それは禁断の果実
森に入ってセシルと出会った時のように狼が襲い掛かってきたならばまた話は違っていただろう。けれど、翌朝は拍子抜けするくらい魔物と遭遇しなかった。おかげで歩みは順調に進んだ。
ゲームで少しだけ足を踏み入れた事のあるグリシナ大森林だが、実際足を踏み入れるとどこをどう進めばいいかとかはさっぱりだった。道らしいものがある所と、そういったものがない道なき道を進んで随分奥の方まで来たと思う。
旧王都がある場所はメルが知っていたので彼女の誘導に従って進んでいたが、そうでなければとっくに遭難して彷徨っていたに違いない。それどころか、魔物に襲われて既に息絶えている可能性だってある。
ゲームなら死んでもセーブポイントから再開できるから多少の無茶もやらかせるけど、流石に生身でやれって言われたらイヤだなぁ……なんて漠然と考えながら進んでいたが、それが見えたのは昼を少し過ぎたあたりだったと思う。
木々の向こう。かすかに建造物のようなものが見えた。
「あれは……」
「あぁ、恐らく旧王都の城じゃな。ここから見えるのならばそれは恐らく東の塔じゃろう。城に仕える魔術士が研究棟として利用していたはずじゃ」
ユーリの言葉に即座にメルが告げる。
「とはいえ、そこにかつての研究内容を記した何かがあるわけではないのだがな」
「詳しいね?」
「……妾も聞いた話じゃ。直接見たわけではない」
感心したようなテロスにメルは一呼吸おいてから取り繕った。
「いやー、でもホントにあるもんなんですねぇ。旧王都に辿り着いた冒険者なんていないって話だから単なる都市伝説だとばかり思ってたんですけど」
見えたのは塔の一部分だけだというのに、グラナダは既に旧王都に到着したかのような反応だ。
「いや、一応辿り着いた者は何名かいたはずじゃぞ。ただ、二度と帰る事がなかっただけの話であって」
「あー、まぁ、そりゃ来るのも一苦労。ようやく辿り着いても無人の旧王都、じゃ帰る時はさぞ大変でしょうからね。……あれ、これわたしたちにも言えちゃいますね」
「物資に余裕はあるしボクたちは大丈夫でしょ。魔物に油断さえしなければ。それにその旧王都にかつて辿り着いた人たちと違う部分は……多分ボクたちは、旧王都に足を踏み入れた事を誰かに吹聴しないからね。武勇伝を語るなんて事がないから浮かれる必要もない」
「えっ、言わないんです!?」
「サフィールとかネフリティスあたりに言うくらいならいいと思うよ? でもギルドの人に言ったらさぁ、案内しろとか言い出しかねないし、そしたらまたここに来るんだけど。そこでまたあの狼の群れと出くわしたらどうするのさ。今回はセシーリアの荊で大体どうにかなったけど、ギルドの連中にそういった芸当はできないよ」
「あっ、あー、確かに何だかとても面倒な気配がするですね」
自慢できると思ったんですけどねぇ、とやや残念そうではあるが、言った後の面倒事の可能性を考えるとグラナダもそこまでして言うつもりはないようだ。
「そういえば、セシル。貴女の呪いを解くのにグリシナ大森林に来たっていうのは聞いたけどさ。どうやってその呪いを解くの?」
昨日、こんな感じに気軽に聞いた結果があの重たい過去話だったというのにユーリは学習能力をかなぐり捨てたのか、それとも懲りるという事を知らないのかまたもやそんな事を聞いてしまっていた。
できる事ならばあまり聞かない方がいいのでは? とも思っていたのだが、蒼碧のパラミシアでは荊姫であるセシルは既にいなくなってしまったキャラ扱いだ。
そしてメルから知らされた荊姫に関する情報として見せられたものを思い出すと、聞かないわけにはいかなかった。
恐らく、このままだとセシルはほぼ確実に死ぬ。それもマトモとは言えない死に方で。
それに気づいた以上は放っておくわけにもいかない。自分の知らない場所で死ぬのであればそれは仕方のない事ではあるが、自分の目の前でそうなる可能性があるのなら極力回避させたい。セシル自身が死ぬつもりであるならば、ユーリのいない場所で勝手に死ぬならそれでもいい。けれどセシルは死ぬつもりなんてないだろう。
