彼女は確かに悲劇のヒロイン
旧王都だと確定できる範囲に到着した時点で日はすっかり沈んでいた。もしかしたらまだ西の空は薄っすらとでも明るいかもしれないが、周囲を木々に覆われているのでそれもよくわからない。
旧王都の入口にあたる門は壊れてはいないようだった。というかこの周辺は魔物の気配も感じられない。
「へぇ、まだ結界が効果を発揮してるんだね」
どこか呆れを含みつつも感心したようにテロスが呟く。
旧王都を覆うように存在している外壁は多少の劣化が見受けられるものの、壊れている部分はないようだった。見える範囲の話ではあるが。
こういった王都や大きな街などは基本的に周囲を壁で覆っていたりする。その壁には魔物を退けるための結界術式が仕組まれており、大抵の魔物は近づけないようになっている。
小さな町や村は壁でこそ覆われていないが、魔物除けの結界がないわけではない。ただしユーリの故郷のような村と小さくはあるが森が続いているような場所は一部結界が曖昧な部分があり、そういった所から弱い魔物が入り込む事もある。
ゲームでは街や村に魔物が入らないのはそういうものとして受け入れていたが、いざ転生してみると実情はこんなところだった。ただ人里に魔物が来ないというだけなら、今頃世界はとっくに人里で埋もれ魔物はとうの昔に駆逐されている。
閉じられていた門だが、それはカタチだけだったようで押せば簡単に開いた。かつてここに住んでいた者たちがここを離れ、最後の住人だった者が閉めたのだろう……と思うが実際の所はわからない。開けたままであっても恐らく魔物は弾かれていただろうし、わざわざ閉める必要はないように思える。けれど、とユーリは考える。きっと恐らく、ここを出て行った者たちはいつか戻ってくるつもりだったのではないか、と。
門を開け中へ入る。そこは一見するとただただ普通の都市だった。人がいないという事を除けば。
既に日が沈み暗くなりつつある中で、ユーリは魔術で明かりをいくつか作る。浮かび上がる光球はふわふわと周囲を漂い照らす。明るさが異なるため微妙に記憶にある光景と違うような気もしたが、それは確かにメルが見せた荊姫の記憶と称した光景にあった街並みと同じであった。
周囲を見ると、王都を覆うようにしてある壁際、王都そのものを囲うように広がる木々はどれもが白い。壁の外側にあった木々は普通の木だったが、王都の中の木々はそのどれもが結晶化していた。
風が吹く。葉を揺らし、結晶化した葉はしゃらしゃらと音をたてて鳴った。
「あれ全部結晶樹なんです……? うわ、ホント真っ白じゃねーですか」
音の出処を探るように周囲を見回したグラナダも、ようやくその結晶樹の存在に気付いたらしい。不自然なまでに白い木々を目にしてドン引きしている。
見た所結晶樹の実が生っているようには見えないが、先程実の危険性を知ったばかりのグラナダは結晶樹そのものと関わりたくないらしく、やや腰が引けている。
「危険なのは実だけだし、葉や枝は食べられないからそこまで警戒しなくても大丈夫だよ。実と違ってそれ以外の部分は簡単に砕けないから口に入れて齧ったところで逆に歯が欠けるんじゃない?」
呆れたものが混じっているテロスの言葉ではあったが、グラナダはそれでも安心したらしい。安堵の息を吐いて改めて周囲を見回した。
「……特に何かがいる気配はないね。てっきり小娘の間抜けな最期を看取ろうと近くに潜んでる可能性も考えたのに」
「うん? テロス? どういう事かな?」
「魔女だよ魔女。水鏡とか水晶玉とか遠見の術使えばいいだけだとは思うけど、ユーリシアの言うようにアルマがパトリシアと仲が悪いっていうなら、ただ見てるだけじゃないでしょ。いつかパトリシアと出会った時のための嫌がらせに使えるような物を得る事ができるかもしれないなら、近くに潜んでちゃんと最期を看取って盛大に煽ると思うんだよね」
「言われてみればその可能性ありそうだけど……」
けどそんな事あっただろうか?
