簡単な解体スキルはこの世界では必須
その部屋は他と比べると異質であるとも言えた。だがしかし使用目的を考えると異質というのも違う気がする。仲間たちと一緒に過ごす星見の館に例えば拷問部屋なんてものがあれば確かに異質だと言えるけれど、ここはそうではない。例え、うっかり壁に血が飛んだりあまつさえ匂いが染みついていたとしても。
床に血だまりが広がっている。台の上からぽた、ぽたと滴って、気付けば随分な量になっていた。
飛んだ血が自分の顔にもかかっている事を自覚していたユーリはそれを手で拭いたい衝動に駆られていたが、自分の手はすっかり血に染まっていて。
(あぁ、服も靴も、随分と汚れちゃったな……)
呆然と、そんな事を思っていた。
「もうね、何が酷いって、色々と酷いの! 何もかも!!」
幸い着替えがあったので血に染まりに染まった服は現在洗濯に出しているが、先程風呂から出たばかりだというのにまだ匂いが染みついている気がしてユーリは思わずそう叫んでいた。
別に匂わないけど、と言ってくれたサフィールが本当に心からそう思って言っているのか、それとも気を遣っているのかは微妙な所だが、露骨に顔をしかめたりしないので大丈夫なのだと思いたい。
「こっちからしたらいくらアイテムボックス持ちだからって、今まで倒した魔物の解体しないでそのまま突っ込んでたって方が酷いと思うです」
濡れた髪をタオルで乱暴に拭いていたグラナダの方がサフィールよりも反応は露骨だった。
この世界でのお金の稼ぎ方は前世とそう変わらない。仕事をして給料を貰う。それ以外だと魔物を倒して得た素材を売ったり、得た魔石を売ったり。それらの材料を加工して作り出した物を売ったり。
しかし流石に倒した魔物をそのままの状態で売るというのは滅多になかった。毛皮なら下手に剥がしてボロボロにするよりそのまま見て品質がわかるからまだいい。とはいえ、引き取るならそこで解体料も発生するが。
しかしパッと見でわからない魔石などはどうしたって解体して回収しないといけないわけで。
解体を生業とする者もいるが、それなりの料金が発生するのだ。ならばとそれを浮かそうと自分で解体する者はそれなりにいる。
高価な素材が得られる魔物なら、専門家に頼んで解体してもらってもそれなりに利益になるが、そうじゃない魔物まで頼んでいると得られる金額は雀の涙程度だ。だからこそ、ユーリも故郷を出てから遭遇して退治した魔物は自力で解体していたのだが。
思った以上の数があった。かつてゴードンから魔物の解体の仕方は教わってはいたが、それにしたって今まで実行したのは一度の解体で精々二、三体だ。それ以上の数を捌くとなると、途中から刃物は血で滑って上手く切れなくなるし、手にも力が上手く入らないしでやればやるほど失敗しているような気がしてくる。倒したその場で解体していると血の匂いに惹かれて他の魔物が寄ってくる事もあるから、やるのであれば邪魔の入らない場所で、ともゴードンは言っていたし、倒した魔物はそのままアイテムボックスに入れておけば内部の時間は停止する術式がかけられているので腐敗の心配もない。
だからこそ、後でまとめてやろう。そんな気持ちで開始したのだが……色々と酷い目にあった気がする。
解体を手伝ってくれたグラナダもユーリ以上に血塗れになっていたが、彼女の方が余程手慣れていた。
……好感度を上げて見られるイベント(スチル付き)でも血塗れになってたし、刃物の扱いが上手いのは知っているとはいえ、それはそれでちょっとどうかとユーリは思っている。
「でも、ここ解体室まであるのか。少し驚いたわ」
我関せず、とばかりに一人紅茶を飲んでいたネフリティスがこちらへと目を向ける。
「浄化水晶あったですよ。そういう意味では掃除の手間が省けて助かるです」
ゲームではそもそも解体室なんてなかった。魔物を倒せば素材はドロップされてそのまま所持アイテム一覧に追加されるし、場合によっては魔石も同様。それと倒した際に得られるお金。こういった部分はゲームでは省かれていたんだなぁ、としみじみ思う。
浄化水晶というアイテムも転生して初めて聞いた物だ。効果としては設置した場所の浄化をしてくれる、というアイテムだが基本的には解体室などに置かれている。次にあの部屋に入る時には血の染みも、匂いも何もなかったように浄化されているとの事だ。
解体屋にも一応はあるらしいのだが、物が少々高価でもあるため店によっては置いていない所もあるらしい。そういった店は限りなく外れの方にあるらしいが、店内に入ると匂いが酷い以前に入る前から漂ってくる事もある、とテロスが言っていた。
あとは、浄化水晶の大きさが店内とマッチしてなくて、浄化速度が追いつかない所もあるらしい。こっちは無い所よりはマシ、だそうだ。
今回はグラナダが解体を手伝ってくれたが、毎回手伝ってくれるというわけでもないだろう。彼女たちはあくまでも留守番要員としてここにいてくれるが、生活費まで出しているわけではない。そうなれば自分たちの生活費を稼ぐのを優先させるのだから、毎回当てにするわけにもいかない。
とはいえ、一人で解体していては時間がいくらあっても足りない。ならばわざわざ倒した魔物を回収しなければいいだけの話だが、資金源を見捨てていくのもどうかと思う。
当面の問題だな、と深く頷きつつ一旦その問題は置いておくことにする。
「まぁ、何をするにもお金が必要っていうのは世の常ね。確かに魔物から得られる素材って手っ取り早いけど、解体に関してがネックよね。希少な魔物なら逆に解体屋からやらせてくれ、なんて言ってくる事もあるみたいだけど、そんな魔物に遭遇することがそもそも稀だし……そもそも勝てるかしら?
