勇者、離脱
「顕現せよ、諸刃の盾!」
何度目かの魔術の発動。最初はただ防ぐだけだったが埒が明かないと思いなおし防御と同時に攻撃に転じる方向にシフトした。結果として何名かは既に戦闘不能状態だ。死んではいないので意識が回復すればまた戦線復帰されるかもしれないが、今の所その気配はない。
ルーチェは両手に剣を持っているが、それは相手の攻撃を受け流し、時に弾く程度にしか使っていないのでやはり死者はいない。ミリィたちが遊び場兼隠れ家として利用していた小屋でルリの部下を叩きのめした時と同じ戦法をとっている。相手が何者かわからないのでさくっと殺すわけにもいかないのだろう。
これが例えば街道を歩いている時に襲い掛かってきた盗賊の類であったならば問答無用で斬り捨てているのだが。
最初にこちらを追跡していた人物はさておき、後からやってきたのは教会から出てきている。仕事の前に懺悔や祈りを、といったただの信者であればいいが万が一教会関係者だとすると下手に殺すわけにもいかない。見た目はどう好意的に見てもそうは見えないが。
地面に倒れて転がっている人数は半分といったところだろうか。
ルーチェと応戦している者が五人ほど。ユーリとメルを狙っている者もあと五人ほど。ユーリはともかくメルは戦力として向こうも見てはいないだろう。ならばこちらを狙っているのは確実にルーチェに対する牽制か。ルーチェは先程からユーリたちを守るように動いている。ある程度食い止める事はできても人数の差のせいでユーリたちに接近を許してしまう者もいた。それらは今の所ユーリが倒しているものの、あからさまな攻撃魔術ではないので恐らく向こうもユーリたちに戦う力はほぼないと見ている事だろう。
ならば捕らえてルーチェの動きを封じる方が手っ取り早い。今ルーチェの相手をしているのはここにいる中で腕の立つ連中なのだろう。あと五人。たった五人だけだというのにルーチェも殺さないように倒すとなると苦戦しているところから、それは簡単に推測される。残る五人はルーチェとやり合うには実力が足らぬと考えるべきか。だからこそこちらへ流れてきたとも言える。
「それは遠い日の光景、微睡み満ちる昼の舟」
直接的な攻撃魔術であればそれなりに効果があるものの、間接的な術となると威力も効果も途端に期待できなくなるがユーリはあえてそちらの術を発動させた。ふわりと心地よい風が吹く。
攻撃魔術でもなく治癒魔術でもない。ゲームなら補助魔法とか呼ばれるタイプの術だ。自分で自分に効果を発動させるならともかく、他者へかけるとなると途端に治癒魔術も微妙な事になるがユーリは女神から授けられた力によって他の者と比べるとまだマシな部類だ。魔術士としての実力が生まれついて高いメソン島の人間であっても運が良ければ一人くらいはこの術の効果を受けるだろう。あわよくば全員、といきたいところだが流石にそれは希望的すぎる。
ばたん、と唐突に黒ずくめのうちの一人が倒れる。勢いが良すぎて倒れた際に頭をぶつけたようだが、そこまでは流石にユーリも考慮はできなかった。
「なんだ……急激に眠気が……」
もう一人は半分程術の効果を受けているようだ。ふらふらとした足取りで倒れないように何とかバランスをとろうとしている。
「顕現せよ守護の盾!」
「がっ!?」
そこに本来なら攻撃を防ぐための障壁を出現させた。突然横っ面を引っ叩かれる羽目になった黒ずくめの男は哀れ、バランスを崩して倒れ込みそのまま動かなくなる。
「おい、もしかして死んだのか……?」
「いや、ちゃんと気絶だけにとどめたよ」
ただでさえ眠くてふらふらしてる所にとどめをさして意識を刈り取っただけだ。これ幸いと地面で眠りについた二人はしばらく起きる事もないだろう。
これでこちらは残り三人。ルーチェの方を見るといつの間にやら三人程倒していたようだ。ルーチェが左手の剣だけをリングへ戻す。そうしてくるりとその身を反転させてユーリたちの方へと駆け、すれ違いざまにユーリの手を取った。
ルーチェの行動は何となく予想できていたのでユーリもまたその手を掴むと同時に駆け出す。もう片方の手はメルと繋がっているし、メルも今回はわかっていたのだろう。その光景を見物していた誰かがいたならば、思わず拍手でも送ってしまいそうなくらい流れるような逃走っぷりだった。
残りは五人、とはいえルーチェが相手をしていた二人はそう簡単に倒れてはくれなさそうだし、これ以上時間をかけると最初に倒した連中の中から何人かが復活しそうな頃合いだ。この場で時間をかけるよりもまずはここを離れた方がいい。
そうして駆け出したまでは良かったのだが。ユーリはろくに足を運んだ事のない上層、当然どこに何があるかを把握しているわけもない。ルーチェはユーリより詳しくはあったのかもしれないが、それでもあまり訪れる事のない区画だったが故に――迷いに迷って気付けば路地裏へと入り込んでしまっていた。
