子供部屋おじさん(1)
私は姫路に帰っても住むところがないので、夏休みも京都で過ごすことにした。祇園祭の殺人的雑踏は経験したし、次は盆踊りに五山の送り火、その合間には京都の名所の観光、と夢は膨らむ。
ちなみにお婆ちゃんの家はいまだ相続争いの最中だ。うかつに踏み込むのは避けたい。
……最中ならうれしぃのだけど。
「冬の底冷え、夏の油照り」と言われる通り、京都の夏は本当に暑い。まるで中華鍋の底で炒められている野菜の気分だ。そんなとき、京都広域大学のワークショップ案内で「ほんまもんの京都生活」という二泊三日のプログラムを見つけた。講師は立華女子大学准教授、不殿珠恵先生。たまに京都関連の番組でコメンテーターをしている人気者である。
ポチッとな……
あ、受かったわ。
え? 受講料めちゃ高! 見落としていた。でも、ま、いいっか。
今は亡きお婆ちゃんから遺贈された段ボール箱を開くと少し前のお札を数枚抜き取り、入金のためにコンビニへと出向いた。
八月初旬の平日。
私は着替えと歯ブラシと手ぬぐいその他をスポーツバッグにつめて、集合場所へと向かった。
……あれ? メリーさんと、立華女子の山口寧々さんもいる。
「わーっ、サツキちゃんも来たんや!」と寧々さん。素で喜んでいる。
「びっくりなのでーす!」とメリーさん。
二人とも、浴衣姿である。Tシャツに膝丈のショートパンツという私とは大違いだ。
「試験期間中は話せなかったから」と私。
「そうなの。わたしはマンガ図書館でずーっと論文書いてたし」
ちなみに、メリーさんの論文は英語なので私は読めない。いや、読もうとしたら読めるとは思うのだが、半年以上かかると思う。一度草稿を見せてもらったときには、梗概だけで挫折した。
「で。浴衣なんて指定あったっけ?」
あまり説明を読まない私はビビる。
「なかったでーす」
「服装自由でしたよ」
集まったのは、男子三名、女子七名だ。多分、高額の受講料がためらいなく払えるええとこのボンボンといとさんだ。
着物姿の不殿先生が現れた。定刻より紙一重遅れての登場なのはさすがだ。
「みなさん、おこんばんは。講師の不殿です。『ほんまもんの京都生活』ワークショップへようこそおいでやす」
「おこんばんは」
皆が挨拶を返す。立華生は手慣れたものだ。
「今日から二泊三日、京の都のほんまもんの生活をしてもらいます。ほんまもんやから厳しおすえ。ケータイとかは一切いじれません。そやけど、一生の経験になると思って我慢しとくれやす。途中のリタイアは構いませんけど、受講料の返金はしません。覚悟はよろしおすか」
先生は皆を見回す。
「何か質問は?」
「はいはーい」
メリーさんが手を上げた。
「不殿センセんとこは、京都に何代、いてはりますん?」
……こいつ、京言葉までマスターしおったか!
しかし、この質問はその場を凍り付かせた。とくに立華女子たちを。
「わ、私自身は三重県の出身です。嫁ぎ先が京の旧家でした。不殿という姓は珍しいと思うけど、実家の姓です。京男に伊勢女、てパターンやね。他に質問は? ……なければ、宿泊先に向かいます」
どうやら「京に三代住まないと本当の京都人とは言えない」という京都ルールからすると「真の京都人」からは漏れた人のようだ。そして、泡をくうと京言葉が出なくなる。
「寧々さんとこは、何代目?」とメリーさん。
「うーん、ようわからへん。先の戦以来かな」
いたずらっぽく笑う。
……応仁の乱かよ!
