災厄の荊姫
白い森。周囲の景色を見てそれらを説明しろと言われたら真っ先にその言葉が思い浮かぶ。
とても静かな森だった。あまりにも白すぎてそこが冬の季節なのか、一年中雪に覆われた世界なのかはわからない。けれど森以外の景色が見えるようになると、それは別に葉が落ちて更に雪が降って全てが白くなった木というわけではないという事に気付く。
地面に雪は積もっていない。時折吹く風は、シャラシャラと音をたてて葉を揺らした。
よく見ると周囲の木々は幹も枝も、葉さえも全てが白かった。
森の中だとばかり思っていたそこは、よく見るとどうやら違ったらしい。
木々と同じように白く長い何かが地面に穿たれていたが、これは木ではなく荊のようだ。太く長いそれらはまるで周辺を自由に暴れまわったかのように広がって、道を塞いでいる所さえある。
民家に突き刺さっている荊もあった。やや遠くの方には城が見えた。そちらにまで荊は伸びていないが、その手前にある屋敷のいくつかには荊が及んだのか所々崩れている。
建物は荊の被害以外特にないようだが、人の気配は一切なかった。荊のせいで逃げ出した、というよりは無人になって長い時間が経過したようにも見える。
荊の発生源がどこなのか。疑問に対して視界が上へと移動した。俯瞰して見てユーリは誰の視点だったのかをそこで知る。
西部劇の中で出てくる令嬢が着ているような衣装。薔薇色の髪を上で纏めた活発そうな少女。瞳の片方には女神と出会い力を授けられた証でもある刻印が浮かんでいた。
蒼碧のパラミシア本来の主人公、マチルダの姿に間違いない。今見せられているのは、女神が知る蒼碧のパラミシア。やがてゲーム画面と同じような視点へ変わる。マチルダが荊の中心であろう場所へ行くと、そこには白い棒のようなものがあるだけだった。棒、というか崩れた柱の一部というか。白いそれは途中で砕けたのか周囲には破片が散らばっている。
マチルダがそれを見てどう思ったのかは知らない。調べようとして、けれど何の情報も得られずに終わる。
少し遅れてゲーム画面そのものに完全に変化して、メッセージウインドウが表示される。
「………………」
マチルダの顔グラフィックとともに表示されているものは、沈黙だけ。ゲームのプレイヤーならば、何と思っただろうか。せいぜいが何だこれ、で終わるような気しかしない。
何か他に情報はないのかと思ったが、そこで場面が暗転した。
今見ていたものなんてなかったとばかりに元の視界に戻る。
「メル……?」
「妾の知る荊姫についての情報じゃ」
少し前を行っていたグラナダやテロスに聞こえないよう小声で告げられたが、ユーリはそれをすぐに理解できなかった。
「場所は旧王都。妾たちがこれから目指す場所じゃ」
旧王都があるとされているグリシナ大森林。だがそこに辿り着いた者はいないと言われているため本当にあるかどうか定かではなかったが、メルが見せたものによるとそこは既に人が住む事のない旧王都なのだろう。
けれど、荊姫なんてあの場所にいただろうか……? 白く結晶化した荊があったのは見たけれど、人の姿をしたものなんて……
「え、まさか……」
「そうじゃな。そのまさかじゃ」
ゲーム雑誌で見た対談記事が蘇る。荊姫はいたけどいない。つまりそれは、原作開始時に既にいないという意味であったという事か。
グリシナ大森林を踏破して旧王都にやって来るようになるにはマチルダのレベルも仲間のレベルも相当高くないと駄目なんだろう。けれど、その先にある旧王都にそう何度も足を運ぶプレイヤーはいるだろうか? 人里離れ隠遁生活を送っている賢者がレアなアイテムを売ってるとかならともかく、先程見た光景にそんなものはなかった。ただ、遠い昔に死んでしまった都市があるだけだ。
特に何があるでもないと知ればプレイヤーは多分もう来ない。アイテムもなくイベントも起こらないのであれば、多分一度来てそれっきりだろう。
