雑談・常世神
帰りの新幹線の中でアマリ会長が不意に言い出した。
「常世神って知ってるかな」
「あれですよね。秦河勝が弾圧したという虫を祀った神」と私。
「ああ。富士山のふもと、富士川の流域から始まった新興宗教だ。皇極天皇のとき、大生部多という人物が虫を祀る信仰をはじめた。その虫を祀れば貧乏人は富が得られ、長寿になり、あるいは老人が若返る、と宣伝した。これが大流行して、民衆はこぞって財産を投げ出し、酒や家畜を献上した。献上品がついには道にまではみだしたという。田舎でも都会でもこの虫をありがたがって、綺麗な敷物に乗せて歌舞音曲で供養したそうだ」
「それは凄い! 本当に神様扱いなのね」
感嘆するメリーさんである。
「でも、実際にはただの虫だ。あがめたところで何が起きるわけでもない。さがに朝廷も放置は出来ない。京都にいた秦河勝が特使として出かけ、大生部多をひっくくって鞭打ちの刑にした。配下のカンナギたちもこれには怖れをなして虫を祀るのをやめたという」
澪さんがその頃に詠まれれたという歌を小声で披露した。
「『うずまさは、神とも神と聞えくる、常世の神をうちきたますも』。『うちきたます』というのは打ち据えたという意味です」
「で、だ。どうして常世神がこんなに大流行したんだと思う?」
会長がニヤリとする。
「ネズミ講みたいな感じですか」と私。「紹介制にしてバックマージンを出したとか」
「それは…… あったかもしれない」
「トコヨガミの飼育ブーム?」とメリーさん。「ヘラクレスオオカブトの飼育ブームみたいな感じ?」
「それもあったかもしれない。けど、一番の要因は、常世神が実利をもたらす生産手段だったってことだ」
得意げな会長である。
「あ、あれだ。カイコ説だな。聞いたことがある」とサバエ氏。
「そう。常世神という虫は実はカイコで、繭から絹糸が採れたんだ。一大飼育ブームで絹糸の生産が一気に民衆に広まった。すると、貧しい民衆は富を得る。いい物を食べると長寿になり若返る。そういうカラクリだ」
「確か、サイズ的にもカイコにぴったりだったんだよな。そして、養蚕や絹織物の技術を伝えたのは渡来氏族である秦氏だ。その権益を独占できなくなったので大生部多に怒りわざわざ出向いて摘発した」
「あー、サバエ君は僕の言いたかったことをみんな言ってしまったな。まあ、そういう、現実的な経済問題があったんだ」
私は、みごとな謎解きに感心する。
しかし、これに異を唱えたのが日本史学科の澪さんだった。
「それは違います。『日本書紀』には、常世虫は橘の木や山椒の木につく、と書いてあります。カイコが桑の木やその周辺の植物につくことはあるでしょう。けど、強い芳香成分のある植物には寄りつかないんです。たとえば、桑の葉を摘むときにタマネギやニンニクの匂いが付いた手で触ると、カイコが食べないという話もあります。結論。常世神はカイコではありません」
これには、アマリ氏もサバエ氏も虚を突かれた感じだった。
「じゃあ、澪君の推理では、何だったと?」
「アゲハチョウです。アゲハチョウの幼虫はミカン科の植物が大好きです。山椒も柑橘類ですし、ちょうど整合します」
そして、澪さんは決定打を放った。
「それに『日本書紀』には常世神は緑色で黒い斑点があった、て書いてあるんです。『そのかたちがカイコに似ている』とも。カイコなら、わざわざ似ているなんて書きませんよね」
にっこり。
結論。
常世神の正体はアゲハチョウの幼虫でした。
きっとただの飼育ブームだったのね。