整然としていそうな上層ではあるが、上層も下層もそういった意味ではあまり変わらない。むしろ人目を忍んで、といった事をする相手が多く住んでいるとも言えるせいか、下手をすれば下層よりも道が入り組んでいた。
「とりあえず撒けたようじゃが……これ完全に迷ってないか?」
息を整えつつも、メルが困り顔で言った。来た道を戻るにしてもどこからどう来たのかすら覚えていない。
「大丈夫、このまま進んでこっちの通りを抜けたら中層に戻る道に行けるから」
迷ったと完全に思っていたのだが、どうやら迷っていなかったらしい。
「でも流石に疲れたから少し休みたいかな」
「あー、ルーチェはずっと戦いっぱなしだったもんね」
ユーリが戦っていた相手は基本的にこちらを捕まえようとしていただけなのでじりじりと距離を詰め隙を見て襲い掛かってきたので、こちらもタイミングを合わせて撃退すればいいだけだったがルーチェの方はそうではなかった。途切れる事なく繰り出される攻撃を躱し、受け流し、弾き飛ばし、その合間に攻撃を仕掛けて相手の数を減らす。相手をしていた人数が同じであったとしても、ルーチェの方が引っ切り無しに動いていたせいでユーリの倍以上消耗していると言ってもいい。
ダンジョンの中の魔物の方がまだ楽なのでは、とすら思える程に。
建物を囲む塀にルーチェが背を預ける。高く伸びたそれは壁と言ってもいいほどだ。この辺りの建物はどれもが高い塀に囲まれているのと、入り組んでいるせいでどこか迷路じみている。ルーチェがいたからどうにかなったけど、そうじゃなかったらここから出られるかどうか……とすらユーリには思える程で、むしろここがダンジョンなのでは……? と言いそうになったくらいだ。
「でも、あの人たち何だったんだろうね? 政府関係者だとしても、だったらあの場でウォルスかアリスの居場所を問いただしてきてもおかしくなかったんだけど」
「政府関係者、だとは思うけどあいつら自体はそこまで階級とか役職ってのがそう上でもないんじゃないかな。多分あの場で何かを聞いたとして僕たちが答えると思っていないと思う。だからこそ、捕まえて尋問するかその時に痛めつけた状態で人質か何かに使うつもりだったんじゃない?」
「人質っていったって、まずウォルスがどこにいるかわからないのに?」
「人質が一人だけならともかく僕たち三人捕まえる事ができたら一人ボコって目立つ所に転がしとけば、そいつとはそのうち嫌でもウォルスたちだって遭遇するでしょ。最終手段はダンジョンで待ち構えてればいいんだから。そこでまだ人質がいるってなるなら罠だから見捨てよう、とはいかなくなるよね。向こうにはちびっこたちもいるんだから」
「確かに、どうあっても見捨てるしかない状況に追い込まれているならともかく、そうでなければウォルスたちとて政府側の連中と接触を試みるしかなくなるわけじゃな」
というかその発言からしてボコって目立つ所に転がされるのはルーチェなのでは。人質がルーチェなら何かそのうち自力でどうにかしそうな気がする、で放置されそうだが人質になっているのがユーリやメルであるならば状況がどうであれミリィたちが助けられないかとアリスかウォルスに訴える可能性が高い。怪我を治したルーチェが厄介な事になるかもしれないが、政府側――この場合ルリを想定する――としてはまずウォルスを引きずり出せれば後はどうとでもなると思っている節がある。
「予想だけど、この件に関してはルリが直接関わってるわけじゃなさそう。ルリなら最終的に自分で取っ捕まえた方が早いって思ってそうだし。ダンジョンで遭遇した時の事を思い返したら尚更ね。
ルリが今どこにいるかわからないけど、ダンジョンで待ち構えてるかもしれないならこの件はルリがどういう報告をしたかにもよるけど……ルリの同僚か上司にあたる人物が関わってるか、も……っ!?」
「ルーチェ……?」
何が起きているのかを理解するまでにかかった時間はそう多くなかったと思う。けれど、そのほんの少しの時間がとんでもなく長く感じられた。
ルーチェの口から鮮血が溢れ出し、びしゃびしゃと音を立てて地面に落ちる。咄嗟に手で口元を覆うようにしたが間に合わず、手の平さえもが赤く染まる。
ユーリが少し視線を落とすと、ルーチェの胸元からは何かが生えていた。いや、生えているわけではない。赤く染まっているが、紛れもなくそれは剣だった。塀の向こう側からルーチェの身体を貫通させたそれからはぼたぼたとルーチェの血が滴っている。
ルーチェを見る限り心臓や肺が傷ついているわけではなさそうだが、裏側から縫い止められているも同然の状況では身動き一つとれやしない。
(何で昆虫標本みたいになってるの……?)
理解したくない。したくないが、しなければ次は自分がこうなる番だというのはわかる。
「ユー……逃げ……」
こふこふと咳込みながらもルーチェが告げた言葉の意味を理解するが、まるで何かに足を掴まれているかのように動けない。ぴしっという音が聞こえたのはそれからすぐの事だった。
音の出処を探るように視線を巡らせる。ルーチェのすぐ近くの塀に亀裂が走っていた。ぴしぴしと音をたてながら、尚も亀裂は広がっていく。
ぱん、と紙袋を膨らませたものを潰した時のような音がして、塀が粉々に砕け散った。障壁を展開させる余裕もなく、咄嗟に頭を庇うように腕で覆った。
「逃げるなら最後まで逃げ切らないといけませんよ」
まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるかのような声音だった。穏やかな女の声。砕けた塀は小石や砂のように粉々になっていたので庇うようにしていた腕に特にダメージを受けたりはしていない。ただ、服の中に砂利が入ったような不快感があるだけだ。きっと髪もそんな感じになっているだろう。洗い落とすのが大変だな、なんてこんな状況なのに考えてしまう。
塀の向こう側にいたのであろうその女は、教会関係者だと一目でわかる姿をしていた。彼女の右手には剣が握られていて、その剣はルーチェを背後から突き刺している。どう見てもただの剣だが、頑丈な塀を突き刺して塀越しにルーチェすら貫通させている時点で魔剣か何かかと勘ぐったが、見れば見るほど普通の――どこの武器屋にも置かれていそうなロングソードだ。
ふと、彼女の左手へ視線を移す。胸元のあたりにそっと手を上げているような状態で、まるでこちらに手を振ろうとしたように見えるがその手は軽く何かを握るようにまるまっている。
もう一度、落ち着いてユーリは女の顔を見た。一見すれば信仰心の篤いシスターだ。浮かべられている表情は慈愛に満ちたもので、ここが教会であったならば彼女の前に跪き祈りを捧げるか何らかの懺悔を告解していた事だろう。
「よりにもよってゴ……」
言いかけて咄嗟に口を噤む。けれども遅かった。
「ゴ? 何かしらゴって。いえ、現状に気付いた事は褒めてあげましょう。ですが、それとこれとは話が別です」
女は未だに慈愛に満ち満ちた笑みすら浮かべている。けれど声色は先程よりも低く、明らかに機嫌を損ねたのだとわかる。右手が無造作に下げられた。
びしゃり、ともじゃりっ、ともつかない音を立ててルーチェが倒れる。既に意識がないのか呻き声一つ上がらなかった。剣が引き抜かれたために、急速に血だまりが広がっていく。
「おい不味いぞユーリ、速やかに処置を施さねば」
「わかってる」
メルが焦る程度に危ないという事はわかっている。だがしかし、目の前の女はきっとそれを許してはくれない。この状況で女をどうにかしつつルーチェを回収して逃げるだなんて事は――今のユーリの実力では到底無理だったので駄目元でポータルストーンに賭けるくらいしかない。アイテムボックスから出すなりポータルストーンを掲げる。これで駄目ならとりあえずぶつけて怯ませよう。そんな事を考えたからかどうかはわからないが。
ポータルストーンが仕事をした。