呪いを解く方法を教えた魔女が誰かは知らないが、その魔女は確実にセシルを騙している。けれど、今それを言ったとしてユーリの言葉を信じるかとなると恐らく信じはしないだろう。
ユーリが名の知れた魔術士であるならば耳を傾けるくらいはしてくれるかもしれない。けれどユーリにそんな名声はない。ユーリの師でもあるゴードンであれば、名の知られたというわけでもないが彼の見た目的にそれなりに人生経験と魔術士としての経験も豊富そうだし話を聞くくらいはしてくれただろう。
だからこそ、まずはどういう方法でその呪いが解けるのかを聞く必要があった。
「呪いを解く方法はそう難しいものではないみたいなんです。ただ、その材料が限られた場所にしかないみたいで。……結晶樹って知ってますか?」
「う、うん。知ってるよ。っていうかここにはそれ目当てで来たから」
「そうなんですか!? え、でも、ユーリたちはどうして結晶樹を……?」
「何か欲しがってる人がいるらしくてギルドに依頼が出てたんですよ。結晶樹なんてその時初めて知ったんですけどねー。旧王都にあるっていうから、それじゃあ行ってみようかって事に」
「ふむ……? しかし結晶樹にそういった呪いを解く効能、なんてあったかのぅ……?」
心当たりが全くないらしくメルは首を傾げている。ユーリがテロスの方へ視線を向けると、テロスの眉間に皺が寄っていた。
「結晶樹そのもの、というよりは、結晶樹から採れる実なんです。必要なのは。呪いを解く方法を教えてくれた魔女によると、結晶樹の実を食べれば呪いは解けるって」
「馬鹿じゃないの」
「っ!?」
セシルの言葉を遮るようにテロスが吐き捨てる。その声音はどこまでも冷え切っていた。先程までの様子と一転して変わったテロスにセシルだけではなくグラナダも驚いたのかびくりと身を震わせていた。
「あ、あの、テロス……?」
なに何か地雷踏んじゃった? とばかりに恐る恐るユーリが声をかけるもテロスの態度が変わる気配はない。
「その方法で呪いが解けるっていうなら、適当にナイフで首掻っ切るのと同じ事だけど」
「え、あの……?」
「確かに死ねば呪いも何もあったものじゃないけど。死ぬためにわざわざこんな所まで来るとか馬鹿じゃないの」
「どういう……事ですか……?」
「今言った事そのままだけど」
テロスがセシルへかける声は相変わらず冷え冷えとしているし、向ける視線も底冷えしそうな程であった。セシルの背後の荊までもがどこか不安げに揺らめいている。
「テロス、ちょっと落ち着いて。セシルは私より多分年上だけど、初めて私と会った時と同じくらいの対応でお願いします幼女に向ける感じにもうちょっと態度軟化させよ? あの人数年はずっと独りだったんだよ。たまに魔女と会話する事があっても人と触れ合うとかそういうの数年は一切なかったんだよ!?」
「ユーリシア、キミはなんで毎回ボクに誰かに対しての応対を幼女に向けたものでっていうお願いをしてくるわけ? 何なのその幼女に対する飽くなき拘り。ボクを何だと思ってるのか知らないけど、幼女に対して優しいとかそういうの幻想だから」
「あっ、うん、それはわかるけど。でも普通のって言ったらますます悪化するじゃん? でも幼女相手にするようにって言ったらまだ会話はできるレベルだし。落ち着いて、話し合おう」
「あぁ、うん、ホント……馬鹿を相手にする時間も無駄だったよ。危うくボクにまで馬鹿が感染るところだった」
深呼吸ともいえるくらい深く、それはもう深いため息をつかれた。
「溜息つくと幸せ逃げるよ」
「うるさいな。誰のせいだと思ってるのさ」
「あだっ!? ちょっ、凄い速度でおでこ小突くのやめて!? 私一応それなりに美少女なんですけど!? せめて顔面はやめて!?」
「確かにキミ、黙ってれば顔は可愛いけどさ。そういうセリフは中身も美少女になってからいいなよ」
「そうなると未来永劫有り得ないから無理」
「それもそうか。キミの中身が美少女になる頃外見は老婆だろうからね。あぁ、それとも完全に骨かな。成程、そこら辺はちゃんと弁えてるんだ」
「うっわ、わかってたけどえげつねーです」
二人の応酬にグラナダがぽつりと呟いて。それが聞こえたからなのか、それともある程度落ち着いたからなのか。どうすればいいのかとおろおろしていたセシルにテロスが視線を向けると、露骨にセシルの身体が強張った。心なしか荊も警戒しているように見える。
「そうだよね、聞いた話じゃロクに知識を得る機会も情報を得る事もなかったわけだし、キミが馬鹿なのはもうどうしようもない事だよね」
「そこはさっきは言いすぎた、とかではないのかのぅ……せめて撤回してやればよいものを」
「あぁそうだね。言葉にオブラート包まなかった事だけは少し反省してるよ。馬鹿に面と向かって馬鹿って言うだけ無駄な事だったね」
「どうあってもその評価は覆らないのじゃな……」
ぴるぴると震えているセシルを可哀想な物を見るような目で見て、メルは小さくではあるが頭を振った。メルから見たテロスは、誰かに言われて即座に態度を変えるような人物ではないという事はここ数日で理解せざるを得なかったのだから。
「それで? 頭の足りない小娘が一体どんな甘言に惑わされたのかは知らないけど、どういう嘘にホイホイ騙されたんだい?」
「う、嘘だなんて……本当かも、しれないのに」
「それはキミの願望だろ? 大体結晶樹がどういうものかちゃんとわかってる? 物珍しいからとか資料としてとかで枝や葉を欲しがる程度ならまだいい。でも実をよりにもよって口にするっていうのがどういう事か知っているならやらかさない。それでもやるのは自殺志願者くらいだよ。綺麗な死に方ができるわけでも、楽に死ねるわけでもないのにね」
結晶樹の話が出た時、テロスは特にそれに関して口をだしてはこなかった。精々自分が知っている結晶樹の有る場所が既に辿り着くには困難な位置であるという事を口にした程度だ。グリシナ大森林にその結晶樹があるという話になっても、特に採取に反対する事はなかった。だからこそ危険性はないだろうと思っていたのだが……
メルは結晶樹の場所は知っていたが、結晶樹がどういうものかというのは知っていたのだろうか?
今更ながらに疑問が浮かび、ついメルの顔を見る。何とも言えない表情でテロスとセシルの様子を見ていたメルであったが、数秒後には「あっ、いっけね!?」みたいな表情に一瞬だけ変化したのでそこで結晶樹の実とやらがどういうものかを思い出したかしたのだろう。
別にその事に関して咎めるつもりはない。メルがこの世界を司る女神であったからといって、常に何もかもを記憶しておけだなどとは流石に言えない。それでなくとも現状、邪神とやらが暗躍しこの世界を危機的状況に陥らせようとしているのだ。そのために何とかしようとしている中で、結晶樹とかゲームでも出てこないような重要度の低そうなものの知識を即座に思い出せるかとなると、うっかりも止む無しだとユーリは思っている。
結晶樹の実とやらがどんな効能を持っているのかはテロスの口ぶりからして毒があるとかそういう感じなんだろうなと勝手に推測するとして、その知識のない面々がうっかり食べる前に危険である事を知らせてくれて犠牲が出なければそれでいい――ともユーリは思っている。
知っていて黙っていられるよりは、全然マシだ。
「そういや、ギルドでもどういったものか知ってる人ほとんどいなかったですね。依頼出した人は文献に載ってたとか言ってたみたいですけど。
……その言い方じゃテロスは結晶樹に関して実物とか文献とか見た事あるんでしょ? 結晶樹って一体なんなんです?」
反論したいが反論できるだけの要素がどこにもなくて、ただただ震えて泣くのを堪えているだけになっているセシルを見かねてかグラナダが問いかけた。荊は確かに凶悪だけど、セシル本人は決して悪党ではない。だからこそ彼女なりの助け舟なのだろう。
不機嫌さを隠す気もなく態度に出していたテロスではあったが、この場にいる全員(メルは一応思い出したようだが素知らぬ振りを装っている)が結晶樹に関してほぼ知識ゼロだという事を理解すると、流石に何も知らない相手にいつまでもこんな態度では良くないと思ったのだろう。表情は険しいままだったが、雰囲気は多少柔らかいものに変わる。
「ボクもまぁ、詳しいわけではないけれど」
そう前置いてテロスはかつて見た文献の記述を語り始めた。




