魔女の沸点は案外低い
荊が屋根を貫く。大きな音とともに屋根が崩れ、残骸が落下し、破片を荊が薙ぎ払う。勢いに任せて投げつけられたその先にいた魔女は口元に笑みを浮かべたまま右手を突き出し――
ぱきん。
作り出された障壁に建物の一部だった物は弾かれ、直後砂のようになって消滅した。
その障壁に今度は荊が叩きつけられた。荊は砂のように消滅こそしなかったが、障壁を突破するには至らず何度も障壁を殴打する。障壁越しに衝撃がくるのか魔女の口元から笑みが消えた。
「何あのマナの無駄遣い、魔女ってあんなやべーのばっかなんです?」
構成こそできてしまえば術を発動させる事はできる。構成補助の役割を持つ詠唱もせず、発動させるための言葉すら言わずに実行されているその術は、通常の魔術士が発動させるために消費されるマナの一体何倍消費しているのか……それを考えるとグラナダの呆れたような声にも納得がいった。
グラナダの足元には既に動かなくなってしまった黒い人の姿をした何かがあったが、グラナダは既にそちらには一切視線を向ける事がなかった。ただ目の前で繰り広げられている荊と魔女との攻防に釘付けだ。
ばん、と机に辞書のような分厚い物を叩きつけたような音がしたが、そちらも既に片がついたらしい。
胸元と思しき部分にぽっかりと穴を開けた、やはりこちらも黒い人の姿をした何かが倒れる。
「眷属、とは少し違ったのかな? 何にせよ、弱くて楽な相手だったね」
表情一つ変える事なくテロスが言い放つ。
「いやー、それ多分、それなりに強いはずなんだけど。そんな道中の魔物を倒した時と同じテンションで言っちゃっていい相手じゃないのでは……?」
メルと二人、ほぼ何もすることなく見ているだけで終わったユーリが言うが、説得力が欠片もないなと口にした本人ですら思っていた。
早朝。まだ日が昇り切る前の時間帯に彼女たちは現れた。
魔女アルマとその供をしていた黒い人の姿をした何かは、気配を隠す事なく堂々と現れた。
魔女、という言葉から童話に出てくるような老婆の姿を想像していたグラナダは、最初アルマの姿を見て時間帯を誤認し無人となっている旧王都の街並みを三度見した。
貴族の夜会にでも行くところです、と言わんばかりの風貌の彼女は言われなければただ顔立ちのキツイ女性にしか見えない。だが彼女が連れている黒い人が、彼女がただの人間ではないと暗に示していた。
遠くで鳥の鳴き声がしていたため、それさえ気にしなければとても気持ちのいい朝の目覚めだった。魔女が異様ともいえる気配を隠しもせずにやってきたため、気にしないようにするというのは無理だったが。
内部に魔物が入り込む事は余程の事がなければないだろうと思って完全に熟睡していたテロスは、その気配に起こされてから機嫌の悪さを隠す事すらしていない。同じように気配に起こされたグラナダも、何か変なのが来たというのを隠しもしない様子だったがこちらも機嫌がいいとは言えなかった。
二人に遅れる事数秒ではあったが、起きてその光景を目にしたユーリがある意味最初に状況を把握していたと言える。何か頭のおかしい女が来たと思っているグラナダと違い、ユーリはゲームで魔女アルマの姿を見知っていたからだ。とはいえ、彼女が連れている黒い人に関してはさっぱりだったが。
そこからもう少し遅れてセシルが二階の窓から顔を出した。まだ眠そうに目をこすっていたが、アルマの姿を見ると驚きと困惑が混ざったような表情へと変わる。
魔女は言う。
「そろそろ貴女がここに辿り着く頃だろうと思っていたから、見届けに」
この場にいたのがセシルだけであったなら、その言葉は純粋に彼女を心配してのものだと思っていたのだろう。けれど、そうではないとユーリたちは知っている。
副音声が聞こえていたならきっとこうだ。
「愚かしくも騙された娘の最期を嘲りに」
結晶樹の実に関してはまだ探していないので手元にはない。暗い中を光球浮かべて探すつもりはなかったし、それなら朝になって明るくなってから探すのでもいいかと思っていたからだ。あったとして、口にする事はまずないが。
