優しさは時に切なく
「雨か......」
「何で帰るときに丁度降り出しちまったんだろうな......」
授業も終わりみんな帰った後、俺は傑と一緒にただぼうっと窓の外を眺めていた。
もう少ししたら止むんじゃないかと思っていた期待とは裏腹に雨脚はどんどん強くなっている。
「止みそうにないな。」
ぽつり口から言葉が漏れる。
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毎年やってくるこの季節。この頃は連日シトシトと雨が降ったり止んだりしている。
人によって雨の感じ方は違うが俺は割と雨が嫌いではない。
何というか雨は見ているだけだと飽きるし、音を聞きながら読書をしてもじきに気にならなくなってしまうのだが、外を眺めながら音も聞いて......としていると自然に時間が経ってしまうのである。
それに俺にとっては雨というとあの日の思い出の方が鮮明によみがえってくる。
ちょうど時期もこの時期だ。
ぼんやりと雨が滴るのを眺めているとため息の一つも吐きたくなってくるものである。
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「またお前しかめっ面になってるぞ。雨見てストレス感じるとか梅雨時期生きていけないだろ。」
「大丈夫。お前の思ってるほどストレスは感じてないさ。もしもそうだったら今頃ハゲてる。」
「違いねぇな。」
そんな会話をしながらクスクスと笑う。
しかしそんなに変な顔をしているだろうか?だとしたら俺の悪い癖だ。考えないようにはしているのだがついつい自分の世界に入り込んでしまう。
「トシ。」
「ん?」
「小日向さんのこと好きだろ?」
窓枠にもたれかかっていた体がビクッと脊髄反射のように起き上がり、自分の世界に入りかけていた心は一気に現実に引き戻される。全身から冷や汗が湧き出て目は驚きで見開いたまま瞬きすることも出来ない。
「違うよ!」
「お前、その反応で良く違うなんて言えたな。」
「その反応って......どの反応だよッ!!」
頭が冷静さを失って半分パニック状態になっている。
これではまともな会話も出来たものではない。
とりあえずリラックスリラックスひっひっふー。
「って冷静になんてなれるかー!!!」
「思った以上のリアクションだ。一人コント見てるみたいだぜ。今度は本人の前でやろうかな......?」
「お前それやったらアレだからな!地獄の底まで追いかけてスネ毛にガムテープ張り付けまくってやるからな!?」
「実際にやられそうで怖ぇよ。」
段々と頭が落ち着いてきた。
頭から蒸気が噴き出してくるかと思うぐらいには驚いた。
「まさかバレていたとはな。」
「むしろあんなに分かりやすいのにバレてないとでも思ってたのかよ。小日向さんは俺よりも勘は鋭いから気づいてるかもしれないな。」
「嘘......だろ?」
「これは正直分からん。」
「そこは思いっきりホントって言った方がむしろ嘘っぽいのに何でそんな本気っぽいこと言うんだよ。」
小日向さんにもバレているかもしれないだと......!?
それだったら今までの俺の行動はそういう風に見られていたのか?
いや......ありえるかもしれない。なんたってあの小日向さんだ。俺達には想像もつかないようなことを頭の中では考えているかもしれない。
百歩譲って傑にバレるのは良い。コイツとは十年来の腐れ縁だ。もはや俺のことを俺以上に知っている、いや、勝手に知られていると言っても過言ではない。
しかし小日向さんに知られているのはマズイ!
「どうしよ......!」
「考えるのはお前の役割だろうが。そこで思考放棄されても俺は知らんぞ。」
「それも......そうだな。」
ダメだ。まだ冷静になり切れていない。
それに連日の疲れでスイッチもまともに切り替わらない。いや、これはスイッチの問題ではなくて恋愛の話だからか!?これまでまともに人と会話しようとしてこなかった俺が悪いのかもしれない!
どうすればいい!
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「どうかしたんですか?」
教室のドアが開くと同時に聞こえてきたその声に俺と傑が驚いて振り返る。
小日向さんだ。
「まだ帰ってなかったんですか!?」
「ちょっと職員室に用事があって......何でそんなに慌ててるんですか?」
「あ、いや、まぁ、別に......」
言葉を濁す。
慌ててはいてもここで本当のことをしゃべるようなヘマはしない。
「あ、俺もう帰らなきゃヤバい!じゃあな!!あ、あと傘借りてくから!!」
「おい、ちょっと待っ」
傑が光のようなスピードで駆け出していく。
俺が傘を二本も持っていないことは知っているだろうに......!
そもそも傑が傘をもっていないというから一緒に雨が止むのを待っていたというのにとんだとばっちりである。
これは俺に気を利かせてやっているのか!?それとも俺を困らせるためにやっているのか!?