薬草とか集めて売るのはどう? 一定の需要があるからコツコツやってれば確実といえば確実よ」
「えー? 一定の需要は確かにあるけどその分報酬少な目じゃないですかー。よっぽど珍しいやつならともかくここらで採れる薬草そのまま売っても一日かけて沢山採ったとしてもたかが知れてるっていうかー。こっちで薬として調合すればもう少し引き取り値上がりますけど……得意な人ならともかく苦手な人がやるとちっとも稼げねーです」
サフィールの言葉にすかさず反論したのはグラナダだった。確かに薬草やそこから作られる薬は大抵のものが需要有りなため、売れないという事はない。けれど品質次第では容赦なく金額は差っ引かれていくし、これもある程度の品質が作れなければお金を稼ぐというにはちょっと……となる。サフィールは薬の調合を得意としているので善意でユーリにも勧めてきたのだろうが、それだけで稼ぐとなると時間がかかりすぎる。
魔物退治しつつ解体して薬草を調合、というのが両立できればいいが、ゲームならどれだけ大量に調合しようが特に時間が進むような事もなかったが、今それをやればそれなりに時間が経過するのは言うまでもない話だ。
「お金を稼ぐって大変なんだね」
それはどこの世界でも変わらないんだな、と言いそうになるが流石にそこは口を噤む。
「そういえば、昨日チラッとギルドの依頼掲示板確認してきたんだけど、変な依頼があったのよね」
素材も薬草も大抵は引き取る店が決まっているが、時折ギルドに出されている依頼にそれらアイテムの入手というものがある。直接店に買いに行けばいいのにあえてそういう依頼が出る意味がわからないが、世の中変わり者というのはどこにでもいるものだし、もしくは大人の事情とかそういうものもあるのだろう。
「結晶樹の葉、枝、果実のいずれかの入手、とかいうのだったんだけど……そもそもそんなの聞いた事もないのよ。でも依頼に出すって事はそういうのがあるって事なんだろうけど……不思議に思ってギルドの人に確認してみたけど、ギルドの人もよくわかってないみたい」
「冷やかし依頼じゃねーんですか? 面白半分でやらかす馬鹿は一定数いたりしますよ」
「それがねぇ、依頼者が一応文献に載ってるから多分存在する、とか言ってたらしくて。冷やかしというよりは駄目元の依頼なんじゃないかしら。報酬は……そうね、私たち三人が細々と暮らしていくなら一年は問題なく生活できる程度の金額、って所だったわね。
そこから保存状態が良い、複数入手であれば報酬上乗せ、って書いてあったから金額だけ見れば美味しい依頼だとは思うんだけど……まずどこにあるかもわからないし、文献にあるっていっても今はもう滅んでしまって存在しない可能性もあるしで、現実的に考えると美味しい依頼ではない、ってやつだったわ」
「でも、そういう依頼であっても一定数の誰かは張り切って探しに行くんだろう? 夢とか浪漫を追い求めるのにはうってつけじゃないか。まぁ、早々に現実に打ちひしがれそうだけど」
ネフリティスが呆れたように言うが、確かにいそうではある。前世、世界のどこかに隠された財宝を求める少年漫画があったな、と思い出す。読んでいたが、確かにあれはワクワクした。途中からあまりにも長編すぎていつ終わるんだろう……作者が生きてる間に終わるんだろうな本当に……と別の意味でドキドキしたが。
ユーリも結晶樹なんてあったかな、と蒼碧のパラミシアで手に入る素材アイテムをざっと思い浮かべてみたが、少なくとも記憶にはない。浄化水晶のようにゲームにはないけど転生したら名前が出てきたアイテムの可能性の方が高いな、と判断する。
「結晶樹とかまたマニアックな……報酬が確かにいい感じかもしれないけど、採りに行く苦労を考えると微妙だね」
「えっ、テロス知ってるの!?」
「まぁね。けどお勧めはしないよその依頼。ボクが知ってる結晶樹のある場所はノトス大陸だし、更には何年も前に砂の海に沈んでるから」
その言葉に即座に理解した。船に乗って南の大陸に行っても砂の下じゃ、そこまで行けるかどうかも疑わしい。
「別にノトス大陸まで行かんでも普通にあるじゃろ。近場に」
メルが言う。あまりにもあっさりと言われたせいで理解するのが遅れたが、その場にいた全員がほぼ同じタイミングでメルに視線を向けていた。
「あるですか!?」
「え、ちょっと嘘でしょ? 近場にあるならギルドの誰かは知ってそうじゃない」
「えぇと、念の為確認するよ? 見間違いとか思い違いとかじゃないかな?」
「この大陸確かに広いから探せばありそう、とは思ってたけど……近場?」
「ちなみにメル、それってどこにあるの……?」
グラナダたちは文献に載ってただけというある意味幻の存在が身近にあると言われて驚いていたが、ユーリだけは少し反応が違った。近場。何だかとても嫌な予感がする。
「旧王都。グリシナ大森林じゃな」
グリシナ大森林。ゲームでは敵が強すぎて一度足を踏み入れたけど早々に撤退してそれ以来行っていない場所だ。攻略サイトでチラッと見た情報でもそこには特にこれといったお宝があるわけでもないし、敵は強すぎるしでもうちょっとレベル上がってからならレベル上げに来るのもいいかもしれない、とは思っていたが結局あれ以来二度と行く事がなかった場所。
王都に来る途中で視界に入ったけれど、実際に行く事もないんだろうなぁと思っていた場所。
今まさに、そこへ行くフラグが立とうとしていた。