6-15.「辿り着いた驚愕の解」
魔女狩りゼノン・ドッカーがあるいは、相手の精神に干渉できる何らかの術を持ち合わせているのではないか。それはまだ調査段階のとき、アレクセイの思考をふいに過ぎった突拍子もない仮定になる。
しかし――。
いくらなんでもそれはとは、すぐに思い直したものだ。
一笑に付す。自分のことながら、いったい何を言い出しているのかと。
確かに自分はゼノンのことを小憎たらしく思っているし、ちょっと前まではリクニ、ケインと続いていた復讐リストも、今や奴がダントツでトップに躍り出ている。それも他が問題にならなくなるくらい、突き抜けていて。
もし打倒ゼノン同盟みたいなものが立ち上がるなら、いの一番に名乗りをあげてやることだろう。だからまぁ今こうしてアレクセイがゼノンのあら捜しに躍起となっているのは、もはやミレイシアへの純粋な思慕だけが動機ではないのである。
ああそうだ、認めよう。
ゼノンが憎い。憎くて仕方ないとも。
今すぐそのすまし顔を蹴り上げ、タコ殴りにしてやりたいくらいに。
私怨上等だった。
でもだからこそ、より一層冷静でなくてはならない。
だって、さすがに飛躍しすぎというものではないか。
よもやミレイシアがゼノンから精神汚染を受け、正常な判断力を失っていたのではないかだなんて、そんな見解は。明らかに偏っているし、無理くりこじつけた感がすごい。
いくらなんでもバイアスがかかりすぎていると、咄嗟とはいえそんな発想を持ち出してしまった自分を窘めざるをえなかった。
第一、だ。
よしんばそうだったとしても、元の問題の答えにまったく繋がらないではないか。
いま追っているのはあくまで、なぜミレイシアが治癒の魔力を失ったのか、その真相だけのはずだ。
それが事あるごとに脱線するのはまぁ、ここにきてミレイシアへの想いがまた再燃、燻り始めているからと自覚はあるが。
ええい、余計なことを考えるな!
ミレイシアの清濁だって、まだはっきりしていないのだぞ!
少なくともそれまではと自身に言い聞かせ、いけないいけない。
頭ごと雑念を振り払うアレクセイだった。
だがそうして立ち返ってみたは良いものの、一向に答えが見えてこないのもまた事実で。ともすればやはり最初に睨んだ通り、ただの恋愛感情のもつれからきたトラブルなのだろうか。
これ以上はムダ骨かと思いながら、それでもウンウンと考えあぐねていたときだ。待てよ?となる。そのヒョンな気づきを皮切りに、アレクセイの捜査は急展開を迎えていくことになって。
――そう。
『ミレイシア殿おおおおぉーーーーッ!!!』
それこそがあのとき、地下で慟哭しながらアレクセイの辿り着いた答えだった。
つまりは本当にそういうことだったのだ。ミレイシアはずっとゼノンに精神を乗っ取られ、意のままに操られていたのだと。
気付いてしまえば、いたってシンプル。
至極単純なことだった。
すなわちゼノンの持つ本当の魔法特性とは、魔力の侵蝕や無効化などではなかったのである。そう、言うなれば。
――『魔法喰らい』。
他者の魔法を無効化するどころか、あまつさえ奪って自分のものとしてしまう。
それこそが真に、ゼノン・ドッカーの有する恐ろしい魔法特性だったのだと。
◆
何せそう考えれば、すべての辻褄がピッタリ合うのだ。
ミレイシアが治癒の力を失ったことは勿論として、かねてから抱いていた疑義。なぜ彼女があんなロクでもない男に執心したのかと、最大の不可思議についても。
だって、ミレイシアは聡明な女性だ。
普通に考えて、あんな見るから野蛮な男に自分から近づいていくはずがない。
だがもしゼノンが本当の意味で『魔法喰らい』であり、他者の魔法を奪えるというなら、それについても説明が付けられる。恐らくゼノンはその恐るべき権能をもって、事が起こるより前に精神干渉系の魔法特性を奪っていたのだ。
そしてそれを使い、ミレイシアの心を強奪したのである。
ゼノンの来歴を遡ってみれば案の定、それに該当しそうな人物はすぐに見つかった。
アーガス・ゼルトマン。
貴族階級の人間なら、知らない者はまずいないというほどの有名人。
ひと昔まえまでは闇の行商人、ゼルトマン伯爵として世間に広くその名を轟かせていた奴隷商である。