パトリシアとアルマが戦うイベントはあったけれど、その時には特にテロスが言うような事はなかったはずだ。というか選択肢次第では戦う事なくイベントが終わる事もあるくらいだ。しかしセシルの話を聞く限り、そしてテロスの言った事を思い返す限りでは、ゲームのように選択肢次第で戦闘回避できるような気がまるでしない。アルマはパトリシアを最低でも痛めつけたいし、最悪殺そうと思っている。祝福を与えたというのなら、パトリシアはセシルを友人くらいの認識はしている。それが例え一度しか出会っていなくとも。
その友人を死に追いやろうとした相手と、戦わずにいられるだろうか? パトリシアが真相を知らなければ可能かもしれないが……それはアルマが知らないままでいた方がより一層哀れ、と判断した場合だけだ。そうじゃなければ真相を明かして戦いに持ち込んだ方が邪魔ものを消す口実としては丁度いいとさえ思う。
メルに視線を向けてみたが、メルはそっと首を横に振るだけだ。メルもユーリ同様ゲーム知識程度の事しかアルマに関しては知らないのだろう。設定資料集でもそこまで深く掘り下げられてなかったような気がするし、そうなると現状これ以上アルマに関して考えた所で何かがわかるとは思えない。
ある意味で渦中にいるセシルは、荊の事もあってユーリたちとは距離をとっているがその視線は先程から王都を囲うように存在している結晶樹へ向けられたままだ。
ユーリたちと出会う前であったならばきっと結晶樹の実を必死になって探していたかもしれないが、今はどこか遠い世界の物でも眺めているかのようだ。
結晶樹だけを見ればそこはかとなく神秘的に見えない事もないので、文献の内容など知りさえしなければその実が呪いを解くと言われれば信じてしまいそうになる。いや、事実ゲームでの荊姫は信じて騙された結果、誰も来ないような旧王都で結晶化して死んだのだ。原形すら留めずに。
それを考えると、セシルは完全に巻き込まれただけだ。魔女のいざこざに。決して短くない時間を孤独に追いやられ、誰に知られる事もなく最期を迎える。セシルを主役にした創作物があったとしたらただただ救われないバッドエンドで終わり、見終わった人物には鬱っぽい感情だけを残すだけとなる。
映画だとして、地上波で放送されるようになったとしてもゴールデンタイムには絶対放送されないしお正月特番とかでとりあえず深夜枠で放送されました、みたいになるだろう。
前世の母の事を思い出す。彼女は映画鑑賞が趣味だった。映画ならばジャンルを問わず色々と観ていた。けれどきっと、そんな母ですらセシルを題材にした映画があったならば開始30分くらいで見るの止めそうだな……と思った時点でその考えを強引に打ち切った。
大変な思いをしてここまできたセシルに対して、口に出していないとはいえ流石に失礼だった。すぐさま涙腺崩壊しそうなセシルではあるが、正直セシルは泣くよりももっと怒るべきではないだろうか。
当の本人は今の所新居について早々解放された猫のようにおっかなびっくり進んでいるが。
「で、これからどーするですか? わたしたちは一応結晶樹の葉っぱなり枝なり入手できればあとは帰るだけですけど」
微妙に声を潜めてグラナダが問う。確かに彼女の言う通りだ。本来の目的は結晶樹の採取。そこにたまたまギルドで災厄の荊姫を見たなんていう話が出て、本当に遭遇して何だかんだここまで行動を共にしただけ。ただそれだけの話……なのだが。
ここでセシルを一人置いていくのは流石に気が引けた。もっとこう、我侭で嫌な性格の、それこそ災厄と呼ばれるのも頷けるような人物であればここで置いていく事は誰も気が咎めなかっただろう。そもそもそんな人物であったなら、テロスも結晶樹の実について言わなかったとは思うが。
けれど、セシル自身はただただひたすらに善良な一般市民だ。荊さえなければ。
ここでこちらの用は済んだから、でお別れするにしても見捨てるようで何とも罪悪感が残る。
荊がなければ一緒に行こうと声をかけたりもできたが、流石にあの荊がある状態では一緒に行こうも何もあったものではない。セシルもそれは理解できているためこちらと極力距離をとって接している。
「どうしようか……メルはどう思う?」
グラナダの言葉にこたえつつも、ユーリはメルの手を取って引き寄せるとそのまま抱きかかえる。一瞬驚いた様子のメルであったが、暴れる事なくユーリの耳に口を寄せた。
「呪いそのものはあまり強いものではない、ように視える。マトモな祝福をかけたパトリシアのそれを妨害するような絡み方をしておるようじゃからの。妾よりそなたの方がその魔女に詳しいのではないか?」
「かけられた祝福は健康と良縁と平穏、だったっけ。パトリシアがかけたなら、良縁かなとは思うんだけど……」
現状セシルを見る限り、平穏からは程遠く、良縁もないように思える。マトモに効果を発揮してそうなのは健康だが……二つは祝福ではなく呪いである。健康がセシルにではなくセシルの周囲に呪いとして発動していたならばどうだろう?