「長く、悲しい旅路を乗り越えた貴女に敬意を表し、わたくしからこれを」
何も知らなければそれはとても慈愛に満ちた笑みに見えた事だろう。けれどユーリからすればそれはただの罠でしかなかった。それもあからさますぎる程の。
魔女がセシルに差し出すように伸ばした手の先には、小さな銀色の実が一つ。
恐らくは結晶樹の実なのだろう。ここに来る時に持ってきたのか、それともよく似せた別の物かはわからないがどっちにしてもロクな物じゃない。
「それが本当に結晶樹の実だとして、貴方の言う通りそれで呪いが解けるとして。なら食べて問題ないのなら、まずは貴方がそれを口にしてみて下さい。魔女アルマ」
そう言ったセシルの声にはまだ若干の迷いがあった。かすかに震えたそれは、魔女に対する恐れか疑惑か。
魔女は不思議そうに首を傾げ、告げる。
「わたくしがここに来るまでに見かけた実はこれだけなのです。ですからこれがなくなれば貴女の呪いを解く機会は伸びてしまう事になるわ」
「構いません。次がいつになるかはわからないけれど、それでも」
「あら、それはどうして? あんなに必死だったのに」
「今も必死です。必死だからこそ、です」
「ねぇ、もしかしてそこにいる人たちに何か吹き込まれたのかしら? 魔女のかけた呪いについて多少なりとも詳しいわたくしと、そこの魔術に関して詳しそうには到底見えない人間たちと、貴女はどちらを信じるの?」
「信じて欲しいなら、今すぐそれを食べれば済むだけの話じゃないか。できるわけないけどね」
ユーリやグラナダ、メルあたりはともかく、見た目からしていかにも魔術士ですと言わんばかりの服装をしているテロスが口を挟んだ。一瞬ではあったが魔女の顔が不機嫌そうに歪む。
「できるわけないよね、だってそれが本当に結晶樹の実なら、魔女であっても口にするのは危険なんだからさ」
「お前……まさか知って……」
「そうだね、知ってるからこそそこのあっさり騙された小娘に真実を突き付けたよ。それで?」
起こされた直後の不機嫌そうな顔と変わり、今のテロスは清々しいまでの笑みを浮かべていた。ユーリは察した。「あ、これ完全に喧嘩売ってますわー」と。
その後の事はある意味でお察し案件だった。
みるみるうちに顔を怒りに染め上げてアルマが叫ぶ。
「よくも、よくもよくもわたくしの邪魔をしてくれたわね! 生きて帰れるだなんて思うんじゃないわよぉ! あんたも、哀れな贄も全員死ねばいい!!」
アルマの周囲に風が吹いた。彼女を中心に渦巻くように。怒りに任せた魔力の放出とその余波を食らい、一階の窓ガラスが割れた。
「デリス! ゲルダ! あなたたちはそいつらを仕留めなさい!! わたくしに歯向かった事を後悔させた上で殺しなさい!!」
「うわあっさり繋がった」
アルマが連れていた黒い人のような何かが命令に従うようにゆらりと動く。呼ばれたその名はセシルから聞いた祝福紛いの呪いをかけた魔女の名で。その時点で大体の事が把握できてしまったユーリが思わず呟く。
「つまりあの黒いのは魔女に扮してパトリシアをどうにかしようと虎視眈々と狙っておった、という事か?」
「多分それで合ってると思うよ。ってかこれもう完全に戦闘回避不可だよね。セシルの方はどうなって――!?」
家の中にいたままでは危険だと判断し、急いで外に出たユーリたちであったが、未だ二階の窓からアルマを見下ろすようにしていたセシルの顔を見て一瞬ではあったが思わず足が止まる。
完全に巻き込まれただけにしか思えなかったセシルはもっと泣くより怒った方がいい、とは思っていた。そんなセシルが浮かべていた表情は、無であった。一切の感情を削ぎ落としたかのような、無表情。
「残念です魔女アルマ。ワタシはそれでも貴方の事、信じたかったのに」