「行っちゃいましたね。」
「あぁ、そうですね......」
「傘二本持ってたんですか?」
「持っているわけないでしょう......」
拳を堅く握り心に決意を固める。
明日会ったら本格的に口喧嘩で罵倒して二度と地に足着けて歩けなくしてやる。
「私、傘持ってますけど一緒に入ります?」
「え!?いや、あー......良いんですか?」
「もちろんですよ。」
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小日向さんの傘は少し小さめで柄こそついていないものの女の子らしさを感じるような薄い青色の傘だった。
「濡れてしまうのでもう少しよって下さい。」
「アッハイ。」
少し近づきすぎたか?距離感が分からない。
いつの間にか小日向さんを傘の中から押し出してしまっていたようである。
もう少し離れた方が良いのか?俺は少し濡れてしまっても大丈夫だから別に気にせずに傘からはみ出ても良いのだが。
「そっちじゃなくてこっちです。」
小日向さんが腕をクイッと引っ張る。
瞬間、俺の肘が小日向さんの肩に触れる。
一瞬ビクッとなってしまったがそれは気づかれてない......みたいだ。
「風邪になったのを私のせいにされても困りますから。」
「仮に風邪をひいたとしても小日向さんのせいにはしませんから。その時は傑のせいにします。」
「よくよく考えてみたらそうかもしれません。」
小日向さんが納得したという顔で言った。
呼吸の感覚や心臓の鼓動の音でさえも分かりそうなぐらい近い。少し濡れて水の滴る髪の毛、足に擦れてしまいそうな制服のスカート、少し湿り気を帯びた変わったばかりの夏服。そのすべてがはっきりと、意識しなくてもくっきりと見える。
鼻息が荒くならないようにとか、汗が出ないようにとか妙に色々な事を自然に意識してしまう。緊張と高揚感で傘を持っている右手が震えてしまいそうだ。
こんなに意識してしまうのは傑と話した会話のせいだろうか?それともこんなに距離が近いからだろうか?多分どちらもだろう、なんてことを考えながら気を紛らわせようとする。
「あの、小日向さん。」
「はい?」
「何でこんなに親切にしてくれるんですか?」
思わず疑問が口から出た。
友達というのもあるだろうが小日向さんだって異性と相合傘するのは抵抗があるだろうし、恥ずかしいと思うだろう。なのに小日向さんは嫌な顔や恥ずかしいという様子もなく自然な形で接してきてくれている。
ただ単に好奇心だった。
小日向さんは少し考えるそぶりをして口を開いた。
「困っている人が居れば助けてあげなきゃいけないと思うから......ですかね。悲しんでいる人が居れば慰めてあげなきゃいけないと思うし、苦しんでる人が居たら楽にしてあげようと思う。頑張ってる人が居れば応援したくなるし、何かしてもらったらお礼がしたくなる。喜びたい時にはその喜びを分かち合える存在でありたいし、怒っている時には愚痴を聞いてほしい人でありたいと思う。ちょっと重たいかもしれないけれどそういう性格だからしょうがないというか......そんな答えでは駄目ですか?」
思い返してみれば彼女の行動にはいつも優しさがあった。
誰かの為に本気になろうとするし、たまにそれが空回りしてしまうけれどそれもひっくるめて素敵な人である。
「良いと思います。とても。」
きっと彼女は俺が失ってきたいくつかの気持ちを持っているのだろう。
それは多くの人がもうこの頃の年頃になると失ってしまったもので、子供の頃の輝いていた心を象徴するようなもので、そして子供への羨望の根源にあたる部分なのだろう。
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結局、バス停の前で「ここまでで良い」と言ったのに俺の家まで来てしまった。
「ありがとうございます。こんなにしてもらうつもりではなかったんですけどね。」
「いえいえ。これで気持ちよく家に帰れます。」
小日向さんが胸を張って鼻を高くしながらそう言った。
俺が別れを告げて家の中に入ろうとした時、小日向さんは「あ、そうそう。」と思い出したように言った。
何の事だろうと思いながら振り返る。
「私、誰にでも親切にできるわけではないんですよ?」
それではまた明日、と言う言葉と共に小日向さんはスタスタと歩いて行ってしまった。
俺はその言葉を反芻するようにしながら自室へ入り、その言葉の意味を吟味しながら一人悶々としながら夜を明かし次の日には風邪を引いていたのであった。
今回書いたのは雨の日ならではのエピソード、一度は青春のうちにあってほしかった相合傘でした。
はー、佐々木君が羨ましいので次回は風邪になったところからスタートです。
汗をかいたり雨に濡れたりしたときには必ず処理を怠らないようにしましょう。
雨の多い季節なので体調には十分に気を付けましょうね!