現に荊が出現した結果、セシルの周囲には誰も近寄れず最初の頃は彼女の母がゴーレムを作り身の回りの世話をしていたし、結果魔力を大量消費しすぎて母親は命を落とした。その事実はセシルの心に傷を負わせただろうし、そう考えると健康とは……? となる。
「ユーリ、おぬしの想像が当たっているならば、呪いを解く方法がないわけではない。要は、良縁に恵まれておればよいのであろう?」
「随分簡単に言うね?」
「決して成しえないわけでもなかろう」
「…………物は試しってやつかなぁ…………」
私主人公補正とかないと思うから、上手くいく気しないんだけど。と小さく呟いてメルを下ろす。
既に日は沈み光球をそこかしこに浮かべているとはいえ、流石にこの中を移動して採取だ探索だとするには面倒だと思っていたらしいテロスが空家となった周辺の建物を物色していたが、どうやら寝床として使えそうな家の選別は済んだらしい。
たった今出てきた民家から手招きしたため、グラナダが近寄っていく。
「あとはそっちの家もまぁ大丈夫そう」
そう言ったため、セシルはそちらで夜を明かすのだろう。荊はあくまでも人や魔物に反応するため、そこらの建物を壊して回ったりはしていない。
「あ、ありがとうございます」
まだ先程の事が尾を引いているのか若干声が震えていたが、セシルはそれでもテロスに対して頭を下げた。
入った民家の中は大きな家具は残っていたが細かな物は残されていなかった。住人がここを出る時に持っていったのだろう。とりあえず寝るだけなら何の問題もない。
しかし流石に食事も無しに寝るわけにもいかず、一先ずはグラナダの手を借りて遅くなったが夕食を作る。作った物は昨日とあまり変わらないがユーリとしては文句があるなら自分で作れ派だし、グラナダもダークマターができたならともかくそうじゃないなら文句を言うな派なので同じメニューが続こうともお互い何も言う事はない。
ちなみにメルは食べなくても平気と言っているが流石に幼女だけが食事をしないというのも状況的に不自然なので、出された物は美味しく食べる派である。同じメニューが続けて出た場合の反応はまだわかっていない。うんざりする程同じメニューを続けて出した事がないから、というだけの話ではあるが。
テロスに関してはユーリと同じような派閥ではあるが、それよりもやや過激派である。
一人分だけを別に用意して家を出る。
セシルが入っていった家のドアを開けて中を見るが、見える範囲に彼女はいない。中に入ってかろうじて残されていたテーブルの上に食事を置く。
「セシルー! ご飯ここに置いとくから! 器はそのままにしておいてくれれば明日回収するねー。それじゃ、おやすみまた明日ー!」
声に反応するようにガタリと音がして、セシルが二階にいた事を知る。聞き取りにくいが「ありがとう」という声がしたので足早に家を出た。ユーリがここにいつまでもいたら、セシルだって来るに来れない。
バタン、とドアを閉めて自分たちの今日の寝床へと戻る。
「また明日、か。そんな事言われたの何年振りだろう……」
ドアの閉まる音がして、そこから更に時間を置いてから降りたので既にユーリの姿は当然ない。少し冷めてしまった食事を口にしたセシルの頬を、涙が伝っていった。