メルが見せたのは蒼碧のパラミシアでのシーンだ。調整神とやらに知らされた情報がそうであるならば、その手前で荊姫がどうしてそうなってしまったのかを知る事はできないだろう。未来を見る能力があるならメルはもっと上手く立ち回っているだろうし、過去を見る能力があるならば先程の光景だけを見せる事もない。
ギルドの者が森へ行くのを見たというのが確かならば、彼女もまた旧王都へ向かっているのだろう。何のためにかは知らないが。
考えてみてもユーリにはそれらしい理由なんて浮かばなかった。
「思ってたより魔物と遭遇しませんね……?」
最初の頃より警戒した様子を薄れさせたグラナダが周囲を見回し呟いた。時折見かけた薬草を採取してはぽいっと背後のカゴへ放る。サフィールが見たらもっと丁寧に扱ってと言いそうだがこの場にその本人はいないので、グラナダを注意する者はこの場にいないも同然だった。
「言われてみるとそうだね。ここ、かなり魔物が多いって話はよく聞くしたまに探索に入るギルドの関係者も奥に行くには相当準備しないと駄目だって言ってたのに。準備して尚、途中までしか行けないのにボクたちはここまで魔物と遭遇してないし、順調すぎる」
たまたま運良く魔物と遭遇しないという事は場所によっては多々ある。けれどこういった魔物が多く出現するとわかりきっている場所でそうなるというのは、不信感しかない。
「ある程度奥の方で待ち構えてる可能性も考えておいたほうがいいかもね」
簡単に逃げられない所まで踏み込んだところでようやく襲い掛かって来る。そういった魔物もいるのは事実。すっかり警戒心が薄れたグラナダに「特にキミ」とテロスが言い放つと、その可能性に気付いたグラナダはわかりやすく肩を跳ねさせた――直後。
どぉん、と大地を揺るがすような轟音が響いた。
「ひょわっ!?」
狙ったかのようなタイミングすぎて、グラナダの身体は文字通り飛び跳ねる。
「今の音、割と近かった気がするね。どうする? ユーリシア」
「どうって……」
テロスの言っている意味は、近づくか遠ざかるかの二択だろうとは思う。咄嗟の判断に迷い助けを求めるようにメルへ視線を向けると、小さくではあるが頷かれた。音がした方向はどうやらこちらの進行方向でもあるらしい。
「なるべく気配を消した状態で近づいて様子見、かな?」
いきなり突っ込むような真似はしたくない。やらかした結果勢いよく大怪我をしました、なんて展開になれば目も当てられない。
「そう。じゃあ行こう。一応ボクとグラナダで先行するから、ユーリシアはメルと一緒に少しタイミングずらして」
「えっ、わたしも!? わたしも先行する側です!?」
「キミちょこまか動くの得意なんだから、そりゃそうなるでしょ。それとも何? ボク一人で行けとでも?」
「うぐぅ、それはそれで大惨事の予感……!」
軽口にもとれるやりとりをしつつ、先に動いたテロスを追うようにグラナダが小走りになる。全員一緒に行かないのはあの音の正体がまだ判明していないのもそうだが、もし向かう先に何者かがいて穏便に済まない状況であった場合一網打尽でやられる事は回避できるだろうと判断してか。
ちょこまか動く、という点ではガーゴイル戦でメルも同じようなものだったがテロスがメルではなくグラナダを連れていったのは、何かがあった際ユーリとグラナダの二人だとパニックにでもなったらなし崩しにやられると思ったからだろう。ここ数日で思ったがテロスのメルに対する評価は何気に高いとユーリは見ている。
音が発生していた方向へ近づくと、どぉん、どぉんと連続した音が更に聞こえてきた。爆発音のようにも聞こえるし、何か大きな物で地面を叩きつけているようにも聞こえる。
先行していたテロスとグラナダの背中がギリギリ見える程度の距離が開いていたが、二人が立ち止まり、それからすぐに身を翻してこちらへやってきた事で思わずユーリは足を止めた。