アーガスの持つ魔法特性こそがまさしく、件の精神干渉に関わるものだった。その力をもって多くの魔獣を従え、要職の人々を操っていたからこそ、魔女狩りギルドも彼の手がかりをなかなか掴めず、長きに渡る跳梁を許してしまったのだが。
そんな彼に初めて土を付けたのが、他でもないゼノンなのである。
しかもその後、アーガスは行方不明となっていた。
すんでのところで逃げられたようなことが当時の資料からは読み取れたが。
もしゼノンがそのとき、アーガスから力の片鱗をかすめ盗ったのだとすれば――。
やはり飛躍しすぎか、とは何度も考え直したことになる。
だが時系列的に見ても矛盾がないのだ。
ミレイシアとゼノンが密会していると、そのことに初めてアレクセイが気付いたあの時点ですでに、アーガスは行方を眩ませた後だ。
いやいや。
だとしてもゼノンがミレイシアの精神に干渉することなんて、果たして本当に可能なのだろうか。
テグシー・グラノアラやリリーラ・グランソニアが魔女狩り界のトップに君臨していることからも分かるように、一般的に男性より女性の方が魔力的には優位と言われているのに。
しかし一方でゼノンが並外れた戦闘センスを持っていることもまた、紛れもない事実だった。精神干渉を仕掛けるまえに不意打ちをしかけるなどして、じっくり痛ぶり弱らせておけばあるいは……。
考えるほどに、アレクセイのなかでその疑念は深まっていくばかり。
だからこそ今日び、この少女――アリシア・アリステリアをさらって来たのである。
どういう経緯かは知らないが。
近ごろゼノンについて回っているというこの少女なら、その辺りについても何か知っているに違いないと思ったから。
ところがコレと来たら、何度尋ねても首を縦に振らないのだ。
せっかくこちらが下手に出て、ねこなで声で分かりやすく聞いてやっているというのに。
ゼノンさんにそんな力はないです。あなたは誰ですか。
やめてください。ここはどこですか。
放してください。
まるで会話が成立しなかった。ウンザリだ。
これだから子供はイヤなのだと、苛立ちばかりが募って。
だが――。
だがそのときハタと気付く。気付いてしまう。
もしやこの少女も、ゼノンからの精神操作を受けているのではないかと。
考えてみれば、そうだ。
当たり前のことじゃないか。
ミレイシアでさえ為す術なく屈服させられたのに、こんな子どもに対抗できたはずがないのである。
いつからだ。
いったい、いつから。
「まさか、最初から……?」
鎖に繋がれた少女の瞳を、このときアレクセイは初めてまっすぐに捉えた。
その奥に揺らぐのは一重に、憐憫の情である。
捨てられて尚も、ゼノンの肩を持とうとする。
そんな少女の懸命さを、つい今しがたまでまったく理解できずにいた。
心無い罵声もたくさん浴びせてしまったものだ。
だが、もし――。
もしこの少女もまた、ゼノンの被害者で。
ミレイシアと同じだけのものをすでに、奴に奪われているのだとしたら。
こんなに小さな体で、劣情のはけ口にされたのだとしたら。
そんなの……。そんなのもう、不憫というほかないではないか。
「哀れな……」
帰して、もう帰してと懇願するように泣いている少女の涙に。
今アレクセイはゆっくりと向き合い、拳をぎゅっと握り込む。
そこに秘めるは悲壮の決意に加え、このままではいけないと強烈な使命感だ。
自分が何とかしてやらなければならない。
だってもうこの少女を救えるのは。
すべての真実に辿り着いているのは。
この世にただ1人、自分しかいないのだから。
だとしたらいま自分のすべきことは何か。
そんなの決まっている。
本当の意味でこの少女を、かの魔人の呪縛から解放してやるのだ。
そして一刻も早く、真実を白日のもとに晒さなければならない。
もう二度と彼女たちのような、自覚なき哀れな被害者たちを生み出さないためにも。
だから――。
「申し訳ありません、あと少しの辛抱です……。堪えてください」
声を上擦らせながら、それはせめてもの贖罪だった。
これから自身がこの少女に下すことになるだろう、暗く淀んだ正義の執行。
その断行へ、踏み切ることへの。
「いま、助けます」
強いなければならない、苦痛への――。