森林浴は命懸け
「そこに行けば確かにあるわ。えぇ、確実。けれどそうね、貴女、そこに辿り着けるかしら?」
魔女が嗤う。少女に向けられた感情は、嘲り、憐憫、悪意。けれど少女は気付かない。
限界が近づいていた少女にそれに気付けるだけの余裕は既になかった。
「行く……行ってみせる」
「そう。精々頑張りなさいな。貴女の望みを叶えるために」
それだけを言うと魔女は消えた。ゆらり、と陽炎のように。空間を跳ぶ術は魔力の消費が大きいと聞く。それを使えるからこそ魔女であるのか、それとも単に姿だけを消したのか。少女に判別はつかなかったがそれでも。
「ようやく、終わる。解放される……!」
示された道は、確かに希望だった。
その言葉だけを頼りに広大な大陸を移動して、目的の場所が近づいてきたと思った頃には既に年がかわっていた。少女は最早少女と呼ぶような年齢を過ぎて、一人の女性として見られるようになっていた。
彼女は本来ならば今頃はきっと親の決めた婚約者と結婚して、既に子を儲けていたかもしれない。けれど彼女は一人だった。生まれ育った故郷にはいられなくなった。居てはいけなくなってしまった。
母は最期まで彼女の事を愛してくれていた。父は……どうだっただろうか。愛してくれてはいたはずだ。ただ、父には父の責務があり、娘の為に全てを、というわけにもいかなかった。幼いながらにそれはよく知っていた。だからこそ、父の事は恨んではいない。恨むはずがない。
父が恨んでいる可能性はあるかもしれないが。
いや、最後に見た父の顔にはそんな感情なんてなかった。それどころか、そうするしかないという事に対してとても悔やんでいるようでもあった。
彼女の身に降りかかった呪いが解けたなら、せめて父に顔を見せに行けるだろうか。事実上の追放を受けた身だ。呪いが解けても故郷には入れないかもしれない。もし、仮に受け入れてくれたとして。
もうお互いあの頃のままではないのだ。今更どうやって接していけばいいのだろう。
「あぁ、でも」
呪いが解けるならば。解けたならば。
少なくとも孤独からは解放される。きっと。
グリシナ大森林。中心に旧王都があると言われているが実の所真相は確かではない。アナトレー大陸最大の森であり、広大ゆえに動植物も多数見受けられているようだが内部の探索は未だ終了していないからだ。
内部がどうなっているかわからないからこそ時折ギルドでも探索クエストというのが行われるが、参加者は驚くほどに少ない。ハイリスクハイリターンならばまだいい。しかし今の所はハイリスクローリターンなのだ。危険度ばかりが高く、見返りは少ない。最悪命すら落とす事もあるのに報酬はそれに一切見合わない。そんな依頼を受けるのは、一部の物好きかまたはこの森に何かを見出している者だけだろう。
ゲーム内でのグリシナ大森林は行こうと思えば序盤から行く事ができる。だがしかし、一周目プレイの序盤で行こうものならロクな装備もない状態なので森の中で最初にエンカウントした敵に大抵瞬殺される。
前世のユーリもまさにその洗礼を受け、二周目プレイの中盤あたりで再度挑んだものだがやはり瞬殺された。
あのマップどっかで無限ループ入ってない? と言いたくなるような続く同じ景色。そしてやたらと高いエンカウント率。森の中なので出てくる敵は獣や植物系の魔物が多いが、問題なのは獣タイプの敵だった。
蒼碧のパラミシア、地名や人名はそこまでおふざけだと思うようなものはないのだが、魔物の名前はスタッフ手を抜いた? と言いたくなるようなものが多数あった。中でもグリシナ大森林で出現する獣タイプの魔物、【森の狼さん】は名前も見た目もメルヘンみを感じるが、見た目に反して強敵である。
どこかゆるキャラを彷彿とさせる外見のわんこ……ではなく狼は、森の中を縦横無尽に駆け回り遠吠えで仲間を呼び連携して攻撃してくる。素早さもかなりのものだが、何よりも困るのはほぼバックアタックを仕掛けてくる事だ。そのせいで1ターンは無防備に攻撃を食らう。そして連携して集中攻撃をしてくるので、運が悪いと体力の低い仲間はそこで倒されてしまう。
これらを纏めて倒せるだけの実力があるならいいカモになるのだろうけれど、生憎ユーリがプレイしていた前世ではそこまでに至らなかった。
とりあえずあの見た目がもうちょっと強敵っぽければ警戒度合いも上がるのだが、どうにもあのわんこがでれっとした笑みを浮かべたような顔は緊張感が薄れる。森の狼さんに全滅させられた後で、兄がこつこつ作成してたツクール製のゲームを見せてもらったが、そこに出てた敵素材の狼の方が余程強敵に見えたというのにパラメーターを見ると全然そんな事はなくて何とも言えない気持ちになったのは覚えている。
そんな敵の思い出が苦く残る場所に、ユーリたちはとうとう辿り着いてしまったのだ。
「何かその場のノリで来ちゃったけど……本当に大丈夫かな……?」
ゲーム知識のせいでこの場所はロクなアイテムもないくせに強敵ばかりが出る場所、という風に思っているせいでユーリの声は固い。
「まぁ、危険だと判断したら即時撤退するべきだろうね」
何を今更、とばかりにテロスが言う。撤退か……できるといいね。思わずそう言いたくなるのも無理はない。
「確かにここの魔物は他と比べて手強いのが多いと聞く。じゃが、油断しなければどうにかなるじゃろ」
メルの言葉がとても軽い。メルは女神なのでいざとなれば何かこう、凄い力を発揮してどうにかできそうではあるのだが、そういうのフラグって言うんだぞという考えも同時に浮かぶのでユーリは何とも言えなかった。
「この辺りギリギリまでならまだ安全ですけど、森の中はギルドの人の話聞くだけでもかなりヤバいみたいですからね。退路の確保はちゃんとするべきだと思うです」
あまり大きくはないが背負うタイプのカゴを持ち、グラナダ。グリシナ大森林の中でこの周辺であまり採れないタイプの薬草があれば採ってきて、とサフィールに言われたが故の装備だった。
グリシナ大森林の中で採れる薬草は王都から離れれば採れなくもない、というのもあるらしいのでどうしても無理ならそちらまで足を運べばいいのだが、採れるならここで採ってきてくれると手っ取り早いというのがサフィールの言だ。
こうして今回グリシナ大森林へ行くメンバーを見ると、遊び半分でピクニックに来た子どもたち、という風にしか見えずユーリの不安は一層高まった。
「そういえばここに来る前に一応他にも薬草採取依頼とかあったらその辺も採取しとこうと思って確認してきたんですよ、ギルドに」
森の中はまだ入ったばかりという事もあり、思ったよりは明るい。もっと昼なお暗い、というのを想像していたがそれはもう少し奥へ行ったらだろう。このあたりはまだ普通の森に入った時と同じ感じしかしない。だからといって油断はできないけれど。
「そうしたらたまに挨拶する程度のギルドのおっさんが血相変えてましてですね。何事かと思って聞いたら災厄の荊姫を見た、とか言うんですよ」
「ふーん、たまに聞くけど見たって事は王都の近くに?」
「それが……グリシナ大森林に入っていくのを見た、だそうです」
「は……?」
テロスの足が一瞬止まる。流石にこんな場所で暢気に立ち話をするつもりはないのですぐに足を動かしたが、その表情は明らかに「うっそだろ……お前……」と言いそうな顔だった。
災厄の荊姫。
蒼碧のパラミシアでそんなのいたっけ? ユーリの感想はその程度だった。全く記憶にない。グリシナ大森林で遭遇する敵であるならどっかでその話が出ていてもおかしくはないはずだ。
けれどもさっぱり聞き覚えのないという事よりも荊姫、という部分が気にかかる。
童話モチーフのキャラクターは何人かいる。今一緒に行動しているグラナダもそうだ。他にもまだいるし、そのキャラは覚えている。けれど、荊姫に該当するキャラはいなかったはずだ。
ネフリティスのように原作開始時間軸の時には既にいないキャラ、という可能性が高いがそれでもその名前を誰か他のキャラが口にしていたかどうかはわからなかった。
いや待て。ふ、とそこで思い出す。攻略サイトではなくゲーム雑誌のスタッフの制作秘話みたいな対談記事で確かそんな単語があったような……?
童話モチーフのキャラが複数名いるとはいえ、全てを網羅したというわけではない。確かそこでどういう基準で選んだのか、とかそういった話題になっていたような。
そこで荊姫という単語を見た……ような。
何せ前世での事。こちらに転生してもうじき15年。ゲームの対談記事はゲームが発売して半年ほどの頃だった気がするので、流石に細かい部分を覚えてなどいられない。それでなくともそこら辺の記事は流し読みしていた。
確か、そう……荊姫はいたけどいないという返答があった、ような。それは開発途中で削られたエピソードなのか、ゲーム開始時点でいない、過去にいたという意味なのか。どちらともとれる返答だったため次回作が今作の過去にあたる時間軸なら登場するのでは? というような推測も出ていたように思う。
原作開始時にいないにしろ削られたエピソードにしろ、今のユーリにそれらを知る手段はないのでここでその災厄の荊姫とやらに遭遇したとして、どうするのがベストなのかさっぱりだった。二つ名からしてボスっぽい。何か無駄に強敵な感じがする。
メルへとそっと視線を向ける。災厄の荊姫という言葉にメルは特に何も反応しなかった。知っているのかいないのか、その反応からわかるはずもない。物言いたげなユーリの視線に何を思ったのか、メルは少し逡巡した上でそっと手を繋いできた。
ぐにゃり、と一瞬だけ中身をかき混ぜられたような不快感。何らかの魔力干渉が行われた事は理解した。声を上げそうになるが何とか堪える。
ふ、と目の前の景色に重なるように別の風景が見えた。メルの仕業であるという事は確かで。
慣れない感覚、見せられている景色は徐々に鮮明さを増してきたが恐ろしく集中できなかった。
「ちょっとメル……一体何を……」
かろうじて出した声が、酷く掠れている。
「すまぬ、加減を少々間違えた」
慌てたように握られていた手の力が更に増す。精神的な痛みなのか肉体的な痛みなのかわけがわからないまま、とても嫌な汗をかきそうになった所で。メルの言う加減とやらが丁度いいものになったのか、何事もなかったかのように不快感が消える。
そうして見えてきた風景は、先程よりも更に鮮明だった。