「戦闘中みたいだけど、どうする?」
「簡潔すぎてわけがわからないよテロス。もっとこう、幼女に説明するがごとく優しさを持とう?」
「確かにそこに幼女はいるけど、頭の中まで幼女ってわけじゃないだろう。多分魔物がこっちに来なかった理由はあっちに集まってるからだと思うんだけど……遠回りになるけど迂回して進む? それとも加勢に行く?」
誰が戦闘中なのかはわからないが、最初に見捨てる選択肢を持ってきたあたりテロスとしては関わりたくないのだろう。テロスがそう判断したのであれば、相当面倒な相手である可能性が高い。
グラナダへ視線を向けると僅かではあるが青ざめていた。
「もしかして、さっき言ってた災厄の荊姫?」
「さぁ? ボクは災厄の荊姫とやらを直接見たわけじゃないからあれがそうなのかまでは」
「いやあれどう考えてもご本人じゃねーですか。あれで人違いとか言われたら逆に怖いんですけど!?」
即座にグラナダが突っ込む。グラナダも直接見た事はないそうだが、その彼女がどう見てもご本人というのであれば見た目からしてそれっぽい感じの人物がこの先にいるという事だけは理解できた。
「…………行こう」
できる事なら厄介事には首を突っ込みたくない。けれどこの先で一人で魔物と戦っている人がいて、手を貸す必要もなかったにしても見なかった事にするのも何となく落ち着かない。
向こうがこちらをどう見るかまではわからない。居合わせた者全てを敵として倒そうとするような相手だとしたら一気にこちらが危険になるが、その時はその時だ。
ユーリの下した判断に顔をひきつらせたのはグラナダだけだった。だが特に文句を言ってくるでもないので、彼女自身見捨てるというのはどうかと思ったのだろう。
どぉん、と何度目かわからない音がする。近付くにつれて空気がびりびりと震えているような気さえしてくるが、そこに混じってかすかだが声がした。女だ。
先程テロス達が足を止めた場所までくると、まだかなり距離があったが森の中を縦横無尽に駆け回り、時として飛び跳ねる狼たちと戦う女の姿が見えた。彼女の背後からは触手のように太い荊が何本も出現して、それらが各々意思を持っているかのように狼たちに振り下ろされていた。どぉん、という先程から聞こえていた音は荊が狼を地面に叩きつけた時の音らしい。撲殺なのか圧死なのかわからないが、彼女の周囲には既に数十匹は動かない狼が転がっている。
お……おぉーん!!
数が減ると生き残っている狼が遠吠えをあげて仲間を呼ぶ。どうやら先程からそれの繰り返しらしい。
「ふふ、もう何度やったって無駄なんだからいい加減諦めてよぉ……っ!」
対する女は泣いていた。震える足を強引に押しとどめ倒れないように叱咤して、いやだいやだと首を横に振る。増援された狼を荊が薙ぎ払う。
「ほら、ほらね……っ、仲間が増えても同じなの。さっきから同じことの繰り返しなんだから」
泣いていたが、笑ってもいた。彼女本人の様子を見るとただひたすらに怯えているだけだが、背後から出現している荊は容赦なく狼たちを屠っていく。
放っておいたらこの森の狼全滅できるんじゃないかな、と思ったがそれより先に女の精神が崩壊しそうにも見える。
「なんか凄まじく泥仕合感あるからボクとしては関わりたくないんだけど」
割と酷い事を言っている自覚はあるらしいテロスに、一瞬納得して頷きかけて――
「いやでもあれ放置はちょっと流石に……」
人としての良心が疼いた。破壊するのが楽しくて仕方がない。そんな雰囲気であったなら放置でいいかなと思うのだが、あれは恐怖しすぎて笑うしかない状況に陥っている。荊が彼女を守っているようなものだが、あれがなければとっくに死んでいるだろう。
「そう言うだろうなとは思ったよ。仕方ないね」
肩をすくめてそう言ったテロスの言葉にかぶせるように、またもや遠吠えが響いた。