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天使宮の宴(2)

「六十歳未満限定というのは、またどうして」

 会長がたずねる。

「大天使教には、干支三巡の教えというものがあるのです。干支一巡までは凡人、二巡までは奇人、三巡は神人、と。人は還暦で別のステージに達する、それゆえ、奇人の位に達した者は、別の施設で手厚い看護を受けるのです」

「どこでです?」

「世間的にはホスピスと呼ばれる例の施設です。ですから、山口周三さんがホスピスにおられなければ、修行をつまれているのだろうと思ったのです」

「修行をなげ出したらどうなります? 全財産を寄付して無一文になっていたら、行く宛がないでしょう」と会長。

「それはないでしょう。年金や生活保護のお金は本人に入ってきます。そして、修道場が自分の仮の家となります。半年間の修行を終えれば元の家に戻って道場長になります。ただ、思い出の品は全てなくなっているかもしれません。残された物は、道場長が売り払うのが原則なのです。ただし、値がつかなかった物はそのまま残されます」

 奇人の位に入った者は、現世での執着を手放していくべきだという。それが修行なのだと。そして、魂を清浄にして天界へと往生する、それが大天使様の教えなのだそうだ。

 その他にも、食の禁忌に関する奇妙な教えがあった。

 大天使教徒は、基本的にはベジタリアンだ。とりわけ、肉食獣の肉を食べてはいけない。草食獣は実質野菜、という扱いなのだそうだ。牛や羊は食べてもいい。しかし、豚や鶏、魚の類は雑食なので、食べてはならないと言う。ただしこれは凡人のうちは適用されない。

「この町内の肉屋も、大天使教徒です。牛肉と羊肉しか置いてないでしょう」

 立石老人は私たちを近所の学生だと思っているようだった。残念ながら、私はこの近辺のことを何も知らない。

「卵や牛乳はどうなるの?」とメリーさん。

「大丈夫です。動物が生きる副産物ですので」

「祖父は、焼き鳥や寿司が大好きでした。修行生活はつらいでしょうね」と寧々さん。

「ええ。でも、厳格に言うとこの戒律は道場内のことですから、道服を着ずに私人として行動する場合は適応除外です」

「祖父の持ち物――元の持ち物がどうなっているか知りたいのですが、奥を確認してもいいですか?」

「ええ、どうぞ。道場は善良なる何人(なにびと)にも開かれています。必要な物があれば買い取っていただいて構いません。教会の財産ですのでさし上げることはできませんが、買いとっていただく分には問題はないのです」

 わたしたちは、土間になった廊下――走り庭――に出ると奥へと進んだ。


 のれんをくぐる。

 そこは高い天井のある空間だった。屋根には光取りの天窓もある。

 左手には和室が三間、その手前に走り庭に沿った通り(えん)、右手にあるのは、物置につづく()()()()()だ。明治時代の古い三連釜がそのまま残されている。炊飯器は別の場所だ。おくどさんの上には、古いお札や大黒天の像なども残っていた。大天使教は、信仰の混在にもかなりゆるいようだ。

 手押しポンプのついた井戸と炊事場(ダイドコ)を右手に見つつ奥に進む。

 引き戸の先はこじんまりした中庭になっていた。右手の壁沿いにトイレと風呂、正面には蔵がある。

「蔵の中の物はおおかた処分しました。骨董商が買い取ってくれたのです。残されているのは、骨董商が引き取れないと言った物ばかりです」

 確かに、蔵の中はほぼがらんどうだった。いつの物かわからない自家製梅酒や、やぶれた屏風、古新聞の束などがとり残されている。

 振り返ると、苔むした中庭――壺庭――があった。モウセンゴケが生えそろっていて、真ん中には苔むした石灯籠も残されている。

「今時、灯籠は、買い手がつかないんだそうです。かえって処分費がいるそうです」

「ひどい!」と寧々さん。「うちで引き取りたいです」

 そこで値段交渉が始まった。

 立石老人には商売人としての素質があるのだろう。折り合うまでに結構な時間がかかりそうだった。

 私とメリーさんは、許可を得て二階に上った。通り縁の一部が二階への階段になっているのだ。

 がらんとした畳敷きの和室。外にはいい感じの月見縁がついている。観光客向けの旅館にでもすれば流行りそうな感じだ。問題は、中庭を囲むトタンの波板塀だった。隣が見えないための目隠しだが、これでは情緒が台無しだ。

 二階の六畳間は二つ。真ん中の部屋には下につながる階段がある。

 御幸町通りに沿った部屋は一段低い板間になっていて、たくさんのガラクタが残されていた。裸電球が吊られ、連子窓からは通りが見えた。ここだけ走り庭の上に付き出していて、たくさんの段ボール箱が積み上げられていた。

「ここの整理にはまだ手をつけていないのです。どうぞ、ご覧になって下さい」

 内側の階段を上がってきた立石氏が声をかける。

 メリーさんがとことこ歩き出して、荷物をかき分け始めた。

「どうしたの?」

「人形の気配がするの」

 段ボール箱の一つを引き出すと、でん、と板間の中央に据えた。

 確かに、有名人形店の箱だ。おそらくは戦前の。

「ほーら、出ておいでー」

 メリーさんが引き出したのは市松(いちま)人形だった。硝子ケースにおさまっている。 

「この子、買います!」

「おおっ、お目が高い! ……これくらいでいかがでしょう」

 電卓が提示される。

「もう一声!」

「では、これで」

「買った!」

 メリーさんが財布の中の札びらをきった。

 さすがはウィンチェスター家のお嬢様(という設定)だ。やることが豪快だ。

「わーい、やったー! 今日から君は、うちの子だよ!」

 硝子ケースの中の市松人形がウィンクした。


 というわけで、怪しい修道場探索隊は、寧々さんが灯籠を売約済みにし、メリーさんが同類を見つけてお持ち帰り、というまずまずな結果でおわった。寧々さんは最後に古いアルバムを見つけて、コイン一枚で買っていた。

「今日の所はこれまでとするか。次は、例の病院だ」

 アマリ会長がお開きを宣言した。 

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