「はっ、信じる!? 何を言っているのかしら、信じて欲しいだなんてこっちは頼んですらいないわ! 貴女は精々あの女を苦しめるための材料でしかないのよ!!」
アルマが手にしていた結晶樹の実を投げ捨てる。地面に落下したと同時、黒い靄のようなものが出て急速に萎びていった。それを見ても「あぁやっぱり何らかの仕掛けを施していたんだな」と納得するだけだったが、セシルは少し違ったらしい。
「わざわざそんな手をかけるくらいなら、別に結晶樹の実じゃなくても良かったんじゃないですか? ただの果物なら騙されていると流石にわかってしまう? いいえ、貴方程の魔女ならそれこそ普通のリンゴにでも魔法をかけて解呪の力を授けたとか言い包める事だってできたでしょう。けどそうはしなかった。どこまでも――どこまでもワタシを利用してくれたんですね!!」
セシルが窓から飛び降りる。二階とはいえ流石にそれは、とユーリが言いそうになったが直前で荊がクッションのようにセシルを受け止めた。棘の出ていない部分で。
背後で荊がゆらりと蠢く。
(あー、あれめっちゃ怒ってるわ。当然だけど。そっかー、セシルは怒りが限界突破しちゃうと無表情になるタイプかー)
どこか遠い世界の出来事を眺めるかのようにユーリが意識を飛ばしたその一瞬で、戦闘は開始されていた。
――デリスとゲルダと呼ばれていた黒い人は既にグラナダとテロスによって倒されている。何というか、ここにいたのがそれこそ普通の旅人であったならばきっと苦戦していたかもしくは敗れていたかもしれない。ただただ相手が悪かったのだろう。
今この場にいるグラナダから聞いてはいないが、ゲームでのグラナダのイベントを思い返すと彼女は自分を利用しようとしていた身内を手にかけている。普段はそれこそただの村娘であるかのように見せているが、その内面は村娘というより暗殺者のような冷淡さすらある。出会ってからの時間こそ短いが、グラナダはセシルの事を概ね好ましく思っていたようだし、そんな彼女が単なる嫌がらせの為だけに人生のほとんどを利用されていたと知れば当然不快に思うだろう。
結果としてグラナダは魔女アルマを完全に敵と認識し、彼女の連れていたデリスかゲルダのどっちかをそれはもう完膚なきまでに叩きのめした。
テロスに関しては言うまでもない。セシルについてはあっさり騙される小娘、と評しているがそれと天秤にかける相手が魔女アルマなら当然敵に回すのは魔女アルマでしかない。セシルの件がなかったとしても、きっとテロスはアルマを敵と認識していたのではないだろうか、とユーリは考える。
単純にテロスの嫌いな相手に該当しそうだな、と思っていたら案の定だったというオチだ。
メルと二人で完全に傍観者の立ち位置にいるなと思いながらもセシルとアルマの戦いを見届ける。森で狼を倒していた時の荊の動きは自動的という感じだったが、今はまるでセシルの意思を汲み取るように複雑な動きをしていた。機械的に近づいてきた敵を叩き潰し薙ぎ払っていただけの荊は、アルマに対して時にフェイントを入れるようにもなっている。それだけではない。威力も上がっているらしく、最初は障壁によって弾かれていた荊が今は弾かれる事なく障壁ごとアルマを潰そうとしていた。
「ひっ、ちょ、ちょっと待ちなさい!? わたくしを殺せば貴女の呪いは未来永劫解かれる事はなくなるのよ!?」
「生かしておいたって呪いを解くつもりなんてないくせに!」
「そっ、そんな事ないわ!? 今なら呪いを解くだけじゃない、ちゃんとした祝福も――っあ、あぁ……っ!?」
ずぶり。そんな音がして、音のした方へアルマが視線を移動させる。そこには自分の腹に深々と刺さった荊。貫通した荊の先端からはぽたりぽたりと血が滴り落ちている。
「貴方の祝福なんていりません。ワタシだけじゃない、貴方はワタシの家族も滅茶苦茶にしたんです。そんな魔女の祝福を今更受け取って、それが何になるというの」
荊が引き抜かれるのと同時に、魔女アルマは呆気ない程あっさりとその場に倒れ伏した。