「はい、ここが宿泊先です」
案内されたのは、京町家の一軒だった。旅館の看板はかかっていない。
「さあ、入って」
立地が御土居の外、ということでは純粋な京都体験とは言えないのだろうが、ここまで来なければ静かな場所がないというのもまた事実だ。
「タナ」とか「見世」と呼ばれる、入ってすぐの板間に通される。昔なら、商売をしたり職人が作業する場所だ。今はがらんどうになっていて、片隅に空のショーケースがかためられている。
ホワイトボードに間取りが貼ってあり、それを指さしながらセンセが説明する。
「ここが通り庭。この先がお風呂とトイレ。ミセの次の小間は商談をする場所やね。玄関という言い方もするようです。この奥のふすまの向こうに、二階に続く階段が隠されています」
靴を脱いで小間へと上がる。板間になっていて、初夏には足の裏がひんやりして気持ちいい。
不殿先生は、板のふすまを開けて階段を見せる。かなり急な造りだ。
一階を奥に進む。
「ここが座敷。主人一家が普段の生活をする場所です」
昭和の頃のブラウン管テレビが鎮座している。絶対に見られそうにない。
センセは、通り庭に面した障子を開ける。
「通り庭をはさんで向こうのかまどがへっついさん。おくどさんとも言います。ここで煮炊きをします。明日から実際にやってもらいます」
皆の口から「おおっ」という声がもれる。
「薪の類は見世側の納戸と、通り縁の下にも入っています。冬は、炭やたどんが通り縁の下に入れられます」
ほおっ、と感心した声が出る。意外に洗練された造りだ。
「左手に見えるのが井戸とダイドコ。流しやね。その向こうにあるのが水屋。食器戸棚。明日と明後日のおなごしの戦場になります」
男女差別、というよりは、昔の京都の分業体制を忠実に再現したワークショップなのだ。
「晩のお食事は仕出し料理です。これは、主人一家の食事をイメージしています。いわゆる京料理やね。初日は、京の伝統的な晩ご飯を賞味していただきます」
「センセ、明日からの食材はどうなりますか」と男子。
「安心して。裏庭の物置に用意してあります」
「井戸は使えますか?」
「使えます。飲み水には使えないけど、瓜を冷やしたりは出来ます」
「水道は?」
「使えます」
質問がないと見て、先生は座敷の中に戻る。
「次が、仏間です。奥座敷とも言います」
手前から、押し入れと仏壇、床の間がある。広さは十畳。けっこう大きい。坪庭の側には違い棚もしつらえられている。
「ここは、主人夫婦の寝室です。その向こうが縁側で、庭に面してガラス障子がついてます」
「うちのお爺ちゃんとこよりも広い……」
寧々さん、敗北感をにじませる。
不殿先生は、内側の障子を開いて縁側に出る。ガラス障子は換気のためだろう、少し開けてあった。
「坪庭の向こうが蔵。季節の品を収める場所です。今は、石油ストーブやコタツがしまわれています」
……そうか、蔵ってお宝をしまう以外に、そういう日常使いもするんだ!
知見が広まった瞬間だった。
「この扉を開くと、ご不浄です。トイレと風呂があります」
立派な手水鉢も見える。
「センセ、トイレは和式ですか?」女子が質問する。
「洋式の水洗トイレです。手前には小便器もあるので、男子はこちらを使ってね。手洗い器も水道水です」
皆、ほっとする。さすがにほんまもんでも、ポットン便所はご勘弁、である。
「はい、中に戻って。この先は二階に登る階段になってます」
先生は、トンツキの木戸を開く。通り庭に面して階段がある。寧々さんのお爺さんの家と構造は一緒だ。
「次は二階です」
先生は階段をのぼりはじめる。丁度真後ろにいた私には、白足袋がまぶしい。
ふすまを開けると、二階の奥の間に出る。
月見縁も、一階と同じように外にガラス戸がついていた。おそらく最初からこうだったのではなく、のちの主人が改良工事をしたのだろう。
山口周三邸との違いは、両脇に無粋なトタン塀がないことだった。
蔵の屋根の向こうには、もっと大きな土蔵が見える。まるで江戸時代にタイムスリップしたみたいだ。
「おなごしは、二階で寝てもらいます。布団と寝間着は、押し入れの中に用意してあります」
先生は、真ん中の部屋にうつる。
意外だったのは、二階が座敷二間と板間一つだけだったことだ。通り庭の上の間がなかった。
「帰りはこっちの階段で行きましょう」
先生はふすまを開くと一階への階段を行こうとしてはたと止まった。
「間違えました。こちらは上への階段です。ついでだから見て行きますか」
ふだんは使うことがないのだろう、けっこうホコリっぽい階段を屋上にのぼる。
そこから見た夕焼け空は、まさに感動物だった。
鴇色の空に輝き始めた星空。
遠くまで続く瓦屋根。
初夏の暑さをふりはらってくれる穏やかな風。
これだけで「ほんまもんの京都生活」に参加してよかったと思えた。
……愚かにも。
間取りの名称については、自分の祖父母が使っていた言葉を優先しています。
「いとさん」「こいさん」は、京都でも使いました。意外と船場の言葉と共通しているようです。