第一話 現在
― 西暦1185年 3月 24日 平安時代末期 …… 壇ノ浦
「もはや、これまでか」
長い源平合戦が終局を迎える。
この戦の勝者は……源義経率いる源氏である。
我らが擁した幼い安徳天皇は、祖母……二位尼と共に海へと消えてゆき、平家一門も次々に海へと身を沈めゆく。平家は今、敗れるのだ。
「見届けるべきことはもうすべて見届けた。このあと、何を期待することがあろうか」
平家の軍を指揮した私……平知盛は御座船から一門の最期を見届けた後、鎧を二枚重ねて羽織り、乳兄弟と手を取り、共に入水を決する。
「逝くぞ」
重い鎧は、この身を海へ海へと沈めてゆく。
……すべてが、終わりなのだ
……
だんだんと海面が遠くなる。息が、できない。
意識が……薄れていく…………
……
『平殿』
……?
『おーい、平知盛どのー』
……誰だ
『お、まだ意識があった。まぁこの際誰でもえかろう、そんなこまいこと。この戦い、始終見届けたぞ』
……なんと大雑把な。私はこの期に及んで夢でも見ているのであろうか。
だが……この声は一体誰なのだ
『この世に、未練は』
私だけ生き延びても意味がなかろう
『ほぉ。潔いな』
戦に敗れた一族は……ここで皆、共に滅びるのだ
『海に生きた平氏一門が海に没するとはな』
……
『この、瀬戸の内海は、………。まぁ、良い。俺もお主らにはちぃとばかし思い入れがあるけん、こうして最期に会いに来たのじゃ。……時に、この世界の先のどこかには、ふぁんたじぃな世界があるようじゃが』
……ふぁん、た……なんだって?
『ファンタジー。つまりは空想世界じゃな。崩壊と再生を繰り返した先に、今のこの時代と似た世界があるんだと。次はその世界へ生まれ落つる可能性が高いようじゃよ。じゃけぇ、そぉじゃな……そこでの貴殿の氏は【伊月】でええかの。俺がお主だと、分かるように』
……ええかの、と言われても
『ははっ、決まりじゃな。そう、伝えとくけん。この世界じゃ俺にもできることが限られとるけど、その特殊な世界ならまた別かものぉ。まぁお主も新たに生を受けたからと言うて、今の記憶が残っとるとも、家族兄弟近しい者がまた一緒になるとも限らんがな。
……じゃあの、知盛殿。そろそろ時間じゃ。今度はきちんと人の姿で会いに行くけん。ゆるりとお休みよ』
………
……
◇
― 現在
剣道着に袴を履き、防具を身に着ける。手に持つのは竹刀。
間もなく、剣道の全国中学生大会の準決勝戦が始まる。
前の試合が終わり、僕は綺麗にモップがかけ直された試合会場を、同じ剣道部の仲間たちと一緒に見ていた。
「準決勝、がんばってな、伊月くん」
「うん、ありがとう」
「すごいなぁ、二年で全国ベスト4かぁ~」
今年の夏期・剣道全国中学生大会が、地元である広島・備後国で開催されるために、一層気の引き締まる思いである。
確か、今日は兄ちゃんも見に来ると言っていた。兄もここの剣道部の卒業生で、三年の夏に全国大会も出場していたが、初戦で敗れたと言っていたのが記憶にまだ新しい。僕は全国大会は今回が初めてだけど、不思議と気持ちは落ち着いていた。
「伊月」
呼ぶは、剣道部顧問の先生である。
僕……伊月晃は同級生に「がんばれよっ」と喝を入れられながら、先生の元へ向かう。
「はい」
「相手は、坂東(関東)の梶原。今日の彼は、ずっと小手の一本で上がっとるらしい」
「今年は、坂東勢が二人も残ってるんですか?」
「坂東は去年から強いらしいな。とりわけ眞城はとんでもなく強いようじゃが……彼も次、準決勝の別試合だったはずじゃな。じゃが伊月だってよぉ頑張って来たろ。まずは目の前の梶原。ここまで来たんなら全国一位を目指せ。普段通りにやったらええ。大丈夫だ」
「はい」
『梶原』は今回初めて聞く名前だが、『眞城』は昨年からずっと全国大会を総なめにしている生徒の名前だ。彼も、二年。
『眞城』という名は剣道をやっている中学生なら誰でも知っているのでは、という程の有名人であるくせに、会場内でもなかなか彼に出会うことは少ない。だけど、全国中学剣道誌で見た彼は、思っていた以上に幼く、女子に見間違うほどに愛らしく整った顔をしており、『可愛い顔してTUEEEE奴!』と、部内でも噂になったことを思い出す。
眞城。もしこの試合に勝てば、次に当たるかもしれない相手。
……だけど今は先生の言うように、目の前の梶原に全力を注ぐだけだ。
僕は軽く深呼吸をして精神統一をし、試合に臨む。大丈夫……絶対に、勝つ。
……
暫くすると準決勝開始の案内が流れる。いよいよ……試合だ。
僕は気を引き締めて竹刀を手にし、試合場の外まで歩を進める。
その先を見ると、梶原も同じような動きで歩を進めており、僕たちは互いに試合の場へ礼をし、立礼の場所まで歩を進める。
「只今より、準決勝戦を行います。赤、中国地区代表、備後国南中学校二年、伊月晃」
名を呼ばれ、改めて精神統一をする。
「白、坂東地区代表、相模国西中学校三年、梶原孝」
互いの名が呼ばれると、僕たちは審判と共に正面を向いて深く礼をし、選手同士、互いに向き合って目礼をする。剣道は礼儀が大事、とも言うように、試合はもう既に始まっているのだ。
左手に持つ竹刀を帯刀すると互いに一歩ずつ踏み出し、開始線の位置で竹刀を抜き合わせて蹲踞をする。面の隙間から見える梶原の眼差しは鋭く、此方を見る。
……絶対に、負けない。
「始めッ」
短く放たれる主審の言葉で、双方踏み込んで一気に間を詰め、カカッという音と共に竹刀と竹刀が交わる。双方ぎりぎりと鍔迫り合いをしながら、一瞬の駆け引きが始まる。
刹那として、気を抜くことはできない。
間を見て相手を鍔でぐっと押し込み、引きながら面を狙った上段からの攻撃は受け止められ、数打の打ち合いとなる。カカッ、という短く打ち合う音が響き、暫く攻めつ離れつ打ち合うが、互いになかなか隙が生まれない。
数打交えた後……剣先を離し、互いに数歩間を取ると、じりじりと互いに相手の動きを睨みつける。
が、――今
大きく一歩を踏み出すと共に、中段から打ち込んだ一打目は受け止められ、続いて二打、三打と打ちながら近接……からの、引きながらの一瞬、空いた梶原の小手を打つ。
同時に……三人の審判全員の赤旗がバサッと上がる。
一本である。
会場からは「おぉっ」という歓声と拍手が聞こえた。だがまだ試合は終わってはいない。試合は先に二本、または一本であってもそのまま制限時間の三分が経過すれば、一本取った方が勝ちとなる。しかし経過した時間は未だ二分程。ここから巻き返されることも往々にしてあることである。
続く、二本目。
同じく開始線より両者剣先を突き合わせて踏み込む、一歩。数打打ち合いとなった後、梶原はやや焦ったのか、先ほどより少しだけ大きく上段に振り上げた隙を僕は見逃さない。空いた胴を、左側からパァンと打つ。
返し胴の一本は綺麗に決まり、「わぁああ」という歓声や先ほどより大きな拍手と共に、審判の赤旗が三本、上がる。
勝ちである。試合は、二十秒強を残して勝敗が決した。
梶原は……走り抜けた先で歩を止めぬまま一度天を仰ぎ、また姿勢を正して元の開始線へと歩いて行った。彼は三年……引退である。その悔しさが、面を被っていても伝わってくるようであった。
拍手の中互いに蹲踞、離れて目礼を行い、正面へ礼をする。
……勝った
「いよっっしゃああああああっ!!!」と今すぐにガッツポーズをして喜びたいところだが、露骨に喜びを露にすることは礼儀に反するために心の中でこっそりとガッツポーズを決めたのだった。
◇
防具を外し、静かに仲間や先生の元へ戻ると、「お疲れ様ー!」「すっげぇ、準優勝確定じゃん!」「おめでとう~!」などという称賛を頂く。改めて、勝ったのだ。
喜びを隠しきれない僕は自分でもにやにやするのを抑えられないまま、「へへっ、ありがとう」と返す。準優勝確定。だけど次の相手は……
「先生、決勝の相手ってやっぱり」
「眞城だ。準決勝も、あっという間に勝敗が決したらしい」
別コートで同時に開始した眞城の方の試合は、制限時間を半分以上残して眞城に軍配があがったようだ。
眞城……物凄い人物である。
まさか自分がそんな人と戦うことになるなんて思ってもみなかったけれど、先生は僕を励ますように言葉をかける。
「前回王者とはいえ、同じ中学生。それも、二年だ。びびって臨むより、通常運転で行きんさい」
「はい」
「試合前の手洗い忘れんように」
「……ハイ」
僕は以前、団体戦前に緊張のあまりお手洗いに行きそびれ、次鋒で勝った後もずっとそわそわしていたことがあったのだ。……一年の頃の話だけど。
決勝戦までまだ時間はあるが、一応お手洗いを済ませて一度外の空気を吸いに行こうと思ったところで、外が先程から土砂降りの雨になっていたのを見る。うわぁ、まじか……と思って来た廊下を戻ろうとすると、僕を見つけたらしい兄が声をかけてくる。
「晃。お疲れ」
「兄ちゃん。応援、ありがと」
「いやぁ、強ぉなったなぁ」
「兄ちゃんの特訓のおかげかもな」
今日は休日であるが、用事があるからと言って、高校の白いカッターシャツと黒いスラックスを身に纏った兄は、少々太めの黒い眉と、切れ長で精悍な印象与える眼差しを僕に向けて微笑む。
兄は現在も高校でも剣道をやっているのだが、少々特殊な事情があり、今も本物の太刀を佩刀している。僕はその真剣を見ながら兄に問う。
「……今日も、魔物の討伐へ?」
「まぁ……その、訓練みたいなもん」
「すんごいなぁ」
そんな会話をしていると、後ろから「伊月くん」と声をかけられ、僕は兄とそろってその声に振り向く。
そこにいたのは……道着と袴を身に着けた絶対王者、眞城だった。だけど一瞬……どこか、既視感を覚える。もしかしたら以前剣道誌で見た写真かと思ったけれど、それ以上に、ずっと濃い記憶な気がする。……だが本物はもっとずっと可愛らしくて、思わず言葉を失う。
チビと揶揄される自分よりも小さな体に、黒目の大きなぱっちりとしたたれ目と長い睫毛、そして透き通りそうなほどに白い肌は陶器のようで、本当に生身の人間なのだろうかと、一瞬……いや、数秒疑った。……だがその意思の強そうな顔と短く靡く黒髪や、あどけなさの残る少年らしい声は男子のそれであり、所謂、完璧な美少年である。
いやぁこれで絶対王者ってどういうことなん??? と色んな疑問が頭に浮かぶも、本人を前にそんなことは言えない。
だけどそれよりも、最初に感じた強烈な既視感に僕は違和感を感じる。
確かに剣道誌で見たことはあったけれど、会ったのは今日が初めてなはず……なのに、僕は過去のどこかで絶対に、会ったことがあるような気がするのだ。
……この違和感は……なんだ。
外の雨がざぁざぁと強く降るのを感じながら、声をかけられて振り向くも何も言葉を発せない僕に、目の前の眞城はにこりとした表情を浮かべる。そして「伊月くん、次の決勝戦はよろしくね」と言いながら、続いてさらに意味深な言葉をかけてきたのだ。
「だけど……君はまだ、前世を思い出していないんだね」
はじめまして!
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