子供部屋おじさん(2)
私たちは階段を降りると二階にたむろした。
先生が、別のふすまを開ける。
そこにはちゃんと一階に向かう階段があった。
一階の小間に出て一旦タナに置いていた靴を履く。
今度は通り庭だ。
「まるで忍者屋敷なの。感動でーす」
メリーさんは、目をキラキラさせている。
……わかる! これはエモい!
先頭に立った先生は、とんつきの引き戸を開いて裏庭に出る。
「こちらがおうちの蔵です。その奥に、味噌や醤油の蔵もあります」
結構大きな敷地だ。
「火事になったら、ここの味噌を引き出して、手前の蔵の隙間に塗って、延焼に備えました。火が収まってすぐに開けると中に火が回るので、一週間くらいはそのまま閉めていたという話です」
……バックドラフト!
昔の知恵はすごい。
「この奥に、酒蔵かあります。男子が泊まるのはそこになります」
先生は鉄柵の扉のプッシュ錠を開場すると、その先へと進む。
「この酒蔵は、今は博物館になっています」
がらり、と引き戸を開けると、その向こうにはひんやりとした空間が広がっていた。
目の前には、巨大な桶がいくつかと、そこにハシゴをかけて登る人のマネキンが飾ってあった。
「館長はん……」
「はい、ここにおりますよー!」
空中から声がした。
見上げると、空中に突き出した白壁の部屋の出入り口から、白髪頭の男性が顔をのぞかせた。
「『ほんまもんの京都生活』の皆さんですね。今、降ります」
作務衣姿の館長はハシゴをするすると降りてくる。「ましらのごとく」という感じだ。
「こんばんは。酒蔵ミュージアムの館長で、神館、言います」
下に脱いであった草履を履いてから一礼する。おとなしそうな人だ。
「あそこは何の部屋ですか?」
女子の一人が質問する。
「女中部屋です」と不殿先生。
「子供部屋です」と館長。
はっ?
二人に見えない火花が散った。
「女中部屋なわけがないでしょう。酒蔵は女人禁制と昔から決まっている」
「子供部屋なわけがないでしょ。こんな落ちたら危ない部屋」
「昔からそう言い習わしているんや。あんたは、歴史的呼称を無視するのか」
「女中を夜這いから守るためにあそこに上げたんです」
「あほぬかせ。そんなん聞いたこともないわ。酒蔵に女入れるわけがあらへん!」
「そもそも、杜氏というのは刀自から来てます。酒造りは本来、女の仕事でした」
「そんな口咬み酒の頃の話を持ち出されても困る。この酒蔵ができたんは、明治期やで!」
うがーっ……
そこでメリーさんがすっと手をあげた。
「はいはーい。説明しまーす。まずは聞いて下さい」
外国人アドバンテージで二人は静かになる。
「あそこは『こども部屋』です。ただし、こどもというのは丁稚さんのことでーす」
二人は、ぽかんとしている。
「蔵で働くのは『酒屋百日、乞食より劣る、乞食寝もすりや楽もする』と言って、重労働でした。明治頃の労働は十二歳前後から。杜氏さんのもとで蔵人として働くのもそれくらいからでした。都市生活にあこがれて逃げ出す人も少なくなかったのです。杜氏さんとしては、絶対に逃がすわけにはいかない。特に、若い子は。だから空中に子供部屋を作ったのでーす」
Q.E.D.と締めくくりそうな発言だった。
「おみごと。よく勉強なさっている」と館長。
そして補足する。
「昔は女性の月のモノ――生理現象が酵母の発芽をおさえる毒素を放つ、という迷信がありましてな。ドイツ人の科学者がミトゲネティック光線と名づけた、なんて話もありますが、これは誰かが吹いたダボラでしょう。まあ、男ばかりの職場に女人を入れたらトラブルが起きるのは必定、女中さんは母屋の女中部屋で寝るのが当り前でした」
機嫌がよくなった館長は、館内を案内する。杜氏が寝泊まりする部屋や酒造りの工程がよくわかる展示だった。とくに「山廃仕込み」の解説は意外だった。 「山卸」という面倒な作業を廃止した「山卸廃止酛仕込み」を略して山廃仕込みなのだ。昔、誰かが言っていた「山奥の廃屋の酵母で作ったお酒」というのは大嘘だったのだ!
館長のガイダンスの間、赤っ恥をかいた不殿先生は終始無言なのだった。
酒蔵見学を終えて最初の町家に戻る。
通り縁に仕出し弁当の箱――番重が届いていた。
「誰か、お湯わかして」と先生。
酒蔵ミュージアムで剥落した権威を取り戻すかのように威圧的だ。
立華生があわてて水屋に向かう。
映画でしか見たことのない大きなヤカンを取り出して、そこに水を入れる。
私も、納戸から薪を取り出しておくどさんにセットする。手前には割り木と柴をつめておく。これでスムーズに火がつくはずだ。
洗い上がった湯釜が置かれ、ヤカンの水が注がれる。同時に横にあったマッチで新聞紙に火をつける。ナイスチームワーク!
お湯が沸き、お茶と味噌汁の準備が出来た。
この間、男子に手出しはさせない。それが「ほんまもんの京都生活」だ。
こうして準備が整い、男女十名は空の箱膳に乗せたお弁当をいただいた。……正座で!
立華生はさすがだった。正座はお手の物だ。困ったのは男子大学生たちだ。女子たちの手前、正座をくずすわけにはいかない。かといって、ふだんの椅子生活で正座なんてしたこともない。落ち着きのないことはなはだしい。かく言う私も、正座なんてお寺の法事でしかしたことがない。
「今日の皆さんはまだお客さんです。どうぞ足をくずしとくれやす」
先生の許しを得て、男子はあぐらに変わる。私も、正座を少し崩す。横坐りというヤツだ。
「明日からの皆さんは、田舎の寒村――丹波あたりから働きに来たおとこし・おなごしです。服装も、明治期の京都の物に改めてもらいます。荷物は全て、ロッカーにしまってもらいます」
「センセ、頭痛薬とかはどうしましょ」
「言ってくれれば私がロッカーをあけます」
ほっとする女子たち。
「ほな、いただきましょかー」
「いただきます」
私たちは一斉に、先生に向かってお辞儀をした。手は合せないのがお作法なのだ。
仕出し弁当は、最高においしかった。
ひょうたんの形をしたごはんの盛り付けが面白い。ご飯を一口食べてから味噌汁を一口。これは先生の指導だ。正式な場になると、それ三度繰り返す。
鶏さんの照り焼き。カボチャの炊いたん。湯葉の包み揚げ。紅白の酢の物。八幡巻。その他。
中でも鰻巻が絶品だった。これは推せる。
食事を終えると弁当箱を洗って番重におさめ、通り縁に置く。
先生から、講義がある。
京都は首都だったので各地の人が働きに来ていたこと、酒蔵で働いていた人たちは、本当のところは出稼ぎのアルバイトだったこと。杜氏と呼ばれる頭のもとで、経験と勘で日本酒が造られていたこと。一日中働かなくてはならない、今で言うブラック企業だったこと。最近はステンレスの桶で温度や湿度を厳密に管理した酒造りがなされていること。女性杜氏も活躍していること。日本酒の販路は世界に広がっていていること。
そのあと、男子三人は酒蔵ミュージアムに移動する。
女子は、二階へ移動する。押し入れのふすまを開くと、衣装盆が積み重ねてあった。先生の指示で、それぞれの前に衣装盆を置く。中には旅館で見るようなゆかたと細帯、木綿の反物、それに淡いピンク色の木綿の布が入っていた。パックされた手ぬぐいとタオル、それに何か刷毛のようなものと紙袋に入った何かもある。
「はい、皆さん、注目」
センセは、ピンク色の布を示す。
「これが何かわかりますか?」
「はい。ゆもじです」と立華生。
「そうです。一般的には腰巻きとも言います。これがパンツの代わりになります」
え?
驚いているのは、私とメリーさんくらいのものか。
「昔の和装はノーパンでした。この上に和服を重ねていきます。今は夏ですし、寝間着の浴衣は直接着てもええんやけどね」
「センセ、ブラはどうしますか?」とメリーさん。
「この木綿で巻いて下さい。昔は、胸が大きいのははしたないという意識があったので、和服を着る前にはサラシでつぶしていました。まあ、二日間だけのことなので、我慢してね」
そのあと、トイレに行った際の注意などがあって、私たちは順番にシャワーを使うことになった。シャワーだけで入浴はなし。外で行水という選択肢もあったが、さすがにそれは誰も選ばなかった。シャワーと一緒に房楊枝に歯磨き粉をかけて歯を磨く。房楊枝とは柳の枝の先を叩いて潰した刷毛のようなもののことだ。紙袋入の、ミントの入った塩につけて歯をこする。
この段階で、私たちの私物は、衣服を含めて全てがロッカーに収められた。先生は全員を並ばせてパンツを履いているアホたれがいないか後ろから確認する。
……これが、京のいけずか!?
消灯は九時。
私たちは、せんべい布団を引き出すと、眠れない夜を過ごしたのだった。




