天使宮の宴(1)
「これは、私の友達の話なのですが……」
天王寺澪さんが、おずおずと切り出した。
「ふむ、言ってみなさい」とアマリ会長。
「お爺さんの家が知らない間に新興宗教に乗っ取られていたそうなんです」
どっひゃー、と、会長と私が口をそろえる。
メリーさんは、「え? 何? 何?」という感じだ。アメリカではあまり実感がわかない話らしい。
「そして、お爺さんは失踪したそうです」
「それは、深刻な話だね。警察には相談したのかな」
「はい。ただ、お爺さんがその宗教――大天使教に帰依しただけで、事件性はないだろう、とのことでした」
「ふむふむ。これは本人に来てもらって話を聞くしかないな」
「と言われると思ったので、呼んであります。もうすぐ来るはずです」
どうやら、澪さんは宮城すずねの件で学んだらしい。
タイミングよくドアがノックされた。
「どうぞ」と会長。
入ってきたのは、清楚な感じの女子学生だった。
「山口寧々と申します。立華女子大学の二回生です」
会長は、学生証を確認する。満足そうなメリーさんである。
立華といえば、お嬢様学校として有名な大学だ。お茶、お花、書、という三大伝統文化が必修で、武道は長刀と小太刀の名門として全国的に武名を馳せていたりもする。立華の授業は京都広域大学でも選択できる。が、女子しか選択できない。理由は「女子トイレしかない」から。……もっともだ。
イスをすすめられた寧々さんは、一礼して腰をおろす。一分のすきもない、背筋がぴんと伸びた姿勢。百万遍のかぎやの和菓子を「心ばかりの品です」と言って差し出すあたりも、ただ者ではない。
寧々さんは話し始めた。
「私の祖父は、五条御幸町でガッチャンの仕事をしておりました」
ガッチャンというのは、紙の型抜きの仕事のことだそうだ。主に神社のヒトガタや、百貨店の紙箱の打ち抜き、大型の紙の裁断などをしていた。久しぶりに祖父の家に遊びに行ったところ、家の入り口に「大天使教修道場」の札が掲げられていて、中に住んでいるのも知らないお爺さんだった。祖父の行方をきいても自分にはわからないとのこと。祖父の携帯番号にかけてもつながらない。警察に調べてもらったが、家の譲渡に違法性はないとのことだった。
「それで澪さんに相談したところ、そういう事件にはミステリー研が最適だとご紹介いただいたのです」
「ふむふむ。大天使教か。聴いたことないな」と会長。
「ほぼ京都限定のローカル宗教です。私の記憶では、明治期に始まった新宗教の一つだと思います」と澪さん。寧々さんからの補足はない。
「とりあえず、現場に行ってみるか」
アマリ会長が決断した。
そこは、古い京町家の一軒だった。京都の町家は、どんどん焼けのあとに立て直されたものがほぼ百パーセントだ。「ウナギの寝床」と呼ばれるとおり、間口はさほどなくて奥に長い。これは、江戸時代に間口の幅で課税されたためで、税金対策にこんな構造にしたからだと言われている。
「ここなんです」
寧々さんが示した先には、確かに「大天使教修道場」と墨書された木製の看板がかかっていた。十字架のついた吊り鐘マーク。横に翼がついている。その下には小さく「立石」の表札もかかっていた。
チャイムを鳴らす。
白髪の、きちんとした身なりのお爺さんがあらわれた。
「こんにちは。おや、君はこの間の……」
「山口周三の孫です。その後、祖父のことについて何かわかりましたでしょうか」
あくまでも礼儀正しく、しかし、疑念を隠しきれずに尋ねる寧々さん。
「まあ、お入んなさい。修道場はどなたでも歓迎します。そして、入信を無理強いしたりはしません。さあ、どうぞ」
中に入ると、完成したばかりの広間が真新しい木の香りを放っていた。
「失礼します」と会長。私たちも、挨拶しつつ中に入る。
キリスト教の教会を思わせる木製の長椅子がずらりと並んでいる。
正面には大きな天使の掛け軸がかかっていた。
「ウェネラーレ ・アルカンゲロス?」
メリーさんが、掛け軸の上にかかげられた看板を読み上げる。
「そうです。よく読めましたね」
「ラテン語は得意でーす」とメリーさん。
……こいつは、何ヶ国語がしゃべれるんだ!
「山口周三さん。私も調べてみたのですが、ホスピスにはおられませんでした。ということは、入信の後、どこかに修行に出られたのでしょう」
ホスピスとは、終末期にある患者の面倒を見る療養所のことだ。いきなり話が飛んでついて行けない。
「ホスピスって、どこにあるんです?」と寧々さん。
「左京区です。でも、かなり山奥ですよ」
「どうしてホスピスを調べたのですか?」と会長。
「この家を大天使教に寄付なさっていたからです。大天使教は、全財産を寄付することで医療と生活の全ての面倒を見るのです」
「で修行とは?」
「寄付された家を管理し、大天使様の教えを守って生きることです。かく言う私も、その修行中の身なのです」
立石老人は、大天使教の素晴らしさを語り始めた。
大天使教は、明治三年に市内の古いお寺がキリスト教に転向してできた宗教だった。
教祖は「あまつか・みね」。お寺の住職の隠れ妻、つまりお妾さんの一人だ。
当時、僧侶は結婚が公式に禁止されていて、その妻は大黒さんと呼ばれる日陰の存在だった。おおっぴらに妻帯していたのは浄土真宗の僧侶だけだったのだ。明治五年の太政官布告で「僧侶の肉食・妻帯・蓄髪、勝手たるべし」と定められたことで、日陰の身の大黒さんは一気に市民権を得る。
キリシタン禁制の高札がなくなったのは明治六年。しかしそれは外国へのアピールのためで、実際にキリスト教への禁令が解かれたのは、大日本帝国憲法が布告された明治二十二年だった。それまでに外国人宣教師が入国し、布教を始めていた。古い寺に見切りをつけた僧侶の中には、海外から入ってきたキリスト教に転向した人もわずかながらにいたと言う。
「そういうわけで、きわめてキワキワの綱渡り状況で大天使教は創教されたのです」と立石さん。
「ですから、大天使教では唯一神への信仰はありません。考えてもごらんなさい。唯一絶対の神がいて、それをあがめたとして何になるでしょう。絶対神が我々一人一人の願いをかなえるでしょうか。みな、願いなどバラバラなのに。それこそおこがましいんじゃないですか。我々がノミの一匹、バクテリアの一匹の願いを聞き届けますか。我々の願いをかなえるのは、もっと身近な神々、言い換えれば自由菩薩のはからいなのです」
急に話が新興宗教っぽくなってきた。
「大天使教では、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語の四戒を定めています。人としての基本ですね。このように大天使様が定められたのです」
「その、大天使様というのは?」
「あまつか・みね様です。今も、天使宮にお住まいです。ほら、五条通りに大きな病院があるでしょう。あそこの最上階です。ウェネラーレ ・アルカンゲロス。南無大天使!」
立石氏は、感極まったように唱える。
「病院というと、そこに入院しているということは……」と会長。
「いや、それはありません。あそこに入院できるのは、六十歳未満の方だけなのです」




