何に対しての災厄なのか
「う……うぅん……あれ? ワタシどうして……?」
「あ、目が覚めた」
「ひぁっ!?」
彼女の目が覚めたのは、それから数時間後の事だった。気を失っていても消える事なくそこにあった荊は、彼女の意識がなくとも彼女に近づく者があれば容赦なく遠ざけようとしていたためユーリたちもその場からほとんど動いていない。いくら荊があるとはいえ、女性一人をここに残していくのも酷な話だ。荊が襲ってこない程度の距離を開け、ユーリたちもその場に腰を下ろし休憩していた。
声をかけられた彼女は、やはり先程の悲鳴が気のせいではなかったとばかりにこちらに過剰な怯えを示す。咄嗟にまた距離を取ろうとして後ろへ移動しようとしたものの、起き上がりかけた体勢のままそれをやろうとして、またもやバランスを崩す。今度は後頭部をぶつけるような事はなかったが、彼女の腕が空を切り、それでも何とか体勢を整えようとしているその光景はまるで溺れているかのようだった。
「ねぇ、また無様に倒れて気絶されても困るんだけど」
「ひっ、すみません、すみません!」
テロスとしては責めるつもりで言ったわけではないのだろう。どう足掻いても責めているようにしか聞こえないが。だが彼の言う通りここでまた倒れて気絶されると、時間だけが無為に過ぎていくだけだ。何の情報も得られないままに。
「だからテロスはもーちょっと言葉をオブラートに包もうぜ? です。えーと、一応怪我はユーリが何とかしてたっぽいけどまだ痛い所ありませんか?」
謝罪しつつも彼女は凄まじい反応速度で体勢を整えて正座の形をとっていた。よく見ると両手は膝より少し前にあり、多分このままテロスとやりとりを続けていたならば即座に土下座の体勢でもって謝罪どころか命乞いさえしていたかもしれない。誰が口にしても、誰一人「まっさかー、ははは」なんて言えないくらいの状況だった。
「怪我……え……? 治癒魔術? え、でも荊は!?」
グラナダの言葉に咄嗟に彼女は自分の背後を見るも、そこには相変わらず攻撃力がとても高そうな荊がうねうねと動いている。
「だよね……」
その光景にあからさまに落胆しつつも、視線をこちら側へと戻す。
ゲームだと回復魔法と呼ばれていたそれらは、初級程度のものならどのキャラも使う事ができていた。完全回復や全体に効果を及ぼすものに関しては使える者も限られていたが。ところがいざ転生したこの世界では確かに最低限の治癒魔術であれば個人で使う事ができるものの、他者に対して発動させるとなると途端に難易度が跳ね上がる――らしい。魔術というのは自分の体内を巡るマナを使い発動させる。だからこそ、自分のマナで自分の怪我を修復するという行為はそれほど難しいものではない。
けれど他人に干渉するとなると、途端に難しくなるのだ。ゴードンはそう言っていた。
所謂魔法防御力というべきか。それらは何者から向けられる攻撃魔術だけではなく、治癒魔術であっても効果を発揮するらしい。なので自分以外の怪我を治そうとすると、自分相手なら問題なく完治するものであっても他者相手だと完治しないなんて事はよくある話だそうだ。教会にいる神父や巫女あたりはそこら辺かなり修練を積んでいるとも言われているが、それでも大勢を一瞬で治すような治癒術の使い手の話はあまり聞かなかった。
そしてもう一つ。他人に対して治癒術を使うのであれば、怪我の状況を確認しつつやる必要があるのでそれなりに近づいて――できれば手が触れられる状態であれば成功率が上がるとも言われている。これに関しては詳しくはわからないが、手当てという言葉もあるくらいだし怪我の治療をしてもらうという状況を怪我をした本人が受け入れる事で魔術に対する抵抗力を少しだけ下げているのでは? という説もあった。
「えーと、うん、一応他の人よりかは少しだけ治癒魔術得意なんだ」
ユーリの言葉に「そういえばあんまり痛くない……」とあちこちを確認しだす。
その言葉に嘘はない。ゴードンから教わった魔術は攻撃魔術と生きていく上で、或いは旅の中で使えれば便利だという生活魔術と呼ばれるものだけだ。治癒魔術に関しては女神から授けられた力が原因だろう。
メル自体は別にそういうのを考えて与えているというわけでもなく、単に本人の適正で一番伸ばしやすい部分を伸ばしているだけにすぎないらしいのだが。
マチルダは完全に攻撃寄りの術ばかり覚えていたためパーティメンバーを選ぶ時は最低一人回復役を入れないと厳しいものがあったが、ユーリ本人がその回復役であるならばそこを悩む必要はなさそうだ。
「それで、えーっとちょっと聞きたいんだけど。災厄の荊姫って貴方で合ってる?」
その言葉に彼女の身体が小さく跳ねた。その反応で大体わかってしまったが、何故ここまで怯えられているのかがわからない。彼女は何度か視線をあちこち彷徨わせた後、決心したかのように小さくではあるが頷いた。
「そっかー。違うって言われたらじゃあその荊何なの!? ってなるところだけど、やっぱり本人だったね」
「確かにその荊凄いけど……一体どこが災厄なんです? 言っちゃなんですけど荊なかったらただの人の良さそうなおねーさんじゃねーですか。治安悪い所行ったら即食い物にされそう」
「え……え?」
恐らく思っていた反応と違ったのだろう。何を言われているのかわからないとばかりに間の抜けた顔をしている。
グラナダの言う通り、顔だけを見るならばとても災厄だのという不吉な通り名がつきそうな感じではない。気絶していても消える事がなかった荊は恐らく彼女の意思で自在に動かしているわけではなく、何らかの呪いなのだろう。少なくともユーリはそう思っている。
荊のせいで人里に足を踏み入れる事ができないのであろう、という推測は彼女の外見を見れば察する事はできた。割と最近になって伸びた髪が邪魔になったのか、恐らくは自分で適当に切った結果肩のあたりまでの長さではあるが毛先はバラバラだし、服も魔物から得た毛皮や革などで自分で作ったのだろう事が窺える。
ギルドに登録した冒険者が、長期的にとあるダンジョンに潜ってようやっと戻ってきました。
そんな状況に近い感じのサバイバル感がそこにはあった。
「あ、あの、ワタシの事を狙ってきたわけでは?」
「何で?」
「え、だって以前はその、えっと」
「あぁ、あの話。それならもうとっくにないよ」
「え……?」
「ちょっとテロス、どういう事?」
「ボクも聞いた話だけど災厄の荊姫って一時的に賞金かけられてたんだよね。すぐ撤回されたけど。この人が言ってるのは、ボクたちが賞金目当てで襲い掛かりにきたんじゃないかっていう、要は自分の身の心配さ」
「いやそうなんですけど、そうなんですけどぉ……っ」
へにゃりと眉を八の字に下げる彼女に、
「そもそももしそうならキミがさっき気絶してる間にどうにかなってると思わない?」
治癒魔術を使う事ができたのだから、敵意なく攻撃できれば荊だってそこまで反応しないのでは? と考えるとテロスの言い分は彼女をあっさりと納得させられるものだったらしい。
「それじゃあどうしてワタシの事を……?」
「実物見た事ないくせに話だけは聞くからさぁ。ギルドの人が災厄の荊姫がグリシナ大森林に行くのを見た、なんて言ってたみたいだし」
「え、じゃあ貴方たちはわざわざここにワタシを見物しに?」
「いや。元々ここに用があったから。キミはついで」
あまりにもきっぱりと言ってのけるテロスに、彼女もどう反応していいのか悩んだらしい。困惑と同時に乾いた笑いが漏れる。
「さて、それじゃそろそろ移動しようか。あ、そうだ。キミが退治した狼、あれ放置してたら血の匂いで他の魔物寄ってきそうだったからとりあえずアイテムボックスに収納したんだけど」
「あ、それでしたら持ってっちゃってください。ワタシ全部回収はできませんから。それに持ってても食料になりそうな部分以外はどうにもできないから」
「わー、太っ腹。それやるから代わりに何か寄越せとか言っても許されると思うんだけど」
「えっ!? いえ、流石に相場がわかりませんし!? それになんていうか、久しぶりに人と穏便な会話ができたので」
詳しい事情はわからないが、なんとなくその言葉から色んなものを察してしまいユーリの目が軽率に死んだ。他の面々も何となく察したのだろう。「あぁ……うん……」みたいな何か言うべきなんだろうけど何とも言えない、という反応だ。
「えーっと、それはそうと荊……あー、おねーさんお名前は? 災厄の荊姫って呼ばれてるのは事実っぽいけど正直災厄っぽさが欠片もねーですし、荊姫って呼ばれるのも何か違う気がするです」
「ワ、ワタシの名前ですか!? えと、えーっと……セシーリア。呼びにくかったらセシルでいいです、はい!」
名前を名乗る前に若干の沈黙があったが、それは名前を名乗りたくないというよりは久しく呼ばれていないため忘れかけていた、といった感じすぎてユーリたちの間に何とも言えない空気が漂った。だが彼女はそれを気にした風もなく、どころかむしろ目がキラキラと輝いている。
夕焼け空が藍色に染まる時の混ざりあった空の色のような髪はボサボサだし、身につけている服も正直かろうじて服の形になってはいるといった代物。場所が場所なら奴隷商人に売られた直後にも見えるくらいの恰好をしているといっても過言ではないが、夜空から朝焼けの空へと変わる頃合いのような色の瞳にはそんな悲壮感はどこにもない。
ユーリたちがそれぞれに名を名乗ると、セシルは嬉しそうに破顔した。自己紹介しただけでこんなに嬉しそうにされた経験は、この場にいる全員が初めての事だった。
なんとはなしにユーリはこの場にいる全員を見回す。メルについては女神だし、彼女なりの苦労とかはそれなりにあるだろう事はわかる。テロスに関してはあまり自分に関して話すような事もなく聞く機会もなかったのでわからないが、メル程ではないにしろ長い年月を生きているであろうという事は窺える。ならばそれなりにやはり大変だった事もあるはずだ。
グラナダに関してはゲーム知識ではあるが、彼女も中々に重たい過去を持っているし、それは彼女と行動を共にしていたサフィールにも同じことが言える。ゲームでは既に死んでいたネフリティスも、二人の話から聞く限り似たようなものだ。
転生しているとはいえ、前世も今世も正直そこまで重たい過去がない自分はなんというか、この場にいていいんだろうかという気にさえなってくる。一応故郷が消滅して家族やそれに近しい間柄の人間全員消えたという、そこだけ見れば一昔前の勇者にありがちなプロフィールがあるにはあるが……何とも言えない場違い感があるのは否めない。
(そう、例えるならドのつくシリアスな漫画にうっかりギャグマンガのキャラが入り込んだみたいな……いや私にギャグマンガ補正みたいなのないけど。むしろあればいいくらいなんだけど)
これが現実逃避である事はわかっていた。脳内でひたすらどうでもいいような事を考えていたが、メルがよからぬ気配でも感知したのかユーリの脇腹に肘を叩き込むまでそれは続いたのである。




