日も、自宅でも自主練したり、本を買って読み漁った日々も、そんなすべてが今の僕を形作っている。努力こそが結果となり実を結ぶのだと……今回だって、決勝戦まであと一歩だった。だけど、そんな夢を切り裂いたのが、「魔物」という現実。努力したって、すべてが実を結ぶわけではない。「討伐隊になりたい」というのは、いつのころからか、誰にも言えない「夢」になってしまっていた。
でも、本当はずっと……
……。
だけど昨日の、夢のような現実。熱が冷めやらぬ今は、「討伐隊」に入りたい。……不確定な未来を追えるのも、今だけ。神勅が下るのは成人前の男子に限るのだから。
「眞城……ほんまにすごいよなぁ」
「……すごいです」
「ほんであんなちっこ……ごほん。華奢な身体して、ほんまに強いんだよなぁ、眞城は」
「そういえば、部長も春の全国大会で当たってましたね」
「あぁ。見事にストレート負けしたが」
あの時の彼も、強かった。……だけど確かに、普段から本物の太刀で魔物を討伐していれば、彼の強さは納得である。いや、逆か……? あれほどの強さがあるからこそ、彼は討伐隊に史上最年少で入れたのではないか。
討伐隊に入る人は、神勅が下り、佩刀の許可が下りた者だけ。ということは……やっぱり、或る程度の強さや刀を扱うセンスは必須なのだろう。
「じゃけぇ、伊月くんと眞城の試合も見たかったんじゃけどなぁ」
「ほんまに、残念でした……」
「俺ら三年はもう昨日の大会で引退じゃけどな。伊月くんはまたきっと次があるけぇ、がんばりぃ」
「……そうだ……引退……」
「ま、そんなしんみりした顔すんなや。次の部長は越前じゃが、二年のエースは伊月くんなんじゃけぇ、皆をひっぱったってな。じゃ、朝練行くかぁ。これ。伊月くんの竹刀」
そう言って手に持っていた僕の竹刀を返してくれる。
「ありがとうございます。……でも僕、直接部室に来てしもぉたんで、顧問の先生んとこ行ってなくて」
「あぁ……したら先に先生んとこ先行ってき。終わったら……って言うても、もう殆ど時間ないが」
「お時間を割いて頂き、すみません」
「いや、俺の方こそ長くなってすまんかった。先生もばり心配しよったけぇね。……あ、先生も教師になる前は、討伐隊ではないんじゃが、討伐隊関連の機関におったらしいけん、気になることがあれば聞いてみてもえぇかもしれんで」
「先生の噂は、やっぱり本当なんですね」
「うん。俺も詳しいことはそこまで知らんが。とりあえず、きちんと挨拶行ってきんさい」
「はい」
あの真面目な部長が討伐隊に憧れていたのは意外だったけれど……『討伐隊』。昨日の絶対王者・眞城くんも、その一人。
……僕の心を支配しているのは、彼が放ったあの言葉
――『前世』。
あの言葉がなければきっと、眞城がいくら討伐隊だからと言え、昨日の彼を追いかけようはと思わなかっただろう。だけど今は、彼のその背中に追いつきたい気持ちが芽生え始めている。周りの中学生に比べてあんなにも小さくたって、あんなにも強い、眞城くん。
決勝戦……結局中止になってしまったけれど、今のこの状況ではきっと、彼に勝つことはできない。
兄のように、誰かを守りたい。絶対王者・眞城のように、強くなりたい。
現に、僕の中に流れ込み始めた新しい記憶の破片。 凪いだ海、重い鎧、そして左腰の太刀。 『私』とは、一体……誰だ?
今の日常と、昨日の非日常を比べ見る。あの戦いに身を置く覚悟。そして、前世を知る覚悟。僕の中では、とっくに答えが決まってる。自分で切り拓いていく方法を考えるんだ。
僕は改めて気を引き締め直して深呼吸をすると、地に足がついていることを確認し、これからのことを考えるのだった